第12話


         ※


 通学路を右に折れて、手狭な道を進む。すると、だんだん周囲の建物の高さが上がってきて、地方中枢都市の名に恥じない大通りを形成する。


 その間、白猫が僕の前を、黒猫が僕の後ろを警戒しながら歩みを進めていた。随分と慎重な移動だが、この猫たちは只者ではあるまい。


 横断歩道の手前で立ち止まった僕は、小声で猫たちに尋ねてみた。


「あの、君たちは白亜と黒木なのか?」

(気づくのがおせえんだよ。嬢ちゃんなんてあんたを心配して心配して……)

(だからわたくしたちで、碧さんを合流させようと決定したのです。最初からわたくしが護衛としておそばにいられればよかったのですが、なにぶん黒木から報告を受けたのが、碧さんが家を出られてから約三分後でして)

(だから大丈夫だって言っただろう、あんちゃんを迎えに行くのは俺だけで)


 シャーシャーと唸り声を交わす二人(二匹?)。それを宥めつつ、僕はその先のことを尋ねることにした。


(その先? ああ、俺がきっちり説明してやろう)

(黒木、あなただけでは駄目です。日常的に粗野なあなたでは)

(なにおう!?)


 黒木の噛みつきを軽く尻尾でいなし、白亜は続ける。


(最初は碧さんに追いついてから事情を説明させていただこうと思っておりました。が、なにやら不穏な連中と戦っていらしたご様子なので、しばらく静観させていただきました。いつの間にあれほどの武術を習得なさったのですか?)

「い、いや……。身体が勝手に動いたっていうか」

(おい、サングラスをつけておけよ。あんたがオッドアイだってことがバレちまう)

「わ、分かった」


         ※


 大通りを横断して直進すると、樹凛のマンションは目の前だ。

 ひがんでいるわけではないが、羨ましいなとは思う。

 樹凛の家族は、全員の仲がいいのだ。僕たち葉桜家とは対照的で、家族全員が互いに信頼の情を抱いている。


 幼稚園時代から友人だった僕と樹凛は、よく互いのマンションを行き来して遊んだものだ。それこそ、積み木やお絵描きで遊ぶ年代から、テレビゲームに興じる年頃になるまで。


 緩やかな坂を上りながら、僕は軽い溜息をついた。


「またお邪魔するとか、樹凛に彼氏ができたら絶対無理だよな……」


 すると突然、僕の前を歩いていた白猫が振り返った。またシャーシャー言っているが、その対象は僕らしい。何か失言をしただろうか? 気に障ることでも?


(おい白亜、なにごちゃごちゃやってんだよ。坂が上れない? そんな歳か?)

(あなたよりはずっと若いですわ、黒木! わたくしは、地球時間ではまだ三桁いったばかりですわよ!)

(ま、そのへんはかなり融通利くからな、俺たち。で? 何だよ、碧に言いたいことがあったんだろ?)


 ぴたり、と白猫の動きが止まった。

 かと思いきや、再び甲高いで喚き始める。どうなってるんだ、これ。


 僕が助け舟を求めて黒猫の方を見ると、彼女までもが首を傾げている。黒猫形態時の黒木にも、今の白亜の考えが読み取れないらしい。

 黒木は溜息を突き、眉間に手を当てるという人間臭い動作を、猫の身体で見事に表現してみせた。


(ご機嫌悪くございますので話しかけるな、とでも言いたいんですかね)


 付き合いが長いからなのか、黒木は白亜の言いたいことを言い当てたらしい。

 むっとした白亜は黙り込み、つんと顎を突き出すような動作を一つ。みゃあ、と一言鳴いて、また歩み始めた。


(これだから近頃の若いもんは……)

「僕の前で言わないでくれ、黒木」


 なんだかとても申し訳なくなってきてしまうじゃないか。

 そうこうするうちに、僕たちは樹凛のマンションに到着した。透明な回転ドアがあって、住宅というより海外の駅のホームのような印象を受ける。


 いつの間にか天空からは、光の柱が二頭の猫の上から降り注いでいた。僕は反射的に腕で自分の目を覆う。

 それもほんの僅かな間のこと。光の柱はすぐさま収束し、そこには自分の装備を点検する白亜と黒木の姿があった。

 最近、やたらめったら眩しいものばかり見ているな。僕の目に害になっていなければいいのだが。


 光が薄まったのを確認して、僕は二人に声をかけた。


「さっきはありがとう、殺されるところだったよ」

(何を仰っているんですか、碧さん! あなたの方こそ、死人を出しかねない勢いだったのですよ!)


