第二十三話 肖像画の女

 グエンの陰からそっと男の身なりを確認する。あの服装、どこかで見た気がするけど思い出せない。


 


「お二方なら我が古城に招待するに相応しいと雷公が仰せになった」


 


 淡々と、仰々しく、粛々と、恭しく鴉のような真っ黒な服を着た男が招待状を差し出す。役者のような所作に歌うような声、能面のような顔、掴めない不気味な男性だ。



 

「雷公は警戒心が強い。そこらの商人では古城の価値に目が眩んで何をしでかすか分からないが、かと言って平民に声をかけてもこの城の価値を理解することは難しい」



 

 雷公、確か豊沃の平野の人々は豊沃の公爵家の当主のことを畏敬の念を込めてそう渾名していると聞いた。


 雷公ユリウス。知恵の祝福を惜しみなく市民に還元し、歳の頃は姉様より少し下にもかかわらず彼の代からこの街は100年の進歩を一年で果たしたと言われるほど発展した。


 その彼が態々こんなことをするなんて、一体どういう事情なのだろうか。


 


「我々はただの旅のものです。そのような招待を受けるなど畏れ多いのですが」

「そう堅苦しいものではない。公爵家はこの古びれた城を有効活用しようと宿泊事業を考えている。貴方達は客としてあの城に滞在するだけでいい」

「公爵はいらっしゃらないと?」

「そうだ。招待とは名ばかりで、晩餐会もなければ舞踏会もない」

 



 グエンの持つ招待状に目を走らせると、確かに公爵家の穂と鳥の家紋とユリウス公の署名がある。この男性の勲章も含めて考えれば、嘘偽りのない公爵家からの招待だと受け取って問題ないだろう。


 そして勲章もなしにヒルデの騎士がここにいるとわかったということは……

 



「検問からつけていたんですね」

「折角検問を敷くなら有効活用せよというのが雷公の方針だ」

 


 


 なるほど、合理性を重んじる公爵家らしい考え方だ。疑う余地は無いだろう。


 どうする?と言いたげな顔で私を見下ろすグエンにアイコンタクトをして小さく頷く。


 


「そうであれば招待に応じない理由はありません。丁度宿を探していたところです、お招きに感謝します」



 



 ***



 



「この地にはかつて影の一族と呼ばれる有力者がいた。建国神話にもある天馬戦争で公爵家に屈したが、異民族にもかかわらずその後も公爵家の外戚として栄華を極めた……その象徴がこの城だ」


 


 コツコツと革靴の音が響く。薄暗い城はその歴史に反して、公爵家が頻繁に手入れしているからか今からでも人が住めそうなくらい綺麗だった。


 見たこともない絵画の並ぶ回廊。異文化を示すような色鮮やかな作品の数々はこの土地のかつての生活を描いているのだろうか。

 その中で一枚、真っ白な作品に目を奪われた。



 

「その絵が気になるか」


 


 その声に反射的に絵画から目を逸らす。あまり見ない方がよかったのかもしれない。


 


「それは何代も前の白百合殿だ。この国の言葉で言えば『フェアリーダイヤの乙女』か」

「白百合殿?乙女は乙女だろ」

「彼女は儀式の後公爵家に嫁いで第二夫人となった乙女だ。銀の髪が美しいと当時の雷公は彼女をいたく気に入ったらしく、それから公爵家では第二夫人以降を植物の名前で呼ぶようになった」

「第二夫人って、この国は一夫一妻じゃあ」

「公爵家は特別だ。飛び抜けた頭脳から恵みをもたらす公爵家の子供は何人いても足りない。当時は代々影の一族から正妻の『稲の君』を迎えていたせいで、皆短命だった」


 


 真っ白な絵画には無表情の女性と、対照的な笑顔を浮かべる金髪の男性、そして二人を取り囲むように大勢の子供達が描かれている。


 常に外戚であり続けるために娘を嫁がせていたのなら、子が短命でもおかしくはない。全く血縁のない他の家の娘を妻に迎えることで血を絶やさないようにしていたのだろう。

 そしてここに描かれている乙女はその一人だったというわけだ。


 


「行くぞ。客間はすぐそこだ」


 


 同じ境遇の女性の人生を思わぬところで突きつけられて、無意識に廊下を歩む足が重くなる。


 私ももうすぐ彼女と同じになる。子供と夫に囲まれても笑顔一つ作れない、無感動で無感情な人間になる。



 

「乙女って本当にいるんだね」

 



 いますよ、あなたのすぐ隣に。そんな言葉を飲み込んで、只管に足を動かした。


 それでもあの絵が頭から離れない。彼女の無表情が、未来の自分の姿が恐ろしくて、私は少しずつ自分に課せられた運命が現実のものとして迫ってきていることを実感した。


 


「着いた。ここが正夢の間……今晩はここで過ごすことになる」



 

 豪華絢爛な扉を前にトラウィスが立ち止まる。新品の錠前を開けて扉が開かれると、客間とは思えない立派な部屋が用意されていた。


 


