第二十七話 きょうだい
長い回廊、多くの近衛兵が配置された煌びやからなそこを迷いなく進んでいく。
「敬礼!」
すっかり慣れた威圧的な空気、美しい花瓶や色彩豊かな絵画、それらに目もくれず歩みを進める。
「お待ちしておりました」
「遅くなってすまない」
そうして辿り着いたのは、金で縁取られた薔薇の扉の前。
紅薔薇の間。次期王位継承者が執務で使う、この城で二番目に厳重な警備が敷かれた場所だ。
「王立軍最高司令部副軍将、参上しました」
「おお、やっとか。入れ」
荘厳な扉がゆっくりと開き部屋に通される。
上質なカーペット、最上級の調度品で揃えられた室内、そして部屋の中に満ちたむせかえるような薔薇の芳香。
部屋の奥にいるのはこの国の次期女王、真紅の髪に若葉色の瞳の絶世の美女こそがマヌウ=メイアン第一皇女だ。
「相変わらず辛気臭い顔だな、アレクシス」
そして私は光輝の侯爵家当主であり、王立軍最高司令部副軍将を務めるアレクシス。辺境警護を任される妹のグレースとは異なり、皇女のもとで都の軍の指揮を任されている。
「辛気臭いのは元からです。何分、この仕事には向いていないもので」
「そうだなぁ……お前は繊細だからな」
紅茶を一口含んで、皇女は手元の宝石をころころと転がす。昼はエメラルド、夜はルビーのその宝石はアレキサンドライト⸺我が侯爵家の当主の座を象徴する宝石だ。
「して、アレクシス。妹御の旅路は順調かい」
「アンリに聞くところによると、何者かと旅を共にしているそうです」
「そうか。まぁそれが利口だろう。女子の一人旅はただでさえ危険なのに、今は革新派を名乗る過激派組織も彼女を狙っている。尻尾を掴みきれないからなんとも言えないが、辺境伯も加担しているそうだね」
「とんでもない狸ですよ、あの男は」
私が今日呼ばれた理由、それは妹のグレースとエグランティーノが関わる儀式についてのとある重要な話し合いのためだ。
「天馬の様子はどうだ。変わりないか」
「はい、特に変化はありません」
「よろしい。ではこちらからも報告だ」
グレースもエグランティーノも知らない我々の秘密の邂逅、表向きは儀式に関する警護の打ち合わせだとされているが実際は違う。
「天馬の加護を発動する条件が分かった」
「ほ、本当ですか!」
我々の目的、それはただ一つ。
「ああ、間違いない。これで乙女がいなくとも加護を発動させることができる」
乙女のいらない国を作ることだ。
***
光輝の渓谷の中心部にある領主侯爵家の館。儀式に参加する家族をサポートするために儀式に先立ってこの街に来た僕、アンリは正直憂鬱な気分だった。
「ねぇ姉上、本当にエグランティーノが儀式をしなきゃいけないの?」
あと数週間で到着するであろうエグランティーノのために部屋を整える姉上に恐る恐る声をかける。
エグランティーノ⸺姉さんと違ってどこか読めないグレース姉上が僕は少し怖い。そりゃ彼女は有能だし強いし愛情深いけど、厳格な兄上や間抜けな姉さんとも違う不気味さが彼女にはあった。
「あら、アンリ。どうしてそんなことを言うの?」
「だって……そりゃそうだろう。心を捧げるってみんな簡単に言うけどそれってエグランティーノから感情を奪うってことだよね」
「そうよ。あの子は天馬に感情の全てを捧げる。そしてその代わりに天馬は国を守る。国防を任された我々一族の重要な役割には、あの子は不可欠なの」
なんでもないことのように言う姉上は、本当に何も思わないのだろうか。
僕は別にエグランティーノに特別懐いているわけじゃないけど、もうあんな呑気に笑うエグランティーノに会えなくなるのかと思うと心が締め付けられるような苦しさに襲われる。
心を捧げるとは美しい言葉だけど、結局のところそれは心を失うことと同義だ。
エグランティーノからは好きという気持ちも喜怒哀楽全ての感情も涙も笑顔も消えてしまう。エグランティーノは儀式をすればもう恋もできないし、嬉しいことがあっても喜べない、幸せを感じない……僕たちのことも愛しいと思わない。
