第十八話 花筏の行方
「水路です」
「いや、馬車だね」
都について4日目の昼、いよいよ街を出る時がきた。
が、私たちは揉めていた。
「途中の中核都市までロテュス川から水路で行けます。それなら馬車を借りるより格安ですし、細かい旅程を考えずに済みます」
「一度乗ったことはあるけど水路は最悪だよ。揺れるし乗り合いだから色んなやつがいるし、生活排水まみれで衛生的なことも考えたら多少高くても絶対馬車」
「むむ……」
そう言われてしまうと反論できない。乗ったことのない私が机上の空論を言うよりも、船に乗ったことのあるグエンの言うことを聞いた方が利口だろうから。
そもそも、私が水路を推す理由は大したものじゃなかった。
「そもそもなんでティーニャは馬車が嫌なわけ?」
不思議そうにグエンが問うてくる。私が馬車を拒む理由、それは。
「……か……からです」
「ん?」
「ずっと二人きりなのが、恥ずかしいからです……」
ここから馬車に乗るとなると、日中は移動で夜は近くの村で寝泊まり。馬を変えてまた走るという流れになる。
つまり実質ほぼ密室に二人きり。想いを伝え合ったばかりのグエンと二人きりになるというのはなんというか……とにかくどんな顔をしたらいいのか分からないのだ。
「グエンは恥ずかしくないんですか?」
着替えやその他都で買った品で大きくなった荷物を入れるために用意した大きめのバッグをギュッと握りしめる。
私は恥ずかしくて堪らないのに、とグエンを見上げると、真顔のグエンと目が合った。
「ぐ、グエン?なんでそんな無表情……」
「俺の口は思ったより緩いらしいから律してんの」
「はぁ」
「ねぇ、やっぱり絶対馬車だって。俺は二人きりの方が嬉しいもん」
嬉しい、グエンは私と二人きりだと嬉しいんだ……グエンが私のことを好きなのは知ってたはずなのに、こうしてストレートに言われて漸く現実のものとして実感が湧いてきた気がする。
そんなドキドキすることを言われてしまえば、私だってこれ以上言うことはできない。
「じゃあ、馬車で」
ちらり、と表情を窺うとグエンは本当に嬉しそうな顔をしていた。
どうしよう、これでこれからずっと二人きりなんて心臓がいくつあっても足りないかもしれない。
「楽しみだね、ティーニャ」
頭をくしゃくしゃと撫でられるままに俯く。
刺激の多い旅の予感に、私は無言で頷くことしかできなかったのだった。
「じゃあ豊沃の平野の藍苺の街まで、南回りでってことでいいかい?」
「はい」
「夜行と乗り継いだら割高だけど半分の日数で着くよ」
「急がないから夜は近くの村で休むことにするよ」
「あいよ」
無事に馬車を借りることができた私たちは、半額ずつ運賃を支払い予定通り正午に都を出ることができた。
「あ〜〜やっぱ馬車だよ馬車」
今日は月が昇る頃に村に入って馬車宿で夜を明かし、明日の朝また出発する。
グエンと出会った時に乗った馬車は夜行に対応できる座席だったから乗り心地も良かったけど、今回の馬車は至って普通の座席。夜はきちんと宿で寝ないと体がもたない。
「ティーニャ、あれが水路の乗り場。すごい人だろ?絶対馬車で正解だったって」
私の前に座るグエンは非常にご機嫌そうだ。私はこれから毎日ずっとグエンの顔を見て過ごさなければいけないというのに。
耐えられる気がしない。だって今の私はグエンの目を見るだけでもドキドキして死んじゃいそうなのに、それがずっとだなんて。
「ティーニャ?」
向いに座るグエンが不思議そうに私を見つめる。駄目だ、やっぱり恥ずかしい。
顔を見ることは勿論身体を見ることさえできなくてウロウロと目線を馬車の中に彷徨わせると、ふとグエンの横の席に置いてある荷物が目に入った。
これ、どけたら私一人くらい座れるんじゃない?
