第6話


         ※


「ああ、そうだ」

「どうかしたの、碧くん?」

「今日って入学式だったね、高校の」


 僕がそう呟くと、残る三人は歓喜の舞をやめて、ギシギシギシギシ、と機械じみた動きでこちらを見た。

 

「なっ! それマジ? マジなの碧くん!?」

(入学式というのは、人間にとっての重要な通過儀礼なのですよね!? それをわたくしたちのせいで台無しにすることはできませんわ!)

(あー、あのお偉いさんの笑えねえ話を散々聞かされるやつかぁ。いいんじゃねえの? 別にサボったって)

(そうは参りませんわ!)


 白亜はいつになく感情的になって黒木に噛みついた。


(本来なら、我々天使や堕天使が一般人と触れ合うのはご法度ですのよ! にもかかわらず、これからは今以上に接触が増えるかもしれないのです!)

(そりゃあまあ、そうだろうなあ)

(いいえ、これだけはハッキリさせなければなりません! 碧くんや樹凛さんには、真っ当な人生を歩んでいただかなければならないのです!)


 そう語る白亜を、黒木は一瞥することもない。代わりに首を回してパキポキ言わせながら、全てを引っくり返すような一言を放った。


(真っ当な人生って、いったい何だい?)

(そっ、それは!)


 と言いかけたが、白亜はすぐさま返答に窮してしまった。


(真っ当な人生、普通の生活なんてもんは、人間も天使も、悪魔だって、みーんな少しずつ違うんだ。多様性、って言うんじゃねえかと思うんだが)


 黒木が僕と目を合わせたので、素直に頷いた。

 するとギロリ、と鋭い目をして、黒木は横目で白亜を見つめた。


(白亜、何かあったのか? この任務に着いてから、なんつーか、情緒不安定に見えるぜ)

(そっ、そんなことはありませんわ! 先ほどだって、この家に強襲を仕掛けてきた連中を迎撃できましたし――)

(そうじゃねえ。戦績じゃなくて、立ち振る舞いだ。俺みてえな堕天使ならまだしも、お前は立派な純正の天使様だ。それなのになんつーか……荒っぽく見える)


 黒木のやつめ、随分と攻勢に出ているな。正論だからこその攻勢、ではあるのだが。白亜の態度、立ち振る舞いは、僕にはそんなに雑には見えなかった。


 起床したばかりで記憶が混乱しているのかもしれない。だが、逃走を図った敵に放った光弾の輝きは、何故か他の記憶に埋まろうとしなかった。

 もしかしたら、暴力的になった白亜には気をつけろ、と警告を促しているかのようだ。まあ、事態がどう転んだところで、気をつけるも何もないと思うが。


(悩みなんてねえ方がいいだろうがな、白亜。てめえもどっかにセーフハウスの一つや二つ、持ってみたらどうだ? 家を建てろって意味じゃねえ。気持ちの問題だ。そう片肘張るなよ。俺がバディとして援護してやるから)


 饒舌な、かつ心を打つような言葉の連なりが、黒木から僕たちへと優しく投げかけられる。語られるごとに、白亜はだんだん俯いていく。


 すると、唐突に彼女は立ち上がった。泣き顔を見られたくないのだろう。

 が、しかし。


「うっ、うわあああああああん!!」


 僕と黒木は同時にズッコケた。挙句、白亜までもが足を滑らせ、壁に頭部を打ちつけた。


(おい樹凛! どうしてお前が泣いてるんだよ!?)

「だ、だって、黒木さんのお話があんまり感動的だったから……」


 そりゃあ、僕だって否定はしない。しかし、それを話題に載せるタイミングというものがあるじゃないか。今は作戦会議中のはずだが……。


(お前さんも苦労が絶えねえな、碧)

「え? あ、まあ」


 俺の肩に身体を預け、黒木が穏やかな口調で語りかけてくる。


(俺は白亜の馬鹿を黙らせるから、お前さんは嬢ちゃんの面倒を見てやれ。お互いカップリングとしちゃあ悪くねえだろ? お互い幼馴染だからな)

「はっ?」

(ま、精々上手くやるこった。任せたぜ)


 それだけ言って、黒木は来た時と同じドアから出ていった。


         ※


「ところで、白亜に訊きたいんだけど」

(はい、なんでございましょう?)


 すっかりいつものシスターさんスタイルを取り戻した白亜が、僕の問いかけに耳を貸してくれた。


「あなたたちの任務は、亡くなった人の魂を成仏させることだっていう認識でいい?」

(左様です。しかし、どうして今頃、そんな確認を?)

