第二十八話 時よ止まれ、なんて言えない

「ありがとうございました」


 

 

 馬車から人気の少ない街道に降り立つ。

 ここは光輝の渓谷に向かう旧街道。新しく整備された賑やかな街道は歩きやすいものの顔がさすかもしれないと危惧して、私たちは今では人混みを避けたい旅人や馬車が主に利用する旧街道から渓谷を目指すことにした。


 いよいよ最後の旅が始まる。

 



「ここから徒歩なんですよね……お祭りに間に合うでしょうか」

 


 

 最低限の着替えや水筒、ナイフなどの必需品とお金を詰めた荷物だけでこれから渓谷まで生き抜かなければいけない。

 天気をきちんと見つつ危険を避ける判断力、毎日一定の距離を歩く持続性のある体力。どちらも持ち合わせていない私は、祭りに間に合わせるためグエンの指示に従うことを決めた。


 


「まぁそんなに気負わないでよ、祭りまでに着いたらいいんでしょ?」


 


 グエンは最悪当日入りでも私の儀式に間に合えばいいのかもしれないけど、私は違う。家族に今までの感謝を伝えたいし、儀式に向けて身体を清めたり色々と準備がある。


 


「……でも、あんまり遅くなるのは嫌です。余裕を持って着けるように頑張ります」

「そう?」

 



 なぜ、とは聞かないグエンに内心安堵した。先を歩くグエンは私に歩幅を合わせてくれているのか、思ったよりも遅めのペースで坂道を登っていく。


 


「昔の道って言っても整備されてるからまだ歩きやすいね。整備してくれた侯爵家には感謝だよ」

「そりゃまぁ、侯爵家も自領は潤った方がいいでしょうから」

「確かに」


 


 これ以上無駄話をすればボロが出てしまうかもしれない。会話で体力を消費するのも避けたいので、私はできるだけ会話が生まれないようにグエンの真後ろに回った。



 

「あつ……」


 


 グエンの言葉通り、この季節の街道はとても暑い。ここから標高が高くなるにつれて少しずつ涼しくはなっていくけど、やはり体を動かすと体温は上がるし太陽の照り返しもなかなかのものだ。


 でも、昔の人たちはこの道を歩いて私たちの領に来てくれていたんだ。私も頑張ろう。





 ***



 



 そうして山を登ること数時間、私たちは街道沿いにある小屋で休憩を取ることにした。


 


「疲れました〜」

「はは、お疲れ。ここでちょっと水飲んで涼んでおこうよ」



 

 直射日光の当たらない小屋はひんやりと涼しくて、初めての経験に熱る身体をクールダウンさせてくれる。


 でも、この街道が出来る更に前はみんな険しい獣道を通っていたんだから、贅沢は言っていられない。



 こくこくと貴重な水を飲んで喉を潤すと、同じく水を飲んでいるグエンの顔が少し赤くなっている事に気づいた。

 



「日焼けですか?ヒリヒリして痛そう……」

「ん?あ、本当だ。いつも帽子被ってたからうっかりしてた」

「帽子被ってくださいよ、日焼けは体力を奪うって聞きました」

「そうだね。じゃ、久々に被るとしますか」


 


 木々が陰を作ってくれていても、長時間外にいると日光で体力を消耗してしまう。とはいえグエンは軍の経験もあって体力もあるから、この程度なら耐えられるのかもしれないけど……それでも心配してしまう。




「そっちこそ大丈夫?しんどかったら背負ってやろうか」

「今は平気です。こっちこそ、肩くらいならいつでも貸してあげますからね」

「ありがと」


 


 軽口を叩く余裕が出てくるくらいには、お互いに体力が少し回復したらしい。


 


「こうやってちょっとずつ休憩して、水飲んで軽く携帯食食べて寝て……を繰り返してたらいつの間にか着いてんだろうね」

「確かに、初日はすごく長く感じますけど、慣れたらあっという間ですもんね」

「なんでもそうだよ、初めてのことってすごく刺激的だから長く鮮明に感じる」


 


 思えばこの旅もそうだった。最初にグエンと出会った街の靴磨きの少年の顔や川辺の村で魚を焼いてくれた女性の顔は鮮明に思い出せるけど、旅に慣れていくにつれて漠然としか思い出せない人もいる。


 


「人生もそうだって言いますよね。子供の頃の時間はすごく長く感じるけど、大人になってからは風のように早く過ぎ去っていく」

「あるある。人生に慣れちゃうんだよね」



 

