第6話


         ※


 白亜がふっと息をつく気配を見せたので、僕は身体を起こして声をかけた。


「あ、あの~、白亜さん? 今のはいったい――」

(敵性勢力の排除、ですわ)


 随分さらっとおっしゃる白亜。さっきから黒木が欠伸を連発していることから、もう敵はいないとみていいのだろう。


 って、そんなことじゃなくて。


「白亜、怪我はない? 撃たれてたら大変だけど」

(ご心配には及びませんわ、碧さん。シールドも展開していましたし、それに治癒能力の行使はわたくしの十八番ですので)


 随分と穏やかな口調で仰るものだな、この天使様は。


(なあんだ、俺の出番はねえのかよ! ったく、退屈な職場だぜ)


 軽口を叩く黒木を、白亜は視線だけで黙らせた。


(念のため確認致しますけれど、碧さんも樹凛さんも、お怪我はございませんね?)


 ぶんぶんと首を振る僕。それとは対象的に、樹凛はぽかんとしていた。

 いずれにせよそこにあったのは、さっきまでと同じ、慈愛に満ちた天使・白亜の微笑みだった。


         ※


 僕たちの無事を確認すると、白亜は家の周囲をぐるりとまわって損害が出ていないかを確かめた。


「碧さん、明日にでもお宅の外観を確認なさってください。修復が十分でない箇所がございましたら、なんなりとお申し付けを」

「わっ、わわわ、分かりました……」


 偶然、僕と白亜は同時に顔を上げた。そして白亜は、無表情になって僕の顔を、正確には目を覗き込んできた。


「やはりそうだったのですね、葉桜碧さん」

「そうだった……って、どういう意味?」

「失礼でしたら申し訳ありませんが、あなた様はオッドアイでいらっしゃるのですね」

「あ、あれ? 偽装コンタクトは……?」


 左右で異なる色をしている目を、オッドアイと呼ぶ。

 僕の場合、右目は普通だが、左目が真っ赤なルビーのような輝きを帯びている。だから、それを誤魔化すために左目にコンタクトを装着しているのだ。伊達眼鏡をつけているのも同じ理由である。


 他人様からは隠してきたけれど、もしかしたら天使の存在と僕の左目の輝きには、何か繋がりがあるのかもしれない。まさか、目から魔弾を撃つことなんてできやしないだろうけど。


 僕はこの場にいる三人に見てもらうべく、眼鏡とコンタクトを外して左目を露出させた。

 そばにいた樹凛が、小さな悲鳴を上げる。

 だよな。同級生にこんな化け物じみたやつがいたら、普通ドン引きだよな。


 もしかしたら、生まれつきこんな怪物みたいな容貌だから、いじめられっ子になったのかもしれない。小学生の頃から、ちゃんとコンタクトは装着していたんだけどなあ。


 では、どうして僕はこんな左目――魔眼とでも言えばいいのだろうか――を持って生まれてきたのだろう? こんな自問自答をするのは久々だが、天使なる存在がいて、しかも家が謎の勢力に襲われたとくれば、僕も真剣に考えねばなるまい。

 

(碧さん、偽装コンタクトという言葉を使われましたね? やはり周囲の方々には……)

「うん、バレないようにしてるんだ。そのためのコンタクトだったんだけど」

(わたくし白亜は、決してこの事実を他の方には申しません。しかし、わたくし共天使や、逆の立場にいる悪魔などは、あなたがオッドアイであることを既に察知しております。普通の世界――地上界にいる人間で、このことを知っている方はいらっしゃいますか?)

