第3話


         ※


「おい、ちっと休憩しようぜ」

「って言っても椅子しかないぞ?」

「俺そこのコンビニ行ってくるわ。おごりじゃねえからな!」


 振り向こうとした僕の頭を、樹凛は慌ててぐいっと押し下げた。そのまま何食わぬ顔で首回りをタオルで拭っている。


 ワンテンポ遅れて僕は気づいた。

 今やって来た三人組は、同級生でも指折りの悪童共である。僕のようなぼっちでも知っている。そしてそのうちの一人は、初対面からの天敵だ。


「碧くん、気づいてる? うちの学校の悪ガキ共……。まったく新学期の前日に連中の顔を見なくちゃならないなんて」

「え? あ、ああ……」

「二人の名前は知らないけど、残り一人が問題だね。同級生だし」

「同級生? それってまさか……」


 大きく口の動かして、樹凛はこう言った。

 西浦剛。

 どうして学校に通えているのか分からない。だが、誰がどこからどう見ても悪党にしか見えない問題児なのだ。


 大樽のような体躯、頬に残る古い切り傷、いつも周囲を威嚇しているような殺気。

『殺気』という言葉が大袈裟だとしたら、『獲物を狙う空気』だろうか。


 さっきの遣り取りからすると、子分を二人、率いてきたらしい。西浦がどうしてこんな権力を手にしたのかは定かでないが、今の状況が悪いのは誰が見ても明らかだ。


 さっさと立ち去れば済むかもしれないが、動けばすぐにあいつの視野に入る。

 僕も樹凛もあらぬ噂を立てられるかもしれない。


「あれぇ? 葉桜じゃねえか!」


 びくり、と肩が震えた。見つかったか……。


「おやおや、我らがアイドルを連れ回して、いったい何をしているんだ? なあ菱川ぁ、こんなガキ放っておいて俺たちと遊ぼうぜぇ」


 じゅるり、と音がする。西浦が舌なめずりをしたらしい。

 これに対して樹凛は、僕の頭から手を離しながら椅子の横に立ち、不敵な笑みを浮かべた。


「あんたたち、女を見ると誰彼構わず声をかけてるみたいだけど、一つ忠告。わざわざ出かけるのをやめて、家の中に引き籠ってなさい。そうでもないと、ママのおっぱい飲みそびれちゃいまちゅよ~?」

「んだとてめえ!!」


 西浦は、そばにあった椅子を蹴倒した。椅子の足が折れたところから察するに、どうやら今日も彼の暴力衝動は溢れんばかりらしい。でもキレやすすぎるだろう、こいつ。


 対する樹凛。毅然とした態度で、西浦たち三人を臆することなく睨みつけている。と、言いたかったが、微かに膝が震えているのが僕には見えてしまった。


 状況からして、西浦がこの場で樹凛に殴りかかってくる可能性は決して低くはない。


「このアマ、その顔ぺしゃんこにしてやる!」


 右腕をぶんぶん振り回しながら、見た目にそぐわない速度で急接近する西浦。

 両腕を顔の前で交差させ、どうにか頭部を守ろうと試みる樹凛。

 いくらなんでも体格差がありすぎる。本当に怪我では済まないかもしれない。


 西浦が思いっきり腕を引き、樹凛が歯を食いしばった、その直後のことだった。


「やめろ!!」


 今までにない怒号が、店内に響き渡った。

 んん? まさか今のは僕の発言だったのか?


 僕が困惑したのも一瞬のこと。僕は我ながら、まったく予想できない行動に出ていた。

 がばっと立ち上がり、樹凛の肩に手を置いて、彼女の前に立ち塞がったのだ。


 急停止する西浦、はっと息を呑む樹凛、唾を飲む僕。


「樹凛に指一本触れてみろ! 僕がお前を、星の彼方までぶっ飛ばしてやる!!」


 なんだかアニメやゲームにありそうな台詞だ。中二病かと自身を疑ってしまう。

 遠くから嘲笑が聞こえてくる。西浦の子分たちが笑っているのだ。

 しかし当の西浦本人は、奇怪に顔を歪ませていて笑うどころではない。


「葉桜……。いいことを教えてやる。俺は久々に機嫌が悪いんだ。ついてねえと思っていたが、ちょうどいいサンドバックを見つけてな。今から使ってみせてやる。こんな風に、なっ!」


 一瞬、僕の意識が飛んだ。腹部からせり上がってくるものがある。

 吐瀉物ではない。すごい熱だ。人間の筋力を余すことなく『破壊』に転化できるエネルギーがあったとすれば、きっとこういうものなのだろう。

 

 感情の乗ったボディブローを頂戴し、僕は呆気なく倒れ込んだ。

 ぼんやりした意識の中、パキポキという音がする。西浦が拳を鳴らしているのだ。

 僕に馬乗りになって、鉄拳を見舞うつもりらしい。


 樹凛がやめるよう訴えたり、子分たちが遠慮がちに撤退を進言したり、周囲の人が警察を呼ぶべく駆け出していったり。

 その時の僕に認識できたのはそこまで――って、あれ?