「……俺ちょっと緊張してきたかも」

「心配は無用だ。値打ちのあるものは全て宝物庫に保管している」

「そりゃよかった」

 



 そうは言っても室内の調度品は全て一目見て一流のものとわかる。これはまた随分と気の休まらない部屋だことだ。



 

「私はここで失礼する。城の中は好きに散策していいが、品位を欠くことはしないように」

 



 そう言い残してトラウィスが立ち去ると、無駄に広い部屋の中に私とグエンだけが取り残された。


 無言の空間にレースのカーテンが風に靡く。どこかに荷物を置こうにも気を遣ってしまって床にさえ置き場がない。


 


「取り敢えず散策しましょうか」

「そうだね、それがいい」



 もし城の中にお風呂があるなら是非とも使わせてもらいたい。流石に使用後のリネンは洗うだろうけど、汚れた身体で寝るのは乙女心が許さなかった。



 鍵はトラウィスが置いて行ってくれたし、荷物は部屋に置いて行っても大丈夫だろう。


 


「俺、結局寝れなくて外で野宿してるかも」

「そのときは私も誘ってくださいね」

「勿論。ここなら庭も寝心地良さそうだしね」




 部屋の居心地は悪いかもしれないけれど、この広い城に二人きりというのは少し嬉しい。限りあるこの旅では、ただの私たちでいられる時間はどんなに些細なものでも貴重だった。


 


「その前に少しいいですか?」

「ん?どうしたの」

 



 扉を開けようとするグエンを呼び止める。

 一つ、確かめたいことがあった。


 私は振り返りかけたグエンの背中に飛びつくようにギュッと手を伸ばして、その広い背中に抱きついた。


 


「なになに、急に可愛いことして」


 


 嬉しそうな声にくすりと笑みをこぼして、逞しい身体にそっと頬を寄せた。



 

「グエン大好き」


 


 想いを通じ合わせたあの日、私は今を生きることを決めた。私のこの先の人生がどうだとか、グエンの幸せがどうだとか考えずに自分の心に素直に生きることにした。


 その気持ちに変わりはない……でも、あの絵を見てしまうとこれで良かったのかと迷いが生じてしまう。


 


「グエンは私が『もうグエンのことなんて好きじゃない』って言ったらどうしますか?」

「そんな悲しいこと言わないでよ」

「ちゃんと答えてください」


 


 グエンはきっと私が相手じゃなくても幸せになれる。こんなに素敵な人なんだから、むしろ私が相手じゃない方が幸せなのかもしれない。


 自分で自分を追い詰めるような想像をしたせいで鼻の奥がツンと痛くなる。


 


「うーん。どうする、かぁ」

 


 

 そんな私の様子を知ってか知らでか、グエンは予想もしてなかった返事を口にした。



 

「責任とってもらうよ」

「……へ?」

「俺のことこんなにしたんだから、最後まで責任とって付き合え!って言うかな」


 


 せ、責任?

 想定外の言葉に思わず口をあんぐりと開いてしまう。


 


「何驚いてんの。俺って意外と重たいんだよ」

「それは知ってますけど」

「はは、言うじゃん」



 

 責任を取るって言ったってどうしたらいいんだろう。私の心が無くなってしまったあとにグエンにしてあげられることなんて一つも思いつかない。


 戸惑う様子の私にグエンはカラカラと笑う。もう、私は笑うどころじゃないのに。

 


 

「ねぇティーニャ。俺は平民だけどさ、ティーニャと一緒にいられるように頑張るつもりだよ。軍に復帰してもいいし、他に方法があるならなんでもする」

「……はい」

「身分はどうとでもするから心配しないで」



 

 そういう意味じゃないんだけどな。とモヤモヤした気持ちでふとグエンを見上げると、声色に反して真面目な顔をしたグエンと目が合った。



 

「あ、えっ……?」

「ね、ティーニャ」



 

 反射的に手を引っ込めようとして、大きな手に両腕を掴まれた。

 ちっとも痛くないけど、こんな掴み方をされるのは初めてで心臓がバクバクと脈打つ。

 

 くるりと体を反転させられて扉に優しく追い詰められ、背中に扉の装飾が当たったのがわかった。



 

「俺たちはずっと一緒だよ」


 


 端正な顔が寄せられてハッと息を呑む。

 暗く光る黄金色の瞳にジリジリと重苦しい熱が垣間見えた。


 何の根拠もない言葉なのかもしれない。けれども私にとってはこの言葉が、この瞳が何よりも心強くて、燻っていた不安が自然と解れていった。

 



「俺がどんなことをしても、どんな人間でも、俺のことを好きでいて」

「……それは私の台詞です。変なことを聞いてごめんなさい」

「いいよ、ティーニャになら試されても」


 


 熱気の籠った呼気が唇をくすぐる。恐る恐る瞼を伏せれば、それを待っていたかのように噛み付くように、舐るように唇が重ねられた。


 


「グエン、大好き」




 それは一つの迷いもない私の本当の気持ちだった。

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