「僕は嫌だよ。姉さんが笑わなくなったら姉さんじゃない。エグランティーノの唯一の取り柄なのに」
「アンリ……寂しいのは分かるわ。私もエグランティーノからの愛がなくなってしまうのは恐ろしくてたまらない」
僕よりもずっと高い背を屈めて、グレース姉上が優しく僕を抱きしめた。オパール色の瞳は本当に悲しそうに揺れているのに、姉上の心は僕の気持ちを本当には理解していないような気がする。
「でもねアンリ、エグランティーノからの愛がなくなったって私たちからのエグランティーノへの愛は変わらないわ。私たちはずっと家族、アンリが大人になってもエグランティーノが乙女としての務めを果たしても、末の妹のマリエッタがお母様と一緒に帰ってきても私たちの関係は変わらないの」
本当にそうだろうか。
僕たちはそのままなのにエグランティーノの心だけがなくなって、それで僕たちは変わらずにいられるのだろうか。
エグランティーノ一人の幸せを礎にして平和を維持して、そんなので僕は今まで通りエグランティーノの弟として生きていいのだろうか。
「暗い話になっちゃったわね。休憩しましょう。ばあやが今日のおやつはタルトだって言ってたわ」
「……そうだね、お腹空いてきたや」
グレース姉上が出した儀式の衣装。エグランティーノが心を捧げるときに着る、真珠の糸で出来た真っ白なレースのドレス。まるで花嫁衣装みたいなそれは、エグランティーノが本当に天馬の花嫁になってしまうみたいで気持ち悪かった。
「あなたも大人になれば分かるわ。国を守るって本当に大変なの。あなたも来年から士官学校に入るけど、本来はエグランティーノもあなたぐらいのときには軍師としての勉強を始めて今頃には初陣を飾る歳なのよ」
「……まあ、そうだね。ごめん、聞かなかったことにして。ただの反抗期の戯言だよ」
「そんな悲しいことを言わないで。私だって本当はこんなこと言いたくないのよ」
姉上の言っていることは分かっている。国民の税で飯を食い生活する僕らには国を守る使命が課せられている。そして僕らが軍人になるのと同じようにエグランティーノに課せられたのが乙女になることだった。
分かっている、分かってはいるんだ。
「……ただ、少し可哀想に思っただけだよ」
姉上にこの気持ちをぶつけても仕方がないことだって分かってる。僕ももう子供じゃない、これは僕らの一存で決められるような軽い話じゃないんだ。
「そうね……だから私たちは祈ることしかできないわ。どうかこの旅でエグランティーノが色んな景色を見て、色んな人に出会って、できるだけ多くの感動を思い出にできますように……ってね」
きっとエグランティーノは僕達の心配をよそに楽しい旅をしていることだろう。
同行者がいると言っていたし、もしかすると気の合う友人でも出来たのかもしれない。
何気ない景色に驚いて、喜んで、胸を弾ませる姉さんの姿は容易に想像できる。
ずっと屋敷から出られなかった姉さんにとってきっとこの世界は見るもの全てが輝いて見えることだろうから。
「儀式が終わったら、どんな旅だったか聞いてみよう。ま、姉さんのつれない態度に僕たちがヘコまなければの話だけどね」
「私絶対泣いちゃうわ。儀式でさえ泣かないか不安なのに」
軍神に喩えられることもある姉上が殿下の前で泣くなんてあるわけない。姉上と第一皇子殿下は犬猿の仲だから、弱みを見せるようなことは絶対にしないだろう。姉上はそういう人だから。
「僕も泣くと思うよ。でも、それでいいと思う。エグランティーノの代わりに僕たちが沢山泣いて沢山笑って、エグランティーノの代わりに沢山のことを感じよう」
「そうね」
部屋にノックが響いて、ばあやが入ってくる。
「お嬢様、ぼっちゃん、おやつですよ」
「ばあや、ありがとう」
あたたかい紅茶の香りに強張っていた心が解れていくような安心感に包まれる。
「それじゃあ食べましょうか」
「頂くよばあや」
「はいどうぞ」
ばあやが作ってくれたタルトは、姉さんの大好きなブルーベリーのタルトだった。
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