第9話


         ※


 唐突にスマホが鳴った。着信だ。

 こんな時間にかかってくるとは、きっと相手は樹凛だろう。彼女や黒木に何かあったのだろうか?


 スマホを取ろうと腕を伸ばす。するとその腕がぴくり、と震えた。

 何を躊躇しているんだ、僕は? 一分一秒を争う事態だったらどうする? ビビっていれば助かる、なんて思うな。


 ええい、どうとでもなれ。僕はようやっと『通話』ボタンを押し込んだ。


《もしもし、碧くんだよね? そこに白亜さん、いるんでしょ? 彼女を連れて、とにかく逃げて! 電波……態が……から、今すぐ自宅……脱出……》

「ん? どうしたんだ、樹凛? おい樹凛? 樹凛!」


 こうして通話は途切れてしまったが、それでも情報の中身は推察できる。


 まず、僕の家は既に『何者か』によって狙われている。フットワークの軽い、迅速な動きの可能な存在に。

 次に、この周辺で起こっている電波・通信障害。そのせいで樹凛や黒木とは連絡がつかなくなった。


 そして、その『何者か』が恐ろしく強いということ。そうでなければ、黒木がさっさと『何者か』を仕留め、直々に詳細を教えてくれたはず。今の黒木はスマホを握れないほどの手傷を負っているかもしれない。


(碧さん、我々もここを離れましょう。わたくしと敵が戦闘体勢に入った際、あなたを気遣う余裕はないかもしれません。お早く)

「ああ、分かった!」


 本当なら、ジャージやらスニーカーやらで完全武装し、いざともなれば白亜に背中を任せて駆け出す算段だった。

 僕はそのまま玄関へ向かう。そして口をぱっくり開けて、固まってしまった。


 件の敵たる『何者か』と、見事に鉢合わせしたのだ。その形相に恐れをなし、足を滑らせて転倒。


(碧さん、伏せて!)

「ひっ!」


 その頭上を、数十本もの氷柱のような鋭利な物体が飛翔。『何者か』を串刺しにしていく。


(碧さん、早くこちらへ! 裏口から脱出を!)


 僕は白亜に思いっきり後ろ襟を引っ張られた。和室に放り投げられ、勢いよく畳の上に落っこちる。


「ぼ、僕だって戦える!」

(黙ってください! あなたに傷一つでもつくようなことがあれば、わたくしの任務は達成できないのですわ!)

「じゃあ、君に命令を下している誰かがいるんだな? その人を説得できれば、君や黒木が戦う理由は――」

(話は後で!)


 この期に及んで、僕はようやく『何者か』の姿を眺めることができた。

 一言で言えば、巨人だ。体高二・五メートルはあるかという巨体を有し、禿頭、というか頭蓋骨が丸出しになったような頭部が天井を擦りそうになっている。


 醜悪に歪んだ顔に、上半身には防弾ベスト。肘や膝にはプロテクターを装備し、下半身には膝丈の脚絆を身に着けている。


 日本で言うところの『鬼』に、海外ファンタジーの『トロール』を合わせたような外見。それに人工的な武装を施せば、こんな風になるのだろう。


 僕はバシン、と両頬を叩いて、自身を落ち着かせた。


「だったら……!」


 まだだ。まだ戦場の下準備が足りない。僕は窓から裏口へと下りた。できる限り、音を立てずに。そのまま激戦の繰り広げられている玄関へ向かい、戦況を窺う。

 巨人は家の玄関扉を破り、廊下の中央あたりまで攻め入っていた。これに対して白亜は――。


「ッ!」


 白亜のやつ、出血しているじゃないか!

 右腕はだらん、と垂れ下がり、左手に握った短刀だけで戦っている。

 時折何かを喋っているように見えるのは、呪文の詠唱だろうか。


 すると唐突に、白亜は左手をひらり、と漂わせた。魔法陣を巨人のいる方へ広く展開し、それを思いっきり蹴りつける。それを邪魔だと感じたのだろう、巨人は何の武器も持たない腕を引いて、魔法陣を殴打した。


 一瞬で粉砕された魔法陣。だが、まさにその一、二秒前、白亜は自身の身体を縮めて跳躍していた。跳ね回って巨人を混乱させ、その隙に勢いよく自らを道路の反対側へと跳ね飛ばす。

 

 白亜が着地したのは、家の玄関前を走る道路の向かい側、なんの変哲もない材木置き場だ。


 白亜の姿はすぐさま人型に戻り、巨人を迎撃すべく短刀を腰だめに構えた。


 巨人もそれを追って、道路をがむしゃらに横断。乱入する者がいないところから察するに、白亜と巨人のどちらかが人払いの魔法でも行使したのだろう。僕が動けるのは、魔法発動時に既に人払いの範疇にいたからか。


 そんなことを思いつつ、僕の脳みその別な部分は、具体的な作戦について考えていた。

 悪くない案は浮かんできたが、問題はこの作戦を、どうやって白亜に伝えるか、だな。


         ※


 ふわり、と何かが舞い降りてくる気配に、僕は振り向いた。


「黒木さん!」

(おう)


 僕の心は浮きたった。黒木は無事だ。ということは、助太刀に来てくれたのか!