 西浦が後退していく……? 何かと戦っているようだが、どうしたんだ?

 ぶるぶるとかぶりを振って、僕は上半身を起こした。


 そこにいたのは西浦だが、滅茶苦茶に四肢を振り回していた。

 顔にへばりついている何かを振り払う。野良猫のようだ。


 ぽかんとしている僕の頭の中で、一気に疑問が溢れ出す。

 僕や樹凛はもう安全なのか?

 西浦を苦しめている野良猫は大丈夫か?

 子分は早々に逃げ出してしまったが、西浦はどうするつもりだ?

 ……ああ、どうしようもないわな。


 事ここに至って、僕はようやく周囲の状況を把握した。

 とはいうものの、猫の接近に誰も気づかなかったのか。そして何故、この猫は西浦を引き留めてくれたのだろうか。


「言葉が通じれば……」


 そういうと、僕の脳内に直接語りかけるような不思議な言葉が浮かび上がってきた。


(騒ぎはこちらで引き受けますわ。あなた方はすぐに撤退を)


 不思議で、かつ奇妙なことだけれど、僕はすぐさまこの脳内音声の指示に従う音にした。


「碧くん、今のうちに逃げよう! あの猫ちゃん、味方みたいだから!」

「で、でも、ちょっと!」


 なんとも情けない格好で引き摺られていく僕。樹凛はお構いなしに、さっき来たのと逆方向、帰宅ルートで猛ダッシュした。


         ※


「ちょっと! いい加減放してよ! 樹凛、いったい何が起こっていたのか、君には分かってるんだろう?」

「んなわけないでしょ!」

「ご、ごめん! でも知ってることがあるなら僕に話して! っていうか、説明責任を果たして! 僕も巻き込まれた当事者なんだからね!」


 そうだ。たまたま朝の運動中の樹凛に出会って、彼女を危険に晒してしまった。自分の脆弱者ゆえに。

 という事実に思い至り、僕は脳に涼風が吹き抜けていくような感覚に囚われた。

 誰がどう説明責任を晴らすべきなのか。それをはっきりさせる目星が立ったのだ。


「ちょっと、碧くん! あたしの話をちゃんと聞いて――」

「ごめん、樹凛」

「そうそう、ちゃんと反省をして、悩みはちゃんと打ち明けること! 分かったよね?」

「それは、もちろん……なんだけど」

「何? 歯切れが悪いわね!」

「秘密にしてるんじゃなくて、僕にもよく分からないんだ。あの猫のこととか」

(あら、わたくしたちの存在を信じてくださるのですね、葉桜碧さん?)

「!」


 あまりにも明瞭かつ唐突な脳内音声。僕の両足は絡まって、樹凛諸共前方へ倒れ込んでしまった。


「うわっ! いきなりどうし――」

「樹凛さん、今変な声が聞こえなかった!?」

「はっ、はあっ!?」


 怒りと疑念と意味不明という、三つの言葉の見事な取り合わせ。その勢いで樹凛が僕を睨みつける。

 怪我はないかとかどうとかを尋ねる前に、三度目の脳内音声が再生される。


(ははははっ! そんなにビビんなよ、碧! 俺たちは人間じゃねえが……いや、だからこそお前さんの助けになれる)


 口調が荒くなった? さっきのお上品な『何か』とは別な人格なのだろうか。


(今は面倒な説明を控えましょう、黒木。碧さん、ご自宅までわたくしたちが護衛をさせていただきます。お隣の菱川樹凛さんも一緒に。よろしいですか?)


 口を利けなくなっていた僕は、どこにともなく、こくこくと首肯しまくった。


(っしゃ! そうと決まれば早く帰ろうぜ)

(いいですか黒木。玄関から入る時は、きちんと靴を脱ぐのですよ)

(へいへい、了解でっせ、白亜のお嬢。さ、行くぞ。碧、ナビ頼むわ)


 結局のところ、話題は家に帰ってからということになったわけだ。

 僕が一人で茶番劇(のようなもの)を演じている間に、太陽はちょうど始業時刻を示すところだった。

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