第二十話 くちづけ(R15)

「……本当にごめんなさい」

「次からはお酒禁止だから」

「約束します……」


 


 ガタゴトと路面の状態が悪くなる。

 ティーニャは居心地悪そうにもじもじと目を伏せた。


 流石のティーニャも昨日の出来事は記憶に残っていたらしい。真っ赤な顔で必死に謝ってきた彼女は酔いやすいものの後に残らないタイプなのか、すっかり酒も抜けてすっきりとした顔をしていた。



 まぁいいよ、あの時は大変だったけど思い返せば良い思いができたわけだし?


 


「他のやつの前で酒なんて飲まないでよ。何されるか分からないからね」

「絶対に飲みません!」

「それならもういいよ。あの村以外は飲み水もちゃんとあるし、お酒を飲む機会なんて殆どないから」



 

 ぽんぽんと頭を撫でてやると、猫みたいに頭を手に押し付けてくる。


 昨日も思ったけど、出会った頃に比べて随分と素直になったティーニャは甘え上手だ。強がっていただけで元々そうだったのか、それともシンプルに俺に心を開いてくれたのか、その両方かもしれない。


 



「グエン」

「ん?」



 

 隣に座るティーニャがギュッと俺の手を握りしめる。


 小さくて柔らかいふにゃふにゃの手を包み返すように手を握ると、背もたれにもたれていたティーニャが俺の方によりかかってピト……とくっついてきた。



 

「グエンにくっついたら、安心します」


 


 え、まだ酔ってる?と一瞬でも思ってしまった俺を許してほしい。


 俺の顔を見るのにあんなに恥ずかしがってたティーニャがこんなことをするなんて。そういえばあの時も顔を見るのが恥ずかしいとかなんとか言って横に座って来たよな。

 俺実はまだ宿で夢見てんのかなと頬を抓ったけど普通に痛い。


 


「一昨日まで俺の顔見るのも恥ずかしがってたのに、随分大胆じゃん」

「だってグエンの顔、分かりやすいんですもん。自分からするのはそんなに恥ずかしくないって昨日分かったので、先手必勝ってやつです」


 


 そう言ってむぎゅむぎゅと腕ごと抱きしめてくるティーニャにカッと体温が上がったのが分かった。


 俺、こんな誘惑されながら旅すんの?

 今から乗り合いに変えられたり……しないよな、俺が馬車ってゴリ押ししたんだもんな。


 


「ちなみにティーニャ。閨の勉強は帰ってからだって言ってたけど、どのくらいまで知ってんの?」

「詳しいことは全然教えてもらってなくて……でも好きな人以外に触らせちゃいけないところがあるのは知ってますし、コウノトリとかが嘘だっていうのも知ってますよ!」




 至って普通のことのように実質何も知りませんと宣言したティーニャ、つまり今までのティーニャの行動は純粋な触れ合いだったというわけだ。



 お嬢様ってのはみんなこんなものなのか、それともティーニャの家がかなり変わってるのか。兎にも角にも昨晩欲に負けてキスをしなくて本当によかった。


 


「それがどうかしましたか?」

「や、こっちの話」


 


 俺の言葉に疑問符を浮かべているティーニャだったけど、すぐに興味が窓の景色に移ったのかそれ以上を聞いてくることはなかった。


 


「いいお天気ですねぇ」

「そうだね」


 


 窓から見える看板に示された藍苺の街までの距離は着々と短くなっていってる。



 ご褒美のような拷問のようなこれからの旅路は、喜ぶべきか悲しむべきか、怖いくらいに順調だった。





 ***


 



 そうして馬車での旅は折り返しを過ぎて、いよいよ街まであと僅かとなった。


 


「予定通りで何よりですね〜」

「そうだね」

「平野を抜けたら野営続きなので、グエンの言う通り馬車にして正解でした」




 呑気にニコニコと笑うティーニャ、この小悪魔に俺はこの道中ずっと狂わされてきた。無邪気な顔をして実はとんでもない女なのかもしれない。



 というのも、俺はあの晩からティーニャにキスをすることはおろか、キスのチャンスさえ与えられていないのだ。


 手を掴まれた流れでキスをしようとすれば御者が休憩を知らせに来る、不意打ちでしようとすれば路面が急に悪くなる、天に邪魔をされてるとしか思えなかった。


 


「あ、見てください。夕暮れがよく見えますよ」


 


 馬車を降りて夕食まで少し時間があった。


 村のすぐそばにある人気のない小高い山まで散歩に来た俺たちを、オレンジ色の物悲しい光が照らす。

 ティーニャの指す西の方角では黄金色の小麦畑が砂金のようにキラキラと輝いて、地平線の向こうに太陽が去っていこうとしていた。

 