 俺も都に来て楽しかったのなんて一ヶ月くらいだよ、と身体を伸ばすグエン。


 私もビスケットを食べ終えて節々や筋を伸ばすと、溜まっていた疲労が流れていくような心地良さに包まれた。



 

「はぁ……きもちいい……でも疲労は疲労でも悪くない疲労感……」

「生きてるって感じだよね」

「本当に、身体も喜んでます」



 

 そうこうしている間に小屋には他の旅人たちも入って来たので、休憩を終えた私たちはそろそろ再出発することにした。



 

「じゃ、また頑張ろう」


 


 荷物を背負って小屋を出ると、目の前を貴族の馬車が通り過ぎていった。この前まで自分たちも馬車で旅をしていたわけだから別にそれ自体は変なことではないんだけれど……



 

「いいなぁ……」

「はは、でもかなり危ない賭けだからね」



 

 羨ましい、山賊に襲われる危険がある以上歩いて登るのが一番賢いとは分かってても、目の前の辛さを思うと羨ましかった。


 


「私、今成長してます」

「お、ちょっとは平民の気持ち分かった?」

「はい……妬ましいです……」



 

 領民はもっと大切にしよう、そう兄に進言すると心に決めて私は疲労を訴える脚に鞭を打ったのだった。





 ***


 



 そうして数日。

 初めての山道は、当初の想定通りあっという間で順調そのものだった。


 


「いや、流石に疲れるね」


 


 日もとっくに沈んでいて、漸く宿に入れた私たちはすっかり疲れ果てていた。


 


「ベッドだ〜!」



 

 今まで泊まった中で一番簡素な宿。最低限のベッドしかない狭小客室、それでも十分有り難かった。


 今までは山小屋だったり、寝袋で野宿だったり、とにかく寝ても寝ても体力が回復しなかった。やっと個室で安心して眠ることができる、そのことがなにより嬉しかった。




「あ〜〜気持ちいい」


 


 人目を気にしてずっと拭けなかった身体にひんやりとしたタオルを当てる。気持ちいい、ずっと汗だくで気持ち悪かった。



 

「屋内ってこんなに涼しいんですね」

「はは、顔真っ赤にして言うと説得力が違うね」


 


 熱くなった頬を冷やすと、ぼーっとしていた頭が少しずつ冴えていくような気がする。

 ずっと屋敷にいたから知識では身体に熱が籠るという状況を知ってはいるけど、自分で体感するのは初めてだった。



 汗で濡れた首元を拭いて窓辺の風にあたると一段と体温が下がる。少し休んだだけでも随分と体がすっきりして、私は水を飲みながらグエンに声をかけた。



 

「どうです?少しは締まって少年っぽく見えるようになりましたか?」

「このふにゃふにゃの真っ白のどこが」

「この腕のあたりとか?」

「うーん……まぁ、頑張ってお転婆なお嬢さんってところかな」


 


 お転婆……まぁ世間知らずよりかは随分と進歩した方だろう。

 それにグエンは何故か最初から私が女だって見抜いていたけど他の人達はみんな私が男だと信じて疑わなかったし、グエンの意見は人より少し厳しいのかもしれない。


 一人で納得しながらベッドに脚を乗せて疲労困憊の脚をマッサージする。


 


「今日は疲れましたねぇ、もう直ぐに寝れそう……」

「山場だったからね。でもここ越えたらあとは楽だから」

「ふぁ……」


 


 眠い目を擦りながらふくらはぎを揉みしだく。

 ぐりぐりと凝り固まったところをほぐすと、何とも言えない痛いような気持ちいいような感覚になる。



 

「ティーニャ、夕飯どうする?」

「ん〜……」


 


 血流が良くなって身体がポカポカしてリラックスしてきた。


 今日は本当に眠い。ずっと眠りが浅かったから、宿に来て安心してるのかもしれない。


 


「ティーニャ?」

「んむ……おやすみなさい……」



 

 負けた、眠気には勝てない。



 グエンを置いてモゾモゾとベッドに潜り込む。


 うとうとと目を擦ればグエンが頭を撫でてくれて、私は眠気のままに瞼を閉じた。


 


「おやすみ、お疲れ様」


 


 優しい声と温かい手に志すぽかぽかと温かくなる。


 あぁ、あなたと過ごす時間まで早くならなくていいのにな。ずっとこうしていられたらどれだけ幸せなんだろう。


 そう思ってしまったのは姉様にも誰にも内緒だ。

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