第二十九話 倶に天を戴かず
慣れない徒歩での旅は、けれども意外なことにハイペースで目標地点を通過した。
しっかり休んだのが良かったのだろうか。すっかり軽くなった足取りで街道を進むうちに、私も自分の体力に少し自信がついてきた。
だけど、決して私の気持ちが晴れることはなかった。
「失礼します、このあたりで桃色の瞳をした乙女を見ませんでしたか?護衛のものなのですが、水浴びをされている最中にどこかに行ってしまわれたようで」
街道の後半の山小屋や宿場町、休憩地点のベンチには私を探す過激派の偵察があちらこちらにいる。焦っているのだろうか、前半にはほとんど見えなかった兵士らしき人の影も見える。
既にグエンと行動を共にしているのに何を、と思われるかもしれないが、明確に私に殺意を向けている人を見るのはやっぱり怖い。
恋愛関係にあるグエンにさえ殺されるつもりはないのに、見知らぬ人にだなんて考えたくもない。
「知らないね。ってか知ってたら俺が教えてほしいんだけど」
「……これはグ……ジャック殿、失礼いたしました」
グエンの顔を見て見知らぬ男の名を呟いた男の姿に、今更ながらグエンが本当に過激派なんだと思い知らされる。
正直あの夜のことは現実味がなかった。そのあとの結婚式の方が鮮明に記憶に残っているから実は夢だったんじゃないかと往生際の悪い期待をしていたんだけれど……現実はやはり甘くない。
「その少年が例の?」
「そ、世話になったから渓谷まで面倒みてやろうと思って」
「そうでしたか……でも、渓谷につく前に彼とは離れたほうがいいですよ。もし我々の行動が失敗すれば、彼も疑われる可能性があります」
「分かってるよ」
過激派、というと凶悪犯罪者のような姿を想像してしまうけど、私を普通の少年だと信じるその男は至って善良な市民に見えた。
きっと彼にも家族がいて、友がいて、夢がある。そんな彼さえも私の死を願っている。
その事実は私個人としては恐ろしいが、彼らも何も猟奇的な動機で私を殺そうとしているわけじゃないはずだ。彼らには彼らの生活があって、それを捨ててでも私を殺して現体制を覆したいと思うだけの理由があるのだろう。
「では、お気をつけて」
過激派は暗殺だけじゃなくて儀式そのものの襲撃も計画しているはずだからグエンも彼も最後に顔を合わせるとしたらリーブラの礼拝堂になるだろう。私の暗殺と国家への反逆を企てたのだ、覚悟の上で最後の最後まで手を尽くすに違いない。
……でも、別に私は彼らにまで死んでほしいわけじゃない。
「あなたも気をつけて」
「!、ありがとうございます」
私の正体を知らないとはいえ私のことを心配してくれたこの男性、そして私のことを愛してくれたグエン。
無理だとは分かっていても、彼らと私が共に生きられる未来を願ってしまう。
「じゃあ行こう。今日は次の小屋に泊まるからあと少しだ」
「はい」
そう言って私を励ましてくれるグエンの顔を見るのも、あと数日でお終い。
グエンが過激派になんか入らなければ良かったのに、そう思いかけてそれは違うと思い直した。
グエンが過激派に入ったのにはきっと何か理由がある。それにグエンが過激派の一員にならなければ私はグエンと出会えなかったし、この旅も最初の錦鱗の港を出ることさえできずに頓挫していたかもしれない。
きっと、これが運命なのだろう。
「小屋についたら早く休みましょう。明日もできるだけ早く出発したいので」
「……そうだね」
そうして一心に脚を動かしているうちにいつの間にか日が沈んでしまった。
ざわめく風の音と虫の音。しっとりと湿った空気をいっぱいに吸い込むと、微かに炭の匂いがした。
暗闇の中にほんのりと灯る光、山小屋だ。
「意外と先に進めてよかったです」
人の気配にホッと肩の力が抜ける。
早く中に入ろう、そう思って歩き出そうとするも目の前を歩いていたグエンが突然立ち止まった。
