第13話【第三章】
【第三章】
僕の記憶に残っているのは、僕、樹凛、白亜の三人をどうにか抱え込み、空高く飛翔していく黒木のたくましい腕回りだった。振り返ると、球根に覆われたマンションに駆け寄っていく人々の姿が見える。
大体は野次馬だろうが、そいつらを蹴散らすようにして早速救急車が敷地内に滑り込んできた。消防車の姿も見受けられる。
「消防車がどうして……?」
(あちゃあ、お前からは見えなかったのか、碧)
「ど、どういうこと?」
(お前が引っこ抜いた二つ目の球根だが、どこに吹っ飛んだか把握してるか?)
「確か台所の方へ――って、まさか」
(そのまさか、だろうぜ)
僕が考えついた最悪の事態。それは、台所に配されたガス管が破損し、引火・爆発を起こしたのだということ。
(俺は白亜を引っ張り込んで、お前と嬢ちゃんのいる方へ投げ飛ばした。そしてシールドを張ったんだ。でなけりゃ、今頃俺たち黒焦げだぜ)
「ああ、ちゃんとお礼を言ってなかった。ありがとう、黒木」
……ん? 黒木が反応を示さないな。
「あー、黒木? 本当にありがとう、助かったよ」
(はいはい、分かったよ! だからその……、礼の言葉なんか言うな。慣れてねえんだよ、そういう、人間の本性? 善意? みてえなやつは。いろいろと理解に苦しむぜ。神様直属で働いてると、余計そんな風に思うようになる)
その言葉は、明確に僕の心を穿った。
黒木は『本性』『善意』という言葉を使った。人間の本性には善性を帯びたものもある、ということか?
誰かが答えられる問いではないし、そもそも正解などないのだろう。
悩むのは僕の勝手だ。いや、だからこそ、自分の中での正解――とは言わずとも、近からず遠からず、と言われるくらいの答弁――はできるようになっておきたい。
それはそうと、黒木はどこに向かっているのだろう?
(よし、着いたぜ。降りてくれ)
僕は黒木の腕からゆっくりと降ろされた。樹凛も同じく。
背負われていたのは白亜だった。
黒木は皆を気遣い、特にゆっくりとした所作で白亜を地面に横たわらせた。一片の汚れもない、明るい空間だ。
「こ、ここは……?」
(俗にいう天国、ってやつだな。取り敢えず扉が開くまで待っててやるよ)
「扉?」
ここにそんなものが? 僕はぐるりと周囲を見回した。するとちょうど反対側に、巨大なアーチ型の大扉があった。
素朴な、しかし艶のある美しい木材で建造されており、天国、と言われている場所を守るには十分すぎるほどの荘厳さを誇っている。
それに僕たちが立っているのは雲の上だ。雲はあちこちに浮かんでおり、ただの足場もあれば、小規模な扉が配されている雲もある。
不思議なことに、この空間はとても明るいのに、僕は目に負担を感じなかった。
そうか、全体が真っ白なのではなく、雲は淡いクリーム色をしているのか。
ふと、カスタードケーキを家族で食べたことを思い出したが、僕はかぶりを振ってその思い出を頭から追い出した。
そんなもの、今更望むべくもないことなのだ。余計な夢を見るな、葉桜碧。
ちょうどその時、大きな、しかし慈愛のこもった音が、あたりに響き渡った。
ゴゴン、という重厚な音と共に、扉が向こう側へ開いていく。
黒木に続いて扉を抜けると、そこにはちょうどファンタジー映画から飛び出してきたかのような光景が広がっていた。
玉座の間だ。中世の甲冑を身に着けた騎士が、ぴくりとも動かずに真剣を構え、主のいない豪奢な椅子に至るレッドカーペットを守護している。
玉座の下へ到達するには、些細な無礼も許されない。意図的でなくても、何かあったらすぐに客人は首を刎ねられるだろう。
(さて、後は神様が来るまでちょっと待っててくれ)
「え? 何だって?」
(神様だってば。俺たちの上司! ま、日本支部の支部長、って肩書だけどな)
非現実的かつ膨大な情報量に圧倒される。だがその中で、僕は決定的な事実に気づいてしまった。同時にじわり、と嫌な汗が全身から滲み出る。
「くっ、くくく黒木! 僕たちを今すぐ戻してくれ! でないと僕たち、このまま死んだことにされてしまう!」
(お、おうおう、慌てんなよ! 神様に会う前から騒ぐな!)
「こっちは命懸けなんだぞ!」
(俺だってなあ、他にもやらにゃならんことが山ほどあるんだ! それにさっき言ったろ? あたいらの技量では、あれだけ大勢の野次馬や関係者の記憶操作は無理なんだ!)
