第4話
※
ぞろぞろと四人(二人と二体)で来た道を引き返し、僕たちは葉桜家の和室で落ち着いていた。
僕がインスタントコーヒーを用意している間に、白亜と黒木が面白い話をしていた。樹凛も夢中で聞き入っている。
天使のことは、人種や信仰の対象の差異によって様々な呼び方があるという。
大仰な話だが、『神の使者』『天の番人』、果ては『魂の判別審』とまで呼ばれている。
白亜はいかにもシスターさん、といった風貌。彼女の周囲では空気までもが穏やかになりそうな雰囲気。大空を背景に凪ぐ大洋のような青い瞳が印象的だ。
対する黒木は、むしろ悪魔っぽい。デスメタルバンドのヴォーカルのような、銀と黒のジャケットにダメージジーンズ。瞳はギラギラと鋭い光を発していて、とても白亜の同業者とは思えない。
(わたくしたちは、天国行きが決定した人々の魂を集め、それを適切に分類して専用の大部屋に入るよう促します。ただし、一人一人の心の清らかさが異なるので、大部屋もランク付けされています)
「ひぇえ! 天国にもいろんな種類があるんだね! あたしは碧くんと一緒だと嬉しいけど!」
僕は口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。樹凛よ、そんなことは自分の本当の彼氏に言いなさい!
(おいおい、天国の話にばっかり感心されちゃ困るぜ、お嬢さん)
そう声を上げたのは、他ならぬ黒木である。白亜が黙り込んだところを見るに、黒木もふざけた話をするつもりではないようだ。
よっこらせ、と美少女に非ざることを言いながら立ち上がる。
(早い話、地獄はこんな場所なんだ、っていう解説をしてえんだが、一概に天国と地獄が対局にある、ってわけでもなくってな。そこが厄介なんだ)
「どういうこと?」
樹凛め、完全に白亜と黒木の話に魅せられてしまっている。別にいいけど。
(亡くなった人間の魂はしばらく地上に残るんだ。その期間は人による。だが、平均して五十日前後、といったところでな。日本人の宗教観にある『四十九日』ってのに近いかもしれねえ)
もったいぶった調子で解説する黒木。しかし、それは確かに興味深い。
(その四十九日の間の話だが、白亜のいう『天の番人』にきちんと選別してもらえるかどうかは、生前にその人間が行った善行の総量によるんだな)
「は?」
(おいおい、『は?』じゃねえぞ、お嬢さん。ちゃんとした人生を送っていないと、俺はお前らの魂を地獄へ連行しなくちゃならない。それを防ぐために、人助けでもお勉強でもしっかりやって、善行を積み重ねておかねえとな。そういう話さ)
黒木が座るのを見て、白亜も語る。
(黒木の申し上げたことに虚偽はございません。補足しますと、亡くなってからあの世に連れられて行きます。そこが明るいのか暗いのかによって、自分の行先を把握することができます。残念ながら、変更することはできませんが)
死んでみないと分からない、というわけか。
そう思うと、僕は自分の背中がぞわり、と波打つような感覚に囚われた。
っていうかこれって、気づいたら天国または地獄の入り口にいます、ってことだよな。選ばれる現世の人間からすれば、当たって砕けろ、以外の手はないじゃないか。
(おい白亜、一つ説明しそびれてるぜ)
(わたくしの説明にご不満なのですか、黒木?)
(ああ。大いに不満だな。立場をしっかりさせねえと)
黒木は白亜と自分を交互に指さした。
(白亜は『天使』、俺は『堕天使』、そしてさらにその奥底に潜み、『悪』を積極的に取り込む……。それが『悪魔』だ)
「あく……ま……?」
こくり、と頷く黒木。
(こいつは元々、本体がねえ。高度な魂や心を持っているわけでもねえ。地球人風にいうところのブラックホール、みたいなもんかな)
僕は盆にアイスコーヒーを載せて、畳の間へと歩み入った。
「そいつに遭遇してしたら、いったいどうなるんだ?」
(自我がじわじわ侵食されて、欲求が無限に肥大化する。真っ当な人生は望めねえな。いずれ心のバランスが崩壊して、ある時を境に永久に消え去る。聞いた話じゃ、吸い込まれる瞬間というのはなかなか気分がいいらしいんだが、そこで自分の存在が現世からも死後の世界からも失われてしまう。これで合ってるかい、白亜?)
