第十五話 その心は
グエンにまさかの思いを告げられて、私はすっかり目が冴えてしまった。
「……うーん」
眠れない。
グエンを起こさないように気を遣いながら、モゾモゾと寝返りを打つ。テーブルを挟んで反対側のベッドで眠るグエンは元軍人なだけあってどんな環境でも眠れる訓練を受けてるのか、起きている気配はしなかった。
真っ暗な部屋の中で、猫の鳴き声だけが遠くに聞こえる。
「……はぁ」
時間が欲しいとは言ったけど、私の気持ちは殆ど決まっていた。
『ティーニャ。俺、ティーニャのことが好きだよ』
初めて見た苦しそうな顔。まるで重大な罪でも告白するかのような顔つきで思いを伝えてくれたグエンに、私は素直に嬉しいと思ったのだ。
彼は意外と優しいし面倒見もいい、体力も頼り甲斐もある、それに騎士という保証された身分もある。
けれど、私には時間をもらわないといけない理由があった。
『エグランティーノ、これからお前に大切なことを教える』
昔、私がまだ幼い頃に当主だった父が言った言葉。
『お前は乙女だ。18歳になって物事の分別がつくまで私たち家族以外の男性と関わってはいけない』
『私、結婚できないの?』
『いや、そういうのじゃない。お前が儀式を終えれば結婚でもなんでもしてもいい。でもお前のその心だけは、絶対に天馬以外に捧げてはいけないんだ』
フェアリーダイヤの乙女に求められるのはただ一つ、桃色の輝きを放つその心だ。
心とは情けであり、弱さであり、愛。その全てを天馬に預ける⸺心を捧げるとはつまり他者への愛と引き換えに天馬に加護を請うこと。それが生まれたときから私に課せられていた使命だ。
だから本来成人する前に教えられるはずの閨の勉強も私は儀式を終えてからとずっと後回しにされてきた。異性への関心を持つことを防ぐため、と教えられた。
私だってグエンのことは好ましく思っている。
キスをするところを考えると胸がドキドキするし、今まで意識しないように頑張っていたけれど彼の優しさに触れるたