第15話


         ※


 僕と樹凛は、なんとも言えない足止めに遭っていた。きょろきょろ周囲を見回したり、案内役の登場を期待したり、魔眼の力で何とかならないかと試してみたり。


 天使二人はどこかへ行ってしまった。自分たちが手を下さずとも、僕たちに危険が及ぶことはあるまいと考えてのことだろう。

 だからといって、不用意に竜巻に巻き込まれても安全か? と考えると……。


『知識がないから』慎重にならざるを得ない。だが、このままでは『なんの目的でここに来たのか』が分からずじまいだ。神様に会う必要があるようだが、流石に神様を相手に遅刻するわけにもいかないだろうし。


 進むしかないんだろうな。僕はじっ、と竜巻の消えた場所を睨みつけ、抜き足差し足で接近を試みた。

 

「碧くん!」

「しっ! 今は静かに!」


 引き留めようとした樹凛を、僕は留める。素早く前方に視線を戻す。が、しかし。


「あ、しまった……」


 竜巻の消滅地点をうっかり見失ってしまった。

 いずれにせよ、僕たちが何らかの危険な状態にあることに間違いはない。


 こうなったら、自分の足で雲の表面を探っていくしかない。

 ドライアイスが気化していく時の白煙が、膝下まで漂っている。感覚としてはむしろ暖かいのだけれど。


 このフロアの扉から玉座までの中間地点に到達した、その時だった。


(おおっとぉ! ちょっと前、じゃない、後ろに下がって! 一メートル五十センチくらい!)

「は、はあっ!?」


 慌てているうちに、何かが僕の足元を突き破って飛び出してきた。

 人間だ。片腕を掲げ、垂直下方から上方へと雲を突き破ってきたのだ。スーパーマンかよ。


(おっと! 玉座はこっちか! よっ、と!)


 見事に僕の顎にアッパーカットを喰らわせたその人物は、ひらりと身を翻して玉座へすっぽり収まった。


「い、いってぇ……」

「碧くん! ……大丈夫?」


 まともに口を動かせない僕は、腕をふらっと掲げて自分の無事を樹凛に知らせた。


(いやあ、本当にすまないな。ここにはボク以外の人間はあんまりやって来ないものだから……)

「い、いや……」


 こちらこそ、勝手に立ち入って申し訳ない。

 辛うじて僕はそう表現した。


(ああ、その心配はいらないよ。神様だって完全じゃないんだ。せっかくの協力者を負傷させたのはボクのミスだからね。いやはや、申し訳ない。よっと)


 自称・神様は、片手を翳してサーチライトのような光を僕に浴びせかけた。

 すると一瞬で、顎の痛みは引き潮のように静かに去っていった。


「こ、これは……?」

(単純な治癒魔法だよ。もう大丈夫だろう?)


 頷いて見せると、自称・神様はにっこりと穏やかな笑みを浮かべた。


「あ、あなた、本物のか、かみ、神様、なの?」

(そうだよ。今は極東地域の監視任務にあたっている)


 どもりながら尋ねる樹凛に、神様はまた優しく返答する。

 その姿は、しかし一般の『神様』のイメージとは大きく異なるものだった。


 まず若い。下手をすると、僕や樹凛と同い年くらいだ。

 寝癖のように乱れた、しかし芸術性を感じさせる銀髪。中性的かつ見事なバランスを誇る童顔。ダメージジーンズとラフなジャケット、それに地味過ぎないTシャツ。


「あの、神様……」

(なんだい、碧くん? 何でも答えるよ)

「……若すぎません?」


 すぐ横から樹凛が僕の肩を引っ叩いてきた。無礼を働くなと言いたいのだろう。

 だが、質問に答えると言ったのは神様なのだ。僕たちにだって、問いを投げる権利はある。


(ふっ、ははははははははっ!)

「どうしたんです?」

(いやいや、君たちの反応は面白いなと思ってね。失敬)


 軽く咳払いをしてから、神様は、本題に戻ろう、と一言。


(まずはボクたち、君たちが『神様』と呼ぶ存在だけれど、基本的には歳を取らないし、死ぬこともない)

「不老不死……?」

(いかにも)


 難問を解いた生徒を褒めるような瞳で、神様は僕を見下ろす。だが。


(それは今はあまり関係ないかな。自分たちが連れてこられた理由を、君たちははっきりさせた方がいいんじゃないのかな?)

「あ」

「あ」


 僕と樹凛は同時に息をついた。


(ただ、今はそこまで話を進めるのは難しそうだね。少なくとも、君の瞳が安息状態に入るまでは)

「僕の瞳……。左目の赤い光のことですか?」


 すると神様は、こちらに顔を向け僕を指さした。肯定の意思表示なのだろう。

 指さした右手に対し、左手には日本でもよく見かけるチョコレートが握られている。どこに仕舞っていたんだか……。加えて、清涼飲料水を喉に流し込む神様。人の話、聞いているのか?


(うん。さっきキャベツの怪物と戦った時に、君たちを目撃した人、負傷者、ああ、幸い死者はでていないけれど。ボクは、彼らの意識にちょっぴり細工をした。結果は良好。皆、今は犠牲者が出ていないことに安堵しているよ。キャベツの残骸は、皆の意識が途切れる瞬間に抹消しておいた)


 この人、本当に神様なんだろうか? アフターフォローが見事過ぎる……。


「あっ、神様!」

(何だい、樹凛さん?)

「あのっ、あたしたちはどうすればいいですか? 元の、地上世界に帰れますか?」

(もちろん! 何だったら行き来することだって可能だよ。そのくらいは好条件を出しておかないと、最近の若い人は辞退しちゃうからなあ)


 長い足を組みながら、やれやれと溜息をつく神様。まあ、それが普通だろうなとは思う。

 だが、僕にも樹凛にも、人の死に関して思うところはある。不謹慎な話だが、ご遺体を『見るだけなら』それなりに耐性ができている。


(ふむ。君の考えていることは分かるよ、碧くん。大変な目に遭ったようだね。ご冥福をお祈り申し上げる)


 神様は玉座の上であぐらをかき、両手の甲を両膝の上に置いた。異国の音楽が流れ出し、また異国を連想させるようなお香の香りも漂ってくる。

 これは、大乗仏教あたりの流れを汲んでいるのだろうか? 爺ちゃんや婆ちゃんの葬儀の時に聞いたことがある。


 神様はそれを二、三分ほどの間に繰り返し、ふう、と静かに息をはいて、足を伸ばす姿勢に戻った。


(神様同士、仲良くしなくちゃね)

「神様『同士』、ですか?」

(碧くん、聞いていなかったのかい? ボクの今の担当は極東地域。世界中に、ボクみたいな神様が何人もいるんだ)


 僕は一瞬、気が遠のいた。こんな力を持つ存在がまだまだいらっしゃる、と?


(このあたりの宗教には、僕は少なからず造詣がある。もっとも、今のは大乗仏教と呼ばれる、東南アジアの宗教観に基づく作法なんだけれどね。こういう一定の作法、ルーティンというものがあればこそ、皆が皆、同じものを愛で、同じものに感動し、同じ欲求を持つ。その上でやっと、完全なる世界の平等と安寧を獲得できる。そのためには、とにかく自らのアイデンティティというものを捨ててもらわなくちゃいけない。何かに夢中になるなり、何かを信仰するなり、それは人間一人一人違うだろうけど、それを画一化するのがボクたちの任務なんだ)


 でかい。

 スケールがでかい。

 僕はぽかんと開いた下顎を元に戻すのに、なかなか苦労した。


(あー……。すまない、ボクの悪い癖でね。どうしても賓客を前にすると饒舌になってしまうんだ。申し訳ない)


 ぐいっと頷いて見せる神様。

 だが、彼が再び笑みを作る前に、樹凛がさっと手を上げた。


(おお、質問かい? 反論でも何でもいいよ!)


 辛うじて首を捻ると、樹凛が腕を下ろし、失礼します、と一言。


「神様、あなたはまだ具体的なお話をされていませんよね」

(ん?)


 板チョコを齧りながら、神様はその目を樹凛に向けた。


(うん、まあ、ね)

「なるほど。僕たちにすぐに話すのは躊躇われるような仕事? 手伝い? なんでもいいですけど、それを提案なさるつもりなんですね? 竜巻とか治癒魔法とか、凄い技術力を誇示することで」


 僕は、ちらりと樹凛の方に視線を向けた。こくり、と頷き返す樹凛。


(なるほど。びっくりドッキリ作戦は通じなかったね)


 玉座の肘掛けの片側に肘をつき、神様は穏やかな目で僕たちを見下ろしてくる。そこに侮蔑の色はない。あったのは苦笑だ。


(ふむ……。僕としたことが、随分と雑談に興じてしまったね。失敬。君たちに頼みたかったのは、現実世界から天国にやって来る幽霊たちの素性調査だ。本当に天国に来るに値する人物であるかどうか)

「えっ、でもそういうことこそ神様の仕事なんじゃないんですか?」

(そのはずだったんだけれど、最近は若くして亡くなる人が多くてね。ボクだけでは対処が難しいんだ)

「若くして亡くなる……?」


 僕に考えさせる間を与えずに、樹凛が答えた。


「自殺、ですね」

(ん)


 あまり認めたくなかったのか、神様は口元を歪めながらこくりと頷いた。


(敢えて詳細を話すのは避けるけれど、君たち二人が力を合わせてくれたら、今までとは比較にならない対処効率で幽霊、いや、魂を救える。ご一考願えんかな?)


 事の重大さに気づいた時には、僕は自分の眉間を手で揉んでいた。

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