幕間 後の世も一つ蓮ぞやと
気づいた時にはティーニャの瞳はまた元の榛色に戻っていた。
あの瞳の色は幻かと思いたかったけど、朝と夜で瞳の色が変わる当主がいるのであれば何らかの条件でティーニャの瞳の色が変わってもおかしくはない。
その瞳をヴェール越しに見下ろして、俺は少し緊張気味に口を開いた。
「それじゃあティーニャ、ここでいいかな」
城の回廊の近くにある植物園。その中にある美しいアーチの下で、手を取り合って向かい合う。
ティーニャは俺の胸に久々に勲章を下げて、俺はヴェールのような真珠糸の花レースの髪飾りをそっと捲ってやる。
お世辞にも結婚式には見えないけれど、それでもよかった。
誰のためでもなく、俺たちだけのための密やかな儀式。子供のままごとみたいで傍から見れば滑稽なのかもしれないが、俺たちは至って真剣だった。
「あなたは私を生涯の妻とし永遠に愛し続けることを誓いますか?」
キラキラとした眼差しで見上げ問うてくるティーニャをじっと見つめ返す。
昨晩の苦しさが嘘のように晴れやかな顔で、俺は嘘偽りのない言葉と共に頷いた。
「誓います」
敵対してることも暗殺対象なのも、そんなの関係ない。一晩経って俺は吹っ切れたのだ。
俺はティーニャとの未来を諦めない。もしティーニャを殺さなければいけないなら俺もそのあとで死ぬ。俺たちがどんな結末を迎えるのかと、それまでをどう過ごすかは、俺にすれば関係のないことだった。
「あなたは私を生涯の夫とし永遠に愛し続けることを誓いますか?」
祈るように小さな手を包み込んで、その口元が嬉しそうに綻ぶのを目に焼き付ける。
「誓います」
誓いの言葉と共にゆっくりと頭を下げるティーニャのヴェールを、昔に見た近所の親戚の結婚式を思い出して見よう見まねで整える。
このヴェール以外何一つとして花嫁らしいものは身につけていないのに、俺には本物の結婚式のように思えるくらい胸が高鳴っていた。
「ティーニャ。死んでも一緒にいよう」
「もう、縁起でもない……でも、いいですよ。どこでも一緒にいてあげます」
呪いのように甘美な誓いの言葉を囁き合って、林檎色の唇に触れるだけのキスをした。
「私、グエンのお嫁さんなんですね」
「ティーニャがお嫁さんでいいの?俺はいつでもティーニャに婿入りできるけど」
「どっちでもいいです。グエンと一緒にいられるなら」
戯れ合うように何度もキスをして、その度に笑いが込み上げる。
幸せだ。みんなには愚か者だと言われるのかもしれないけど、俺たちは今人生で一番幸せだった。
「うんうん、やっぱりここは若者の門出にピッタリだね」
突然背後から拍手の音と男の声がして、反射的にティーニャを背後に庇う。
さっきまでの夢のような心地が覚めて空気がピリついたのがわかった。
ここには俺たちしかいないはず。
警戒する俺をよそに、ティーニャは呑気に男の名前を呼んだ。
「あ、ユリウス様」
「ユリウスって……雷公の?」
「おや、僕って結構有名なんだね。ヒルデの騎士殿にまで知られているとは光栄だよ」
胡散臭い笑みを浮かべた金髪の男。確かに身なりも良いし立ち居振る舞いに品があるが、公爵という身分の人間がなぜここに?それに俺のことを見てヒルデの騎士って……しまった、勲章か。いや、そもそも何でティーニャは彼を知ってるんだ。
「そんなに睨まないでよ、怖いなぁ。彼女とは昨日少し管理人としてここを案内してあげただけだよ。結婚式場にしようと思ってるんだ〜って、ね」
「本当ですよ。昨日逸れたときに道案内してくれたんです」
ティーニャもそう言うのなら本当なのだろう。本当なのだろうが……それはそれとしてどこか気に食わない。
高い身分、それに相応しい所作と実績、女性の好みそうな見た目、なにより一夫多妻という訳のわからない制度。ティーニャに近づいてほしくないと思ってしまうのも無理はないだろう。
「おお、妬いてるのかい君。さっき永遠を誓ったばっかだってのに」
「だ、大丈夫ですよ?心配されるようなことは何もありませんし」
「言っても無駄だよ、こういう粘着質で重くて諦めの悪いタイプは。今からでも僕にしとくかい?夫人の椅子はまだ空いてるんだけど」
「結構です!」
