幕間 秘密の花園で、あなたと
雨上がりの匂いがする夕方前。
馬車がゆっくりと止まった。
「ここから先に進むと次の村まで半日以上かかる。今日はここで勘弁してくれよ」
御者のその言葉に説得力を持たせているのがこの村の通称名だ。
「午後寝村って、村の人たちからしたら嫌じゃないのかな」
「良い広告になっていいんじゃない?」
午後寝村、つまり午後に着いたらここで休むのが吉という旅人たちの知恵が詰まったこの村は、都に比較的近いこともあって村というよりは町のような雰囲気を醸し出していた。
「夕飯にするにはまだ早いし、宿で休むほども疲れてないし、どうしたもんかな」
馬車を降りてぶらぶらと小さな町を散策するも、あっという間に通りの端に辿り着いてしまう。魅力的な軽食も夕飯前だと考えたら手が伸びないし、都で装備を整えたおかげで買いたいものもなかったのだ。
「人探しはしなくていいの?」
「もう済んだよ。だって俺たち、この店の前通るのもう4回目だよ」
小さな町の通りを行きつ戻りつすること半刻、完全にすることを失った私たちは仕方なく町外れの公園で暇を潰すことにした。
「見てください、水面に何か浮いてますよ」
公園の片隅にある小さな泉、その上で色とりどりの花が波に揺れていた。
泉の周りにはそれらしき花なんて咲いてないから、もしかすると誰かが花弁を撒いたのだろうか。
「綺麗だけど何のために?」
「多分ですけど、おまじないか何かじゃないかと」
「ほぉ」
「子供のときに本で読んだんです。水辺の前で花弁を手のひらに乗せる。好きな人の顔を思い浮かべたら、あとはふぅっと息を吹きかけて飛ばすだけ。花弁が綺麗に水の中に落ちたら恋が叶って、他の場所に落ちたら叶わないそうですよ」
よく見てみると公園の中には花盛りを終えて花を散らした植物があちこちにあった。きっと地面に落ちた花弁を見て子供たちがおまじないで遊んでいたのだろう。
「それってどんな花弁でもいいの?」
「ええ、大抵は相手のお家の庭に咲いているのと同じ種類の花だったりするみたいですけど」
「なるほど」
あれだけ沢山花弁が落ちてるということは、きっとみんなの恋は叶うのだろう。幼い子供たちが遊んでいる姿を想像して微笑んでいると、グエンが花びらの落ちているあたりに腰を下ろしてあれでもないこれでもないと花を選り始めた。
「……あれ?そういう意味で教えてくれたんじゃないの?」
「ふふ、いいですよ。私も探してきますね」
折角ならグエンらしい花を選びたい。何かいいものは落ちていないかと大きな木の周りを探してみる。
グエンだったら何が似合うだろうか、花弁の数は少なめでシンプル、でも大ぶりの華やかな花……そんな都合のいい花が公園にあるだろうか。
「ね、こっちきて」
木の根元で花弁を物色していたグエンに声をかけられて立ち上がる。はいはい、と返事をしようとして、その姿が見えないことに気づいた。
あれ、声は聞こえるのにどこにもいない。焦ってグエンの名前を大声で呼びそうになって、グッと堪えた。
「どこですか?おーい」
「こっちこっち、下の方見て」
「下?」
きょろきょろと声のするあたりを見ても誰もいない。言われた通りに下を見ても木の根元があるだけ。
確かグエンはさっきまでこの木のこのあたりに座ってたはず、とでこぼこした木の表面を撫でて、ふとその感触に違和感を覚えた。
見た目の割にやけに滑らかだ。まるで百日紅みたいだけど、どこからどう見てもこの木は百日紅じゃない。これ、本当に本物の木なのかな。
「気づいた?そこ押してごらん」
押してくださいと言わんばかりに少しへこんだ場所をゆっくりと押してみる。
「わ、わわっ……!!」
まるで扉のように木が開いていく。恐る恐る全て開いてみると、中でグエンが悪戯っぽく笑っていた。
「これ、隠し扉ですよね」
「うん、どこに繋がってんだろね」
手を離すと静かに扉が閉まる。暗くなるかと思いきや、何処からか光が差しているようで不思議と中は明るかった。