「ああ、もしそうだとしたら、天国に逝ってから君たちは超有名人、ってことになるんじゃないかと思ったんだ。現世を生きている僕たちには到達できない、死後の世界みたいなところで」

「いえいえ、そんなことはございませんわ」


 軽く首を振る白亜。


(縁起でもないお話ですが……。わたくし共がお世話させていただく方というのは、お顔に特徴が現れているものなのです。碧くんのオッドアイのように)


 ドクッ、と心臓が妙な拍子で脈打った。

 いやいやいやいや。おかしいだろう。

 僕の宝石を思わせるオッドアイ。このことは、家族以外には悟られないように万全の偽装工作をしていたのに。


 いや待てよ? 相手は天使だ。僕の特殊な性質を見破ることなど、朝飯前なのかもしれない。


(碧さんがオッドアイであるかどうか、すなわち天国へと導くのに適切かどうかということの再確認は何度もさせていただきました)


 僕は、ん? という音を喉から発しながら、同時に世界がモノクロになっていくような幻覚に襲われた。


「もしかすると、僕がいつ死んじゃうか、なんてことも、白亜さんは知ってるってこと……?」


 そう尋ねると、今度は白亜が固まってしまった。

 これでもかと目を見開き、口元に手を当て、よろよろと後ずさり。背中が壁に触れたところで、そのままずるずるとへたり込んでしまった。


「僕が、もうじき消えてなくなる……?」


 僕も全身の筋肉や骨に力が入らなくなって、がっくりと尻餅をつく外なかった。

 この悲劇的とも、喜劇的とも取れる馬鹿みたいな空気感を打ち破ったのは、玄関から聞こえてきた威勢のいい出発の挨拶だった。


「いってきまーーーす!!」


         ※


(まったく嬢ちゃんは元気だな。家主さんとは大違いだぜ、ええ?)

「……」


 僕がぽかんとしている間に、黒木がこの部屋にやってきた。妙に憎たらしい笑みを浮かべている。しかし不快というより不可解だな、これは。


 黒木は自らの額に、軽く握った拳をコツコツと見舞った。


(白亜、あたいと嬢ちゃんの会話履歴だ。一言一句読み違えるなよ)

(え、ええ……)


 そう言いながら、黒木はデコピンの要領で何かを弾いた。真っ白なゴルフボールのような物体だ。

 それはふわふわと宙を漂い、やがて吸い込まれるようにして白亜の手中に収まる。

 白亜はそれを握り締め、姿勢を正して目を閉じた。


 きっとこの球体は、黒木の記憶や知識の一部なのだろう。それを簡単に、他者に受け渡しするための魔法が働いたのか。

 それを受け取った白亜は、そっと両手で球体を抱き留める。しばしの間、白亜は目を閉じて、球体から情報を引っ張り出していた。


(記憶の移植は完了しましたわ)


 その言葉に、僕は白亜の顔色を窺った。

 ただし、まったくの無表情である。


(黒木、あなたにお尋ねしたいのですけれど)

(おう、どうした? って、そんなおっかねえ顔しないで――)

(あなたは樹凛さんに申し上げなかったのですか? 碧さんの人生について!)

(だって同じだろ、碧も樹凛も。そう遠くないうちに死を迎える、ってことについては)


 僕だけでなく、樹凛も? どうしてこんな簡単な事実に気づかなかったのだろう。

 僕のリアクションを見た黒木は、白亜に向かって肩を竦めた。


(白亜、よく聞け。もしこの周辺で亡くなる人間が一人だけだったら、どうして俺とお前、二人が一度に派遣されるんだ? どっちがどっちの魂を扱うか、そこは俺たち現場の判断に任されてる。だが、俺たちでは二人の死を回避させることはできない)


 そのくらい知っているだろう? ――そう語りかけるような目で、白亜の方を見遣る黒木。いつものお調子者らしさは微塵も感じられない。それが、今為されている会話の真実性に磨きをかけている。


 僕は再び尻餅をついた。骨も筋肉も、身体全体がバラバラになりそうだ。


(なあ碧。あんた、今どんな気持ちだ?)

(ちょっ、黒木!)

(黙ってろ。この事実を告げるには、あんたは潔癖すぎる)


 牙を軽く見せつけながら、黒木は白亜を黙らせる。


(なあ碧、正直あたいにしても言いづらいんだが……。もし死の運命を回避できる方法があるとしたら、お前は信じるか?)


 無意識にも、僕は何度も頷いていた。それに気づいた時、僕の首回りは筋肉痛を起こしていたかもしれない。


(急がば回れ、っていう言葉もあるしな。まずは涙でも吹いておけ)


 そう言って、黒木はどこから持ってきたのか、バスタオルを差し出してくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る