 しかし、黒木の姿をよく見るに、そんな希望的観測は消し飛んだ。


 片腕は奇妙な方向に曲がっていて、足も片方を引き摺っている。

 顔は常に、痛みに対抗すべく歪んでいる。

 来てくれたことには感謝すべきだ。しかし、戦力として期待はできない。


 いや、待てよ。あれだけ面倒くさがりだった黒木が、なんの狙いや勝算もなく現れるだろうか? 今、巨人を倒す計画があるのは僕だけだ。


「あ、あの! 僕に、あの巨人を倒す作戦があります。白亜に伝達してください。人間から伝えるより、天使同士の方が都合がいいんでしょ?」

(ん? そりゃあそうだけどよ。ひとまずその作戦とやら、拝見するぜ)


 そう言って、黒木は僕の額に手を当てた。こうやって情報を読み取るのか。

 ううむ、緊張するなあ……。それにしても、脳内情報を外部に直接伝えるというのはこういう感じなのか。頭というより全身が、ほわほわと所在なく漂い出しそうになる。


(トレース完了! 早速行くぜ! おーーーーーーい! 白亜、聞こえてるかあぁあ?)

(黒木? そんな、人払いの魔法の効力が――)

(話は後だ。碧が面白いことを言い出してな、それをあんたに伝えてやる。戦闘中に悪いんだが――)

(言うなら早く! わたくしも、もう長くはありません!)

(了解。大船に乗ったつもりでぶちかませ!)


 ひゅん、と甲高い音と共に、白亜は何かを空中でキャッチ。そして、それに向かって思いっきり頭突きをかました。


「ちょっ! 白亜はいったい何を……?」


 気づいた頃には、白亜の頭部は薄い緑色をしていた。

 そうか。黒木は僕から抜き取った記憶や作戦を物質に転化し、それを白亜は自らの脳内に叩き込んだのだ。


(了解、作戦に準拠して体勢を立て直しますわ)


 それから、白亜の動きが変わった。ただのヒット・アンド・アウェーではなく、どこかへ巨人を誘導しようという意図が見えたのだ。


(黒木、私が巨人の注意を引きます。あなたが背後から巨人の頸部を破壊してください!)

(え、あたいがぁ?)

(戦闘中に感じました。真正面から相手をできるほど、巨人の装甲は柔なものではありません! あなたの武器で、背後から思いっきり首を刎ねてください!)


 黒木は小さく舌打ちしたが、参戦するのにまんざらでもない様子。そして得物を背後から取り出した。鈍色に輝く小振りな鎌を。


         ※


 僕はぐっと顎を引き、白亜と黒木の戦闘に見入った。

 バックステップを連発し、フェイントをかけながら道路を再度横切る白亜。

 鎌を手元で弄びながら、ぐぐぐっ、と膝を曲げて姿勢を低める黒木。


 実際はほんの二、三秒間の出来事だっただろう。しかし、その僅かな時間こそが、索敵必殺の要たるタイミングだった。

 わざと転倒する白亜。彼女を踏みつけようと、思いっきり足を上げる巨人。そして、一瞬で姿を消した黒木。


 直後、雷に打たれたかのような衝撃が全てを揺さぶった。

 重く、耳に捻じ込まれるような轟音に圧倒されたのだ。


 僕は三半規管をやられてしまったようで、一時的に聴覚と身体のバランスを失った。それでも、黒木の後ろ姿からは目を離せない。

 天使とはいえ、あんなに高速で動けるのか? いや、だからこそここに派遣されたのか。


 巨人の首が落っこちてきたのは、ようやく今になってからのことだった。

 黒木の斬撃を喰らった直後から数えて、およそ十秒後。


「どれだけ宙にいるつもりだったんだよ……」


 ……あれ? 足元が円を描くように回っている。目を上げれば、視界の隅から隅までが奇妙に波打っている。

 

「人払いの魔法を解除してるのか……」


 白亜が駆け寄ってきて、さっと腕を伸ばして僕の後頭部を寝かせる。そうでなければ、今度こそ僕は後頭部を地面に打ちつけていたに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る