第7話【第二章】
【第二章】
翌日。
取り敢えず朝のルーティンを済ませてから、僕は白亜と黒木を引き連れて学校へ向かった。当然ながら二人共、人間とは異なる存在である。今は誰にもバレずに登校できているようだ。
気がつくと、僕の足は緩やかな上り坂に沿って歩いていた。中学校から高校までの三年間、通学路の最終段階としてあり続けた緩やかな坂道。両脇を固める桜の木々から息を吸ってみたが、まだ満開ではないらしい。
そうか、また三年の付き合いになるわけか。この坂道も、桜の木々も。
よろしくお願いします、と僕は胸中だけでお辞儀をした。
そんな平穏極まりない学校だが、全国からの入学志望者が絶えない。なんでも、生徒一人当たりに割り振られる教員の人数が桁違いなのだとか。
そのお陰なのだろう、卒業後に突然海外の大学院に飛び級していく人もいる。
……僕には無縁の世界だな。
さて、僕は今、二つの問題を抱えている。
一つは、自分がもうすぐ死んでしまうらしいということ。いざ考えてみると、正直実感が湧かない。逆に実感があったとしたら、慌てて逃げ出すところだ。白亜のうっかりさんによる言葉に対し、僕は意外と危機感を抱いていないらしい。
そうは言っても、死を回避できる策はあると聞かされているからこそ、だろうか。
その策が、天使二人にも詳細不明とのこと。今は情報収集と事態の展開を慎重に見ていくしかない。
もう一つは、樹凛もまた同様の状況にあるということ。
幼馴染で同級生、ということ以外に接点はないが、よくある戦隊モノのヒーロー番組で、人質に取られるタイプのような気がする。
大丈夫なのか? 死ぬかもしれないんだぞ? と、僕はこの場所にいない樹凛に向けて問いただしたくなった。仕方ない、学校で合流してから考えよう。
そんな思索に耽っていると、白亜が軽く俺の肩を叩いた。
「どうしたの?」
(わたくし共も、碧さんと樹凛さんにお供いたします)
「えっ? でも校内には入れないよ? ステルス機能があるのはいいにしても、物体としての身体を消滅させることはできないんでしょ?」
(おいおい碧、俺たちを舐めてんのか? 三百年も人間の生き死にを司ってきた天使様だぜ?)
黒木は肩を竦めて余裕で浮き上がり、俺をビシリと指さした。
そんな彼に向かって、殺気のこもった眼光を飛ばす白亜。だが、すぐに溜息を突きながら再び僕に顔を向けた。
(わたくし共には、碧さんと樹凛さんを全力でお守りする義務がございます。同行するに越したことはありません)
「同行するって言っても、どんなメリットがあるのさ?」
そう尋ねてみると、白亜は淡々と状況を解説し始めた。
前提として、現在この街の周辺で悪霊の活動が活発であること。そいつらを駆逐する部隊編成も為されてはいる。だが、その出動前に危険な目に遭う恐れが高いのが僕と樹凛だったのだとか。
しかし、相手は天使だの悪霊だの、人間社会に馴染み深いとはいえない連中だ。
だからこそ、しばしの護衛として白亜と黒木が一歩先に降臨した、ということなんだそうだ。
危険を知らせる時のタイムラグが極限まで零にできること。
他人からは、滅多なことではその姿を見られはしないということ。
僕と樹凛には、なんとしてでも生きて貰わねばならないということ。
三つ目がなんのことなのかよく分からない。
そりゃあ、天使だ悪魔だと信じ込んでいる人間の方が少ないだろう。だが、姿を見られる可能性が零でない限り、誰かの目に留まり、認識される時のことも考えねば。
専門家である白亜と黒木はその道のプロだ。
人間二人の意見より、プロ二人の経験則の方が、よほど確度が高いだろう。
僕は白亜と黒木の間に割って入り、分かった分かったと両腕を広げてみせた。
※
さて、混み合った昇降口で、僕は急ぐともなくぼんやり周囲を眺めていた。
なるほど、国が金をかけるわけだ。壁や窓はピカピカで、しかし元から綺麗な内壁を削り取ってしまわないよう、円形の清掃機械があちらこちらで微かな唸りを上げている。
「そっか、今日から先は、ここが昇降口になるんだな……」
(碧さん、あまり時間がありません。お早く指示された教室へ)
(了解)
突き当りを右に曲がり、コの字を描く校舎内の様子を思い返す。
(ねえ白亜、樹凛と黒木は?)