「あの先にはどんな世界があるんでしょうね。西の国、いつか行ってみたいなぁ」

「いいね、今度は歩いて旅をするのも楽しそうだし」


 


 少し肌寒い風が吹き抜けて天を向く麦穂がざわざわと波打つ。

 人の営みと自然の力が融合した壮大な景色に見惚れていると、ティーニャがくすくすと笑みをこぼした。


 


「一緒に来てくれるんですか?嬉しい」

「……そりゃ行くよ、遊びじゃないんだから」

「その時は変装とかせずに堂々と一緒に歩きたいですね」

「確かにね」


 


 ティーニャに言われて初めて、当たり前にティーニャの横にいようとしている自分を自覚した。


 都で散々オイゲンに言い訳していたのが馬鹿らしく思える。今まで恋愛を避けてたのはこの時のためなんじゃないか、なんて三流の恋愛小説みたいなことを本気で思ってしまうくらいに彼女のことが好きで、そんな自分のことも恥ずかしいと思わないどころかむしろ好ましく思えた。


 


「ティーニャ」


 


 今がチャンスだ、なんてことは思わなかった。


 夕陽を背に振り返るティーニャの帽子を手に取って、村からの目を阻むようにティーニャの顔を隠す。


 


「俺を見て」


 


 僅かに紅潮したその顔はこの先のことを察しているらしい。


 身を屈めて細い腰に手を回す。

 柔らかくぷるんと実るそこに誘い込まれるように唇を寄せて、そっと顔を傾けた。


 


「好きだよ」


 


 弾力のある柔らかい唇の感触。光が射し込んで俺と同じ色になった、うっとりと潤む瞳。


 それ以外のことは記憶にないくらい幸せだった。


 


「グエン、大好き」

 



 恥じらうように瞳が伏せられた。それを合図に一度離したそこにもう一度食らいつく。

 桜桃みたいな唇に吸うように食みながら何度も何度も角度を変えた。


 念願のそこはどれだけキスをしても足りなくて、気づけば俺は腰を抜かして地面に手をついたティーニャに覆い被さるようにキスをしていた。


 


「もっと、してください」


 


 その言葉に誘われるまま唇に舌を這わせる。


 箍が外れてしまえば欲は止め処なく溢れてくる。このまま全部捨てて遠くへ逃げてしまいたい。俺たちのことを誰も知らない場所に彼女を攫ってしまいたい。そんな仄暗い願望が鎌首をもたげた。

 

 なぁティーニャ、ずっとそばにいてくれないか。そのためなら俺はなんだってする。罪のない人間を殺してでも、彼女の家を不幸にしてでも彼女と一緒にいたい。


 俺はこういう人間なんだよ。でも、そんな俺でもティーニャなら愛してくれるだろ?

 


 内臓を焼くような情念に駆られて、何度も何度も小さな唇を丸ごと食べるように舐り上げた。




「ティーニャ、かわいい、すごくかわいい」


 


 はぁはぁと苦しそうに息を繰り返す様さえ可愛くて堪らなくなる。苦しいんだ、俺にキスをされてヘトヘトになっちゃったんだ、かわいいなぁ。


 


「ん、はぁ……グエン」


 


 悩ましげに寄せられた眉と熱に潤む声が色っぽい。


 これ以上は我慢できなくなりそうだと名残惜しみつつも唇を離せば、麓の宿屋に続々と村外の人間が入っていくのが見えた。


 


 そろそろタイムリミットだ。

 



「ティーニャ……嫌じゃなかった?」

「嫌だなんて、あるわけないです」

「よかった」

 



 ぽってりと腫れた唇と、紫の夕焼けを反射して僅かに桃色になった瞳はどこからどう見ても男には見えない。


 桃のような頬を撫でて帽子を目深に被せる。

 本当はもっとその顔を眺めていたかったけどこうでもしないと本気で我慢できなくなるし、そもそも他の奴にこんな顔をした彼女を見られたくなかった。


 


「グエン」

「なぁに」

 



 土のついた膝を払って立ち上がり、ついでにティーニャも立たせてやる。


 子鹿みたいに震えてて可愛いなと微笑ましく見ていると、全身を力ませたティーニャに突然抱きつかれた。


 


「ま、また、キスしてください」

「……え」

「私、グエンに触られるのは、その……好きです」



 

 言葉の意味を理解するのに数秒かかった。俺に触られるのが好き……俺に触られるのが好き!?


 


「ティ、ティーニャ、今からもう一回してもいい?あと一回だけだから……」

「えっ?、んむっ」


 


 辿々しいおねだりにまんまとノックアウトされた俺はまたティーニャの口に吸いついて、当然キスは一度では終わらなかった。



 




「おや、どこに行ってたんだい。見るとこなんて畑くらいしかない村なのに」

「……ちょっと道に迷って」

「この辺は全部一本道だけど」

「あはは……」

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