そう言われると、僕に勝ち目はない。経験してきた量が全然違うんだものな。
(ふわ~あ……。あたいはちょっくら眠るぜ。神様がやってきたら起こしてくれ)
「お、おい! そんな無責任な……」
僕の悲痛な叫びを無視して、白亜を抱えながら歩いていく黒木。
すると、唐突に小さな扉が現れた。黒木は白亜をお姫様抱っこする要領で、自動ドアをくぐるように向こう側へと去っていく。完全な魔法制御の扉なのだろう。
「ここってどうなってるんだろうね、碧くん……」
「どうって訊かれてもなあ、僕にも分からないよ、樹凛」
ちょこっと僕の学ランの手首のあたりを引く樹凛。不覚ながら、どきり、と心臓が飛び出しかける。まあ、たまにはそういうこともあるよな、うん。
そんな樹凛の挙動のお陰だろう。僕は大きなメリットを手にした。落ち着いたのだ。
いや、ちょっと待てよ。
今の自分を冷静だと豪語するキャラクターに、ロクな死に方をするやつはいない。これは死亡フラグなのか?
それ以前に、自己肯定感の低いキャラクターは、自ら冒険を始めようとすらしないのではないだろうか?
だったら僕は、少なくとも『自信のないやつ』には勝っているということか。
「……ん?」
しかし、僕は僅かに息をついて、そんなはずはないと否定した。
確かに今、この瞬間には、僕は自信に満ち満ちているといってもいいだろう。
だが、それは僕の胸中に元から存在した物だろうか? ――否。
ここ数日の間に、異常な出来事があまりにも起こりすぎた。
赤い右目、すなわち魔眼の力の行使。それに伴う西浦たちの撃退や、植物状の怪物の駆逐。
どれもこれも、僕自身が諦めつつも望んでいる事柄だった。いや、怪物との遭遇は想定外だったけれど。
それはさておき、これは自信と呼べるだろうか? 自らを自信家だと宣言してもいいのだろうか? 自信過剰に陥って、何か大切な物事を忘れてしまいやしないだろうか?
いいじゃないか、そんなこと。
胸中で怪しい声が囁く。
今の僕は、かつてない全能感を覚えている。それでいいじゃないか。
かかってくるやつは吹っ飛ばすし、害を為すなら叩きのめす。オーバーキルってやつだ。
「……」
いや、やっぱり何かが違うな。自分では望んでいなかった、贅肉のようなものが蠢くのを感じる。自信過剰ということか。
額に手を当て、しばし俯く。すると、軽く肩を叩かれた。
樹凛だ。本当は、彼女がいることにはとっくに気づいていた。でも、今の今まで声をかけるどころか、振り返ることすらできなかった。
「碧、くん」
「ん、どうしたんだ、樹凛?」
「怖い顔してるよ、大丈夫?」
「大丈夫なんじゃないかな。たぶんね」
「たぶん、ってどういうことなの? 曖昧なこと言わないで!」
樹凛は僕の肩を引っ掴み、前に回り込んできた。
「碧くん、自分が今どんな顔してるか、本当に分からないの?」
その一言に、僕はようやっと顔に手を遣った。頬も目も鼻先も口のあたりも。
「……なんともないみたいだけど。樹凛は僕の顔のどこを?」
すると樹凛は驚きに目を見開いた。みるみる顔が真っ赤に染まっていく。
そして、凄まじい勢いで右手を振るった。
バシン、と明瞭な打撃音が響き渡る。
「少しは自分の心配をしなさいよ、馬鹿!」
「え、あ」
左頬がじんわりと熱を帯びていく。事ここに至ってようやく、僕は自分が樹凛に平手打ちをされたのだと察した。
「……ごめんなさい、碧くん」
「いや、ちょっと僕も、今どうにかしているんだ。おかしい状態だってことは分かってるつもりだよ。樹凛が謝る必要はないって。それよりよく頑張ってくれてると思う」
「あ、碧くん、あのね? こんなところで言うのも変なんだけど――」
樹凛は顔を上げ、何かを言いかけた。が、しかし。
玉座の間の全体を震わせるほどの轟音が、僕たちを揺さぶった。
荘厳な装飾品が接触し、甲高い音を立てる。
「何だ何だ!?」
揺れが収まるのを待って、僕はゆっくりと立ち上がる。そして、荘厳たる空気感を生み出しているものを見た。小さな竜巻が、部屋中央に唐突に出現したのだ。
甲冑たちが敬意を表すべく、騎士の礼に則って剣先を石畳の床に軽く突く。
竜巻は現れた時と同様に素早く消え去った。
いったい何だったんだ?
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