「ちょっと荷物動かしますね」
「え?」
まだ地面がいいから移動するなら今だ。
私はグエンの荷物を私の座っていた座席に乗せて、空いた空間に腰を下ろした。
「これでよし」
向かい合わせで座るよりも少し窮屈だけど、目の前にグエンはいない。向かい合っているより真横に座る方が距離は近いけど、横を向かなければ姿が見えない分駆け足の心臓が早歩きくらいには落ち着いてきた。
「なんで横に……いや、別に嫌とかじゃなくて俺的には喜んでなんだけど」
「ずっとグエンの顔を見てたらドキドキしてちっとも落ち着けないんです。10日もずっとこんなだったら、藍苺に着く前に私死んじゃいますから」
そう言って背もたれに重心を預けると、横のグエンからグゥと呻き声が聞こえた。
「俺はこっちのが死にそうなんだけど……」
それきり黙ってしまったグエンの体温を感じながら、窓越しの景色をぼんやりと眺める。
まだまだ都会の匂いを残した街並みから建物が少しずつまばらになっていく。民家やアパートメントの2階に飾られた花達は私達を華やかに送り出してくれているようで、私は知らない国の絵画でも見るような心地でそれを眺めていた。
「私、この景色を一生忘れないと思います」
無言のままグエンも窓を覗き込む。
「なんで、普通の街並みじゃん」
分からない。自分の住んでいた街の外れの景色なんて記憶にはそうそう残らないはずなのに、なぜこんなに美しく感じるのか。
陽光に色づく色とりどりの家々、青々と風に吹かれる緑、雫が光を浴びる小さな花。ありふれた景色が美しいと思えるのは、なんでなんだろう。
「なんとなく、綺麗じゃありませんか?」
自然と溢れる笑みのままに頬を緩めると、グエンにもこの感覚が通じたのかフッと目元を柔らかくして頷いてくれた。
「確かに、なんとなく良い感じかな」
***
「レイモンド殿、乙女の儀式について分かったことがあると主から伝言が」
辺境伯の護衛の男がアジトに来た。
要件を聞いたが詳しいことは屋敷に来て話すとしか男も聞いていなかったようで、僕は急いで支度を済ませて辺境伯の滞在する屋敷に向かった。
護衛の男の案内について、敷地の隅の木こり小屋から屋敷の中に足を踏み入れる。
迷路のような屋敷の中を進んでいき、一等立派な部屋に通された。辺境伯の自室だ。
「レイモンド君、よく来たね。ジャック君はもう街を出たのかね?」
「はい、噂では今日の昼頃に馬車で街を出たそうです」
「なるほど……彼にも早く伝えたいことなんだが」
アジトに来るときと違い品よく整えられた髭を指で撫でながら辺境伯は上質な椅子に腰掛けた。手に持っているのは色褪せて表紙の文字さえ読めなくなった古い本。
「乙女の儀式には曖昧な部分が多いと、以前の会合で言ったのは覚えているね」
「勿論です」
辺境伯は古い本のあるページを開き、机の上に置いた。
本に描かれているのは壁画のような挿絵と平易な文章、見覚えのない単語や文法から察するに、昔の貴族の子弟向けの児童書だろうか。
そしてその一部、淡い色彩で描かれたその挿絵は乙女が何かに口付けをしている瞬間を描いたものだった。
「これだよ。レイモンド。これが謎を解く鍵だ」
「はぁ……」
訳が分からなかった。このシーンの一体何が重要なのか。
口付けというのは男女の性愛という性的な側面と母なる愛の神聖な側面があり、その二面性から他国の宗教画でもよくモチーフにされる行為だ。
「よく見たまえ、乙女は何に口付けをしている」
「これは……宝石ですか?」
「そうだ」
全体的に淡い色彩と経年劣化のせいで石の種類までは分からないが、乙女は確かに宝石に唇を落としていた。
「この宝石の正体はまだ分からない。侯爵家の秘宝なのかリーブラの礼拝堂に秘されているのか、そもそも実在するのかさえ分からない。天馬というくらいだ、処女性を描いている可能性が一番高いだろう」
「つまりこの宝石の正体を突き止め、それを破壊することが出来れば」
「うむ、そういうことだ。……まぁ、念には念を入れて乙女を始末する必要があるがな」
確かにこれはグエン……ジャックの耳にも一応入れておいた方がいい情報だろう。いくつかの噂や情報が合わさって一つの事実が判明するということは往々にしてあることだ。
「分かりました、すぐにジャックに知らせます」
「頼んだよ」
早くグエンのもとへ行って、この情報を伝えなければ。
僕は急いでアジトに戻ってグエンを追うことを仲間に伝えると、馬を借りて急いで街を出たのだった。
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