それ見たことか、信用のならない男だ。
ティーニャを隠す俺の背を宥めるようにティーニャが撫でる。ティーニャ、俺は別にティーニャのことを疑ってる訳じゃない。ただティーニャがそういう目で見られるのが不快なだけだ。
「お熱いねぇ。火傷しちゃいそうだよ」
「ティーニャ、早くここを発とう。俺が落ち着かない」
一刻も早く彼の前から立ち去りたい。舌打ちをしたい気持ちを抑えていると、雷公は目を細めて俺たちを見つめた。
「いいね、そこまで想える人がいるって幸せなことだよ」
「ユリウス様……」
「ま、彼の重さに耐えきれなくなったらいつでもおいで。僕は歓迎だよ」
「それはあり得ません。私も大概重たいので」
また懲りもせず、と雷公を睨みつけていた俺は、ティーニャのまさかの返しに思わず後ろを振り返った。
「はは、一本取られちゃった」
それじゃ、邪魔者は退散するよ。と何処かに消えていった雷公を見送ることもせず、ティーニャを見下ろす。
「あれ、重いのは嫌でしたか」
「まさか、最高。ティーニャならどんなに重くてもいい」
「私もですよ」
再び二人きりになった空間で、もう一度キスをする。
それから俺たちは城を去る時間まで、ずっと二人だけの未来を確かめ合ったのだった。
***
「足元にお気をつけて」
「ありがとうございます」
予め呼んでおいてもらった馬車に乗り込んで、荷物を運んでくれた御者にチップを渡す。
予定より随分と早いけど、古城での滞在はこれで終わり。私達はここからまた旅を始めるのだ。
本当に良いところだった。また来たいな。
「それでは、北の関所まで出発いたします」
動き始めた馬車の揺れに身を委ねながらぼんやりとこれからのことに思いを馳せる。
我が領地、光輝の渓谷はその名前通り山に囲まれた国土の北方に位置する街だ。国内最大の澄んだ湖とその畔に広がる白亜の街並みは各貴族が別荘を持つほどに美しく、気候の厳しい夏場は避暑地としても人気だ。
ただ、その山を越えるのは決して容易ではない。
「ティーニャ、関所を出たら俺のフリはもうしなくていい。下手に有名な名前を使う方が危ないからね」
「そうですね」
光輝の渓谷の中心部に繋がる街道はいくつかある。
新しい街道を通れば時間はかかるものの比較的楽に旅の最終目的地に着くことはできるが、先を急ぐ私たちは関所で馬車を降りて最短ルートである旧街道から徒歩で向かうことを決めた。
「まぁでも馬車にさえ乗らなければ山賊に襲われるリスクはグッと減るよ。あいつらも相手は選んでるからね」
四方を山に囲まれた光輝の渓谷、そんな場所に行くのは別荘に向かう貴族や祭りに向かう富裕層、祭りで商機を狙う商人と比較的裕福な人間が多い。
当然彼らは自分の足で歩くなんてことはせずに馬車を使うわけで、その積荷を狙う山賊に襲われるというのはよく聞く話だった。
「殺しをしないだけまだマシなんでしょうかね」
「そうだね、盗んだ上に殺しもしちゃうと自分も死罪になっちゃうから」
山賊は盗みはするが殺しはしない。女だとバレたら乱暴されるかもしれないから男装は続けるけど、正直歩いて山を登るくらいならさほど問題はないとは思うんだけど……念には念を入れないといけない。
「グエンも気をつけてくださいね、私があげた宝石……やっぱりここで売っていきますか?」
「やだよ」
意地悪だなぁと小突いてくるグエンにくすくすと笑いながらもたれかかる。
さっきまでの真面目な雰囲気が嘘のようにガラッと変わってしまったけど仕方ない。
カーテン付きのこの馬車は景色は見えないけど人目を気にしなくていい、つまり交際したての男女には大変都合がいいのだ。
……グエンとこうして過ごせるのも残りわずか。
切ない気持ちで甘えるようにグエンの右腕をギュッと抱きしめると、グエンも私に寄りかかるように体重をかけてきた。
「心配いらないよ。さっき誓ったじゃん、ずっと一緒だって」
「そうでしたね。死んでからも一緒でしたか」
口調に反して私たちの表情は明るいものではない。
私たちの旅の終わりは、刻一刻と近づいてきていた。
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