 ずいっと詰め寄ってくる白亜だったが、黒木がそれを引き留めた。


(いいじゃねえか、あんな野郎。ガキ大将の風上にも置けん)

「でも黒木、その言い方だと『ガキ大将』という人間の存在を肯定しているように聞こえるけど」

(ああ。否定しちゃいねえよ)


 黒木は僕の両肩を自分の両手で叩き、語り出した。


(あたいが自分の経験から学んだことさ。群れを作る生き物ってのは性質上、どれだけ働くかが割合的に決まってくる。普通に働くやつ、怠けるやつ、おこぼれにあずかるやつ。どれも群れには必要だが、どうしても必要なのは統率するやつだ。まあ、統率する、ってのもいろんな種類はあるけどよ)

(黒木、話の続きはアジトに入ってからにしましょう。光の柱を使用してしまった以上、敵の目に触れた可能性がある)

(おう、そうだな。ついてきな、碧)

「あ、ああ!」


 置いてきぼりを喰らわないよう、僕は大股でマンションのエントランスに踏み込んだ。


         ※


 白亜たちが使っているのは、一階の端の部屋だった。真新しい建築物の匂いと梅の木の香りが重なって、新生活の始まりを演出するのに一役買っている。

 白亜と黒木に従って部屋に入ると、がばり、と謎の人影が顔を上げた。うすぼんやりした目つきでこちらを見た人影、樹凛は、みるみる瞼を吊り上げた。


「碧くん! 碧くんだよね!?」

「えーっと、ああ、うん」

「怪我はない? 疲れてる? お腹空いてない?」


 そんな矢継ぎ早に訊かれてもな。


(樹凛さん、そう焦らずとも、碧さんは逃げたり致しませんわ)

「でも、また誘拐されたら――」

(大丈夫です、今度こそ、あなた方お二人の身柄は、わたくしと黒木が必ずお守り通してご覧に入れます)


 口角を上げ、ふっくらと頬を膨らませる白亜。彼女の姿に、僕は胸中の氷がゆっくりと溶けていくような感覚を得た。

 

 よく見ると、樹凛のベッドの回りに半透明のカーテンがある。いや、違うな。あれは多分、防御兵装の一部だ。でなければ、白亜も黒木も、樹凛を置き去りして僕を迎えにくるはずがない。


(黒木、周辺の警戒を頼みます)

(……)

(黒木? どうしたのです? 応答なさい、黒木!)


 こめかみに手先を当てる白亜。思念を読み取るのに集中しているのだろう。しかしそれが、僕たちにとって決定的な隙を生むことになってしまった。


 バリン、と鋭い破砕音がした。大通りの反対側、裏路地からだ。

振り向くと、外側から内側へとガラス片が飛び散ってくるところだった。


「きゃあっ!」

(二人共、伏せて!)


 僕はぐっと樹凛の手を引き、部屋の隅に追いやった。白亜は攻撃魔法である青い光弾を発するべく、右手を窓へと翳す。


(来ますわよ!)

「ひっ!」


 白亜の言葉に、僕は思いっきり樹凛の身体を引き寄せた。

 守りたいだのなんだのというわけではなく、単に僕が弱虫だったから。

 誰かに縋っていないと、生きられないと思ったから。

 樹凛を失ったら、自分の生命線が断ち切られると感じたから。


「頭を下げて!」


 僕は叫んだが、周囲の騒音で樹凛には届かなかった。

 窓の外にいる敵に対して、白亜が迎撃を試みている。僕の視界全体が、素早く真っ赤な点滅を繰り返す。


 敵はどうやら、窓から侵入を試みているようだ。だが、本体が見えない。

 そうか。今、敵が使っているのは自分の身体の一部、トカゲの尻尾のようなもので、陽動に使える代物なのだろう。


 この時、僕は致命的なミスを犯していた。

 のんびり分析するばかりで、白亜を援護する、という発想がなかったのだ。


 だからこそ、また驚かされてしまった。白亜の背後、すなわち部屋の反対側から、ドアをぶっ飛ばして新たな尻尾が雪崩れ込んできたのだ。


「白亜ッ!!」

(!!)


 僕は無我夢中だった。尻尾のうちの一本に抱き着いて、台所から吹っ飛んできた包丁を手に、何度も何度も斬りつけた。が、しかし。


「くそっ! なんて固いんだ!」


 分離されたら動かなくなるだけの尻尾のくせに、包丁の方が先に刃こぼれを起こした。

 僕は再度、樹凛の下へと駆け戻り、今度こそ彼女を守ろうと立ちはだかった。


 いったい僕は何をしている? ――考えている。

 いったい何を考えている? ――白亜を援護する方法を。

 だったらいい手段があるじゃないか。――え?

 自分が自分でなくなっていく感覚が恐ろしくて、気づかないふりをしているだけなんだろう?


 僕ははっきりと自覚した。全身の血が煮立って、骨も筋肉をいい感じに熱を帯びている。末端神経や毛細血管も、その隅々までもが攻撃性を帯びて振動している。

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