第二十四話 フェアリーダイヤの乙女

「迷った……」


 


 なぜかぐずっていたティーニャを宥めて城の散策を始めて僅か数分。


 


「ここ、どこだ?」


 


 俺たちは完全に逸れてしまった。

 



「おかしい、絶対におかしい。さっきまで隣にいたのにいつの間にか逸れるなんて」


 


 俺たちが歩いていたのは城の一階部分。中庭沿いの回廊を歩きながら風呂場を探していたはずだった。


 確かさっき通った角を曲がるまでは一緒にいた。もしかして何かの罠か?公爵家の紋は確かに本物だってティーニャは言ってたけど、本物の公爵家が何も企んでいないとは限らない。


 


「クソ、なんでこのあたりにいないんだよ」


 

 

 来た道を戻ってもティーニャの姿はどこにもない。あの子は勝手に逸れるタイプじゃないしあちこち動き回るような子でもないのに。


 

 仕方なく俺は逸れた場所のすぐそばにあった扉に手をかけた。


 ただの迷子なら迷った場所から動かないのが賢明だが、そうでない可能性も踏まえると少しずつ近くの部屋からティーニャを探していくのがいいだろうと判断したからだ。



 

「ここは……書庫か」


 


 薄暗い室内に俺の声だけが響く。


 中庭の北側にある奥まったこの部屋は小さな図書館のようになっているらしい。天井まである蔵書に圧倒されつつも棚に整理された背表紙に目を向ける。一応士官学校で一通りの教養は身につけたから多分読めるはずだ。



 

「家系図、平野部地理史、地域文化資料、貴族ってのはこんなの読んで育つのか」

 



 かけらも興味を持てないタイトルの並ぶ書棚に目を滑らせていると、一番下の段の端に背表紙が一つ飛び出ている本があった。

 誰かが最近読んだのか、と奥に押し込んでやろうとしてそのタイトルに思わず手を止めた。


 


「天馬戦争史?天馬戦争って確かさっきトラウィスが言ってたやつか」


 


 この国の歴史では建国神話として扱われるかの戦争は、敗者の側からは天馬戦争という苦い歴史として残っているらしい。


 もしかすると乙女について何かがわかるかもしれない。


 


「……少しならいいよな」

 

 


 ティーニャを探すことを忘れたわけじゃないが、どうにも気になって仕方なかった。

 その興味のままにページを捲る。



 

『天馬戦争 (前53年〜前48年)

 肥沃な国土を有する中つ国と諸国連合の間で勃発した戦争。北方の石の一族率いる軍勢に苦戦を強いられた諸国連合は稲妻の一族の治る豊沃の平野からの侵略を画策したが、名峰リーブラの頂に在る天馬により諸国連合の敗北という形で終結した』


 


 概説が載っているページをパラパラと流し見て、目当ての天馬と乙女の章で手を止めた。

 挿絵に描かれている若い女性は乙女なのだろうか、白銀の髪を靡かせて桃色の宝石に唇を寄せる横顔が印象的だった。


 若干の緊張と共に慎重に本を捲る。そうして次の瞬間目に飛び込んできた文章に、俺は目を見開いた。

 


 

『前47年

 影の一族の離反により平野部への侵略に苦戦していた諸国連合に華の王は講和を持ちかけるが、領土保全の条件から諸国側はこれを拒否。

 これを受け石の一族の娘であるアンナブルナを筆頭とする終戦派は名峰リーブラを起点として、光輝の山脈の地底空間で長年研究されてきた対人防衛兵器タラリアを展開。その姿から天馬にも例えられるそれを中心として国境に守護の結界が張り巡らされ、諸国側は講和を余儀なくされた』


 


 名峰リーブラ、対人防衛兵器タラリア、天馬⸺何か手掛かりがあればとは思ったが、ここまで明確に記されているとは思わなかった。


 処女性の象徴だと誤認されてきた天馬の正体がまさか兵器だったなんて。


 思わず周囲に誰もいないか見渡して、慌てて本の内容に目を走らせる。


 


『四つの一族が其々の持つ能力を掛け合わせて完成したその強大な兵器は一歩間違えれば破滅を招く。

 使い方を間違えば他国だけでなく自国も滅ぼす強大な力に、アンナブルナは制約をかけた。それを動かすことができるのは、国に身を捧げる覚悟のあるものだけだと』


 


 それがフェアリーダイヤの乙女ってわけか。



 

「なるほど」



 

 流石天下の公爵家の蔵書だ。恐らく辺境伯も掴めていないであろう情報を知ることができた。

 この情報はきっと儀式を襲撃する上でも役に立つ……が、そろそろこの場を離れないと。


 あまり長居して怪しまれてもいけないし、ティーニャがどこに行ったのか探さなければ。



 パタンと本を閉じて元あった位置に元あったように本を戻す。



 

「さて、お姫様はどこに行ったかな」


 


 踵を返して本棚に背を向けて、何気なく壁に飾られた絵が目についた。さっき廊下に飾られていた絵画の原画だろうか、『春雷』と題された巨大な白い絵画は薄暗い部屋の中でぼんやりと光るように存在感を放っていた。



 金の髪の美しい眉目秀麗の公爵と愛らしい子供達、幸せを象徴しているような一場面の中で異彩を放つ無表情の若い女性。

 さっきの絵では小さくてあまり顔がよく見えなかったけど、こちらではその顔がよく見えた。


 


「……あれ。この顔、どこかで」



 

 白銀の髪、桃色の瞳。俺たちがどれだけ探しても見つからないその色に気を取られてしまうが、俺はこの顔をどこかで見たことがある気がした。


 思い出せ、どこで見た?それさえ分かれば乙女を見つけられる確率が一気に高まる。髪の色は変えられても変えられないものはあるはずだ。


 


「ここまで来てるんだけどな」


 


 もう一度絵画を見上げる。

 白い頬、ぱっちりとした瞳、ふっくらとした唇、俺はいつどこでそれを見た。村か、街か、都か。いや、そんな至近距離で接触した女なんて俺には一人しか⸺



 

『グエンは私が、もうグエンのことなんて好きじゃないって言ったらどうしますか?』


 


 不意に、暗闇の中で泣きそうな顔をしていた彼女の姿が絵画の中の女性と重なる。


 もしかして……いや、そんなはずはない。だって彼女の瞳は桃色じゃあない。あり得ない、こじつけだ。

 心臓がやけに早く脈打って冷や汗が出てくる。


 嫌な予感から逃げるように書庫を去ると、少し肌寒い風が吹き抜けて肌を冷やした。

 

 早くティーニャと合流しよう。そしたら案外実物とは似てないってわかるだろう。そうに違いない。


 


「あ、グエン。ごめんなさい逸れてしまって」


 


 無我夢中で回廊を駆け抜けて、植物園の近くでようやくティーニャを見つけた。


 


「合流できてよかったです」

 



 ホッとしたように笑う彼女と対照的に、己の血の気が引いていくのを感じた。


 桃のように柔らかな頬、感情豊かな瞳、血色のいい桜桃みたいな唇。


 何度も見た、何度も触れた。何度も唇を寄せて、言葉を尽くして、愛しんだ。俺だけのものだと、硝子細工のように壊さないように守ってきた。

 見間違えるわけがない。


 


「グエン?どうかしましたか?」

 



 心配そうに俺を見つめる彼女に言いようのない感情が込み上げてきて止まらなかった。


 やっぱり、こんなところにいたのか。



 道理で見つからなかったわけだ。この顔は、フェアリーダイヤの乙女は、エグランティーノは。


 


「ティーニャ……」


 


 ティーニャ、君だったのか。

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