「……いや、ちょっと待ってティーニャ。今日はもう少し先に進もう」
「え?でももう日が沈んで危ないんじゃ……」
「いいから!ちゃんと帽子被って、早くここを抜けよう」
私の手を力強く引いて息を潜めるグエンにつられて私も息を潜める。
急に一体なぜ?何もわからないまま、ただグエンの言う通りにする。
気配を消して山小屋のそばを通り過ぎると、山小屋の中の様子が一瞬だけ見えた。
遠くの人は見えなかったけど、窓際にいる鴉のような黒い髪の男性だけは周囲を警戒しているのか窓越しでもその背中がよく見えた。
「喋らないで。俺のことだけ見て」
小声でそう言うグエンの表情は見えない。でも、今まで感じたことがないくらい空気が緊迫していることは分かった。
山小屋の灯りが届かない夜の森の中に入ってもグエンは歩みを止めない。
聞いたこともない鳥の声と獣の鳴き声が響く不気味な月明かりの下、人のいない街道はまるで別の世界に来たみたいだった。
そうして一体どれほど歩いただろうか。
「ここまで来たら大丈夫かな……」
不意にグエンが街道を外れた山中へと進路を変えた。
「あの、グエン?一体何が」
「……あの山小屋、辺境伯がいた」
そう言ったきりため息をついて黙り込んだグエンに不安が込み上げる。
辺境伯の噂は世間知らずの私の耳にも届いている。
領地経営の手腕は悪くないそうだが、姉様が言うには異国とつるんで外患誘致を目論んでいるとか。
グエンが私も会ったことがない辺境伯の顔を知っているということは、辺境伯も過激派の騒動に与しているということ。
……それなら、私たちがこのまま行動を共にするのはあまりに危険だ。
「……グエン、私はここから一人で渓谷を目指します」
「は!?何言ってるの、絶対に駄目だ!」
「でも……」
もし辺境伯がグエンを待っているのだとしたら、グエンはあの山小屋に行った方がいい。既に昼過ぎに仲間にあの場所を通過してることを知られてしまった以上、あの場所に滞在しないのはかなり違和感のある行動だ。
私の存在は妨げにしかならないし、なにより過激派と出会すリスクが高すぎる。
「ティーニャ、俺が一番心配なのは俺の身じゃない。ティーニャだよ。ティーニャに何かあるくらいなら、俺が……」
深刻そうに頭を抱えたグエンの物言いが少し引っかかる。いや、さっきからずっと違和感があった。
話が通じすぎている。
まさかグエンも私の正体に気づいている?
グエンは全部分かった上で、今私を守ってくれたというのだろうか。
「とにかく今日はここで休もう。野宿になるけどこのあたりならまだ安全だと思う」
寝袋を広げるグエンの様子を窺いながら私も寝袋の準備をする。
頭の中にはいくつもの疑問符が浮かんでは消えていく。
グエンは私が誰か知ってるの?最初から分かってて私に近づいた?私のことが好きだっていうのは私を油断させるため?
「私も野宿に慣れてきたので全然大丈夫ですよ。山小屋みたいに近くに人がいない分、少し落ち着けますし」
「ま、人がいない分人間以外の怖いやつが来るかもしれないけどね。熊とか」
「真っ先に私が餌食になっちゃいますね」
「大丈夫、ティーニャはちゃんと俺がつれて逃げるよ」
「ふふ……一蓮托生ですね」
冗談のようにそう言うグエンだけど、いつもならすぐに用意するはずの獣除けの焚き火を敢えて用意しないということは、今一番グエンが警戒しているのは獣でも虫でもないということだ。
グエンは私の正体に気づいているのか。それを確かめる術は一つしかない。
「グエン、ちょっとこっちに来てください」
「ん?何?」
街道からは見えない少し奥まった茂みにグエンを呼ぶ。
「私の秘密、教えてあげます」
そうして私は、自分の胸に手を当てた。
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