(あら、黒木もちゃんと碧くんのことを気にしているのですね。まあ、いわゆる死後の世界での生活はできます。――地獄逝きでなければね)
そう言って、白亜は話を締めくくった。
そして訪れたのは、ずばり沈黙。僕も樹凛も、聞かされた情報を脳内で整理するのに時間がかかったのだ。
他にもどんな情報が必要かを吟味し、僕と樹凛は白亜と黒木を質問責めにした。
彼らにも寿命はあるのか? 神様とはどんな姿なのか? 何を飲み食いして生きているのか?
そして、天国や地獄というのは、どんな歴史を辿って現在に至っているのか?
それはしかし、地球人の進化の歴史とさして違いがあるわけではなかった。
戦争と、疫病と、資源闘争。加えて、協調性が壊滅した世界。
「地球人ばっかりがこんなことやってるわけではなかった、ってことだねえ」
(残念ですが仰る通りです、樹凛様)
それを聞いて、僕は納得しながら顎に手を遣った。これはどうやら僕が黙考する時の癖らしい。
(おっと、いつの間にかこんな時間になってしまいましたね)
少し慌てて白亜が呟く。綺麗な夕焼け空だったが、藍色の夜空が微かにそれを侵食しつつある。
(黒木、樹凛さんの護衛を頼みます。わたくしは碧さんを)
(へーいへい。帰るぜ、嬢ちゃん)
「ちょっ! その嬢ちゃんっていうの、いい加減にやめてよぉ!」
(そう照れるなって! 天使も堕天使も人間よりずっと長生きでな、地球時間で言えば、俺は昨日三一八歳になったんだ! 年上の言うことは素直に聞くもんだぜ、嬢ちゃん)
僕と白亜は顔を見合わせ、それから首を傾げた。
「……いつもこうなんですか、黒木さんって?」
(うーん、最近は特に拍車がかかっている様子でございますね……。自己肯定感が下がってきているせいで、目立ちたいという気持ちが強くなってしまったのでしょう)
三一八歳にもなって、わざわざ人間に絡むのか。特定の趣味趣向を持っている人には萌える展開なのかもしれない。僕にはよく分からないけれど。
ちらりと目だけを動かしてみると、白亜が頬に手を当て、眉間に皺を寄せていた。
その大人びた雰囲気と、対する童顔のもたらす柔らかさに、僕は思わず息を呑む。……って何を考えているんだ、僕は。
ぶるぶるとかぶりを振り、頬を叩いて気合いを入れ直す。
僕は今、天使だ悪魔だと現実感の希薄な存在とのコミュニケーションを試みている。樹凛にかかずらわってはいられないぞ。
「樹凛、もう遅いんだから、黒木に送ってもらった方が安全だと思うよ?」
(黒木、あなたもあなたですわ! 人間好きなのは分かるけど、今はそのための時間を取れる状況ではありません! 早く樹凛さんをご自宅へお送りなさい!)
すると樹凛は、むーーーっ、と頬を膨らませ、僕と白亜を交互に睨みつけた。
「ふーんだ! 碧くんがダークサイドにおっこちても、心配なんかしてあげないんだからね!」
うわあ、なんて分かりやすい怒りっぷりだろう。そこが彼女の美点の一つだと、思わないでもないのだけれど。
※
樹凛と黒木を玄関から押し出すようにして、僕はやっとこさ息をつくことができた。
(碧さん、突然押しかけてしまったようで、大変申し訳ございませんでした)
「いっ、いえ! そんな迷惑とかじゃないですから」
(ところで、今日はどなたか来客があったり、碧様が外出したりする予定はございますか?)
「え? えーっと、特にはないです」
(かしこまりました。敵影の探知には努めますが、もし何らかの違和感を感じたら教えてください)
僕は少しばかり、身をのけ反らせてしまった。
敵? 白亜は今、『敵』と言ったのか? 誰のことだ、それは? それより、僕や白亜を狙う悪党がいるということか? ……やばいんじゃないかな。
しかし、僕がそんな呑気な主張を白亜にぶつけようとした時のこと。
僕は結界石の本領が発揮されるのを目撃した。
(碧さん、伏せて!)
白亜はぐいっと僕の頭を押し下げた。
「ぐふっ!? 白亜さん、いったい何を……?」
ずれ落ちた眼鏡を押さえながら、僕は呻く。
(碧さん、ここから動かないで! わたくしがいいと言うまで、顔を上げたり声を出したりしてはいけません! ついでに、損害はきちんと修復しますのでご心配なく!)
「て、敵襲!?」
(シッ!)
白亜は僕の後方から、タンッ、と跳躍し、そのまま前転しながら玄関ドアをぶち抜いた。
既に敵の位置が掴めているのだろう、魔弾とでもいうべき青い光源体を次々と発していく。
事態が収束したのは、僅か三十秒後のことだった。
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