「いってみましょうか」
蔦の這う石造りの壁はしっとりと濡れている。歩くたびに水の音がぴちゃぴちゃと跳ねて、少しの気味悪さに私はグエンの袖を掴んだ。
「誰かの家の庭に出たらどうする?」
「ひたすら謝ります」
「山賊の隠れ家だったり」
「公園なんかに入り口を作る山賊はいません」
しばらく歩くと随分と光が近くなった。出口だ。
「わぁ……!!」
「これは……すごいな」
洞窟のような石造りの通路を抜けて出た、その先。
四季を代表する美しい花々が咲き誇り、緑の上に雫が滴り落ちる。涼しげな噴水の水飛沫とそよ風の声。水辺で戯れる小鳥の囀り。
「秘密の花園、ですね」
まさにその名が相応しい庭園に溜め息が漏れる。妖艶な大輪の花に可憐な蕾、それぞれの花が主役で、なのに調和が取れている美しい園。
その中央にある古びたガゼボは人が使わなくなって長いのか、色褪せた装飾が神秘的な空気を漂わせていた。
「こんな綺麗な場所があるなんて、何で隠してるんだろね」
「大事だから隠してたんじゃないですか、こんな素敵な場所。もしかしたら誰かの思い出の場所だったのかも」
噴水の周りに腰掛けて、キラキラと煌めく水面に手を伸ばす。気持ちのいい冷たさの水は宝石みたいに飛沫をあげて空気に溶けていった。
「ティーニャ、これとかどう?」
地面に絨毯のように落ちていた色とりどりの花弁。その中からグエンが選んだひとひらは、桃色の丸みを帯びた花弁だった。
「じゃあ私は……これ」
その隣に落ちていた橙色の大きな花弁を手のひらに乗せて噴水の前に二人で並ぶ。
「念の為聞いとくけど、誰の顔思い浮かべる予定?」
「目の前の人以外にいると思いますか。グエンこそどうなんです」
「それこそティーニャ以外いるわけがない」
そんな軽口を叩きながら瞳を閉じて、瞼の裏にグエンの姿を思い描く。どうかこの恋が幸せな結末を迎えますように。
その想いを込めてふぅ、と息を吹きかける。
ふわふわと風に流される花弁はグエンの飛ばした花弁と共に、静かに水面に波紋を広げた。
「ま、こうなるよね」
うんうんと満足げに頷くグエンの隣で、私はその笑顔をじっと見つめる。
好きだなぁ。グエンのことをずっと好きでいられたらどんなに幸せだろうか。
「どうしたの、何かついてる?」
「いえ、何も……あの、お願いがあるんです」
「なぁに」
優しく私を見下ろす黄金色の瞳に胸が締めつけられる。こんな時間がずっと続いたらいいのに、なんて口にできない想いを飲み込んで、その日に焼けた肌に手を伸ばした。
「日が傾くまでこうしていてもいいですか」
そっと厚い胸板に頬を寄せるとグエンが小さく息を呑んだ。
二人きりになる以上に恥ずかしいことをしているはずなのに不思議と恥ずかしさはなかった。
「喜んで」
大きな背中がグッと縮こまって私の身体を優しく抱き竦める。広い背中に手を伸ばしてギュッと力を込めれば、少し嬉しそうにグエンの口元が緩んだ。
「意外と力強いね」
「嫌ですか?」
「全然、むしろ好きだって言われてるみたいで嬉しい」
あたたかい。グエンの体温が、匂いが、息遣いがすぐそばにある。この腕の中にいれば私に怖いものなんて何もないような気さえして、親の腕の中で微睡む幼子のように私は瞳を閉じた。
「グエン、大好き」
優しいところが好き。意地悪に見せかけて気にかけてくれてるところが好き。くしゃっとした笑顔も子供みたいにきょとんとした顔も、眠そうな顔だって。
私みたいな身分以外に何もない空っぽの人間を好きになってくれて、沢山の世界を注ぎ込んでくれて、昔の私からは想像できないくらい私の人生は輝き始めた。
「それは俺の台詞だよ」
大好きだよティーニャ。
その言葉は空がピンク色に変わるまで、私の瞳が人知れず空と同じ色に染まるまで、私の心をしっとりと満たしてくれたのだった。
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