「あー……、離婚した両親くらい、かな」


 僕は何とはなしに答えた。しかし白亜は眉を上げて、申し訳なさそうに俯いた。


(左様でしたか……)

「うん。まあ、あんまり気にしないでよ」

(このご無礼、どうかお許しを)

「ぼ、僕は平気だから! 顔を上げて」


 と言いかけて、僕ははっとした。樹凛と目が合ってしまったのだ。

 樹凛は相変わらずぽかんとしている。だがそこに驚きや恐怖の念はない。


「どうしたの? 樹凛さん」

「あ、あの、この場の雰囲気で言っちゃうけど……」


 僕は軽く笑みを作った。無理に意識する必要はないと言い切るつもりで。

 すると、樹凛は左目をいじり始めた。彼女もコンタクトを使っていたのか。


「あ、あの、あたしもちゃんと伝えないと、不平等だよね」


 今度は僕が息を詰まらせる番だった。

 樹凛の左目にも、美しい輝きが宿っていたのだ。優しい水色である。


「え、あ? あの、樹凛、君もオッドアイ……?」

「やっぱり気持ち悪い、かな? 目の色が違うって」


 突然の問いかけに、固まる僕。その肩を、黒木がやや乱暴に叩く。

 何かリアクションを取ってやれ、ということなのだろう。だが僕にはそれができなかった。単純に驚いていたのだ。


 僕が感慨に耽っていると、黒木が何かを思い出した様子で入り口に向かった。


(どうなさったんです、黒木?)

(ちょっくら出てくるぜ。すぐに戻る。白亜、例の件の説明は?)

(あなたの帰りを待ちますわ)

(了解だ)


 軽く障子を引き開けて、黒木は出ていった。いや、違うな。するりと通り抜けていったのだ。やはり、物理的存在と霊的存在を行き来できるのか。そりゃあ天使だものな。


 軽く息をつく白亜。

 ここで樹凛が、最も簡単で最も重要な質問を繰り出した。


「白亜さんと黒木さんは、どうして碧くんの下に現れたの? 目的は?」

「樹凛! 突然何を訊いてるんだよ!?」


 僕は慌てて樹凛の言葉を封殺しようと思ったが、会話のボールを渡された白亜は、特に困った顔をしなかった。


(そう、ですわね……。オッドアイの方々を、悪魔から解放するため、でしょうか)

「悪魔?」


 確かに、天使がいるのだから悪魔がいてもおかしくはあるまい。


(悪魔はその性質上、オッドアイの方の近くに現れやすいのです。逆に言えば、オッドアイの方の居場所が分かれば、次に誰のそばに悪魔が現れるか予想もできます)


 そうか。僕がいじめに遭いやすいのは、悪魔が近くにいるからなのか。

 僕が尋ねると、白亜はすぐに頷いてみせた。


 いや、待てよ?

 それが事実なら、樹凛も大きな不幸に見舞われたことがあるのではないか?

 あるいはその不幸に、これから巻き込まれてしまうとか。


 僕は自分の背骨に沿って、冷え切った不快な汚泥が流れていくような感覚に囚われた。

 樹凛は大切な幼馴染だ。そう易々と、彼女が悲嘆に暮れるのを見逃すわけにはいかない。


 樹凛が学校で陽気なキャラでいられるのは、苦労を隠しているからなのか、それともまだ苦労にぶつかっていないからなのか。

 考えているだけでは何も始まらない。いっそこの場で訊いてしまえば――。


 そう思った矢先のこと。部屋を賑やかな電子音が満たした。


「あ、ごめん! あたしのスマホ。お母さんからだ」


 通話を始めて退室する樹凛を見ながら、僕は白亜を見遣った。


「白亜、樹凛の身にも不幸が起こるとしたら、それはいったい……?」

(それが分からないのです、碧くん)

「え、わ、分からないって……。天使なのに?」


 僕が目を細めると、白亜は肩を落とした。


(天使とて万能ではありません。でも、一つだけ確かなことがあります。樹凛さんの場合、これから近いうちに大きな不幸に見舞われるということです)

「近いうちに……」


 僕は心にぽっかり穴が空いたような気分になった。原因も何も分からないのなら、不幸を防ぐ手立てがない。


(碧さん、今からわたくしと黒木は、あなたと樹凛さんの護衛として生活のお手伝いをさせていただきます。容易に安全ですよ、とは申し上げられません。それでもわたくし共は全力を尽くします)


 僕はじっと、白亜のネイビーブルーの瞳を見つめた。


「分かった。早速お願いするよ」

(かしこまりました)


 こうして僕たちは、今日のところは解散した。

 今日が入学式であることなど、頭の中から綺麗サッパリ吹っ飛んでいた。

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