(順調に教室に着いたようです)
(よかった)
こんなの、心配する側とされる側が正反対じゃないか。そんなことは、僕自身がよく分かっている。
逆に、ここで僕が樹凛を助けるような場面に落ち着いたとしたら、同級生たちは一斉に首を捻ることになるだろう。
そこから先はスムーズに、僕たちは教室に到着。自分の名前に誤字がないか確認し、さっさと席に就く。
「あ、今日の日程表はっと……」
鞄から、オリエンテーションで配布された日程表を取り出す。既に体操着やシューズなどの備品の購入は終わっている。今日は午後から入学式が行われるだけで、その後は完全にフリーなはずだ。
「おっと、博士くんのお出ましじゃないか!」
「葉桜くん、久しぶり!」
「ああ、おはよう。皆も元気そうだね」
今までとは違う校舎を歩いてきたものだから、同級生の顔を見るとほっとする。
この学校は中高一貫、エスカレーター方式なのだ。対人恐怖に陥る恐れはない。
僕は自分の胸元に拳を当てて、静かに胸中で呟いた。
が、しかし。嫌なものというのは、忘れた頃にやってくるものだ。
始業チャイムが鳴り響いている間のこと。のっしのっしと、その巨体を活かし、他クラスの生徒たちを圧倒しながら、やつは迫ってきていた。
「ふう! 間に合ったぜ!」
教室の前扉から入ってきたそいつは、どすん! と音が聞こえるような勢いで椅子に腰を下ろした。
「おおい、誰か飲みモン買っておけよ! 気が利かねえなあ!」
こいつの名前は、西浦剛。根っからのいじめっ子であり、はっきり言って性根が腐っている。他人をモノ扱いし、パシリにし、取り巻きを引き連れてクラスメイトを恐喝する。
そんなクズ野郎の、今一番の『おもちゃ』はというと――。
「よう、碧! 元気かぁ?」
僕が僅かに肩を震わせると、それを予測していたかのように、西浦の腕でヘッドロックをかけられた。
「!」
「生憎俺は今無一文でなあ。ちっと金貸してくれねえか?」
返せる見込みはあるのか? そう問いかけてやりたかった。だが、相手が悪い。悪すぎる。
結局僕は、財布から小銭を取り出す――前に、財布を分捕られてしまった。
「ほれ。今日の分、世話になった礼だ。取っとけ」
いや、どうして三千円も握っているんだ? っていうか、財布は? 財布に入っている僕の身分証や保険証は?
ここまでやられても、僕に怒気や闘志が湧いてくることはない。
諦めてしまっているのだ。僕も、教諭も、友人も。
これがいつものことなのだ。何不自由なく暮らしていくための、必要な犠牲なのだ。それで僕は、生贄として前線に立たされる。こんな人生、畜生だ。
このままでは落とされる。そんなことをやっても平気なのが、西浦の西浦たるゆえんなのだ。僕の視界が狭まり、赤らんでくるのが分かる。今回もまた、僕は保健室送りか。
そう思った、まさに直後。
ぐっと何かを強く握りしめる音がして、同時に僕の全身から緊張感が失せた。
「おっと! 俺とやろうってのか、碧?」
嘲りの響きが込められた、挑発の言葉。しかし僕は冷静に、さっと腕を伸ばし、西浦の右腕の肘の裏を掴んだ。
突然の反撃に怯んだのか、西浦は腕の力を緩めた。この機を逃さず、僕は彼の右肘から先をバタン、と自分の席の上に叩きつけた。
「ぐあ!? て、てめえ! 何しやがる! 放せ、その腕を放して――」
激痛で涙ぐみながらも、悪あがきを止めようとしない。根性があるな。じゃあ、これはどうだ?
僕はじっと西浦の顔を見つめた。これが今まで、散々僕を苦しめてきたやつの顔か。
「なるほど、道理で醜いわけだ」
「ギ、ギブ! ギブアップだ、もうお前をいじめの標的にはしないから――」
なるほど。他の人間だったらいじめてもいい、と? 都合のいい話だな。
だったら、その連鎖を今ここで終わらせてやる。
周囲に野次馬たちがいなくなっているのを確認してから、僕はアームレスリングの要領で、西浦の右腕をぐいっと無理やり捻じ曲げ、ぱっと手を放した。
メキッ、とさっきよりも嫌な音がした。関節が脱臼でも起こしたのだろう。
当の西浦本人は、僕の右隣の机に向かって派手に突っ込んだ。後頭部を強打したようだが、命に別状はないだろう。それより、右腕はどうだろう。しばらくはまともに使えまい。
(おい、おい碧!!)
「ん?」
(あーったく! 何を堂々としていやがるんだ、てめえは! 今はトンズラするぞ!)
「トンズラ? なんで?」
(いいから急げ! 荷物はどうなっても構わねえ、とにかくここから離脱するんだ!)
よく分からないが、反論する理由もない。僕はやたらと黒木に急かされながら、速足で下校時と同じ道のりを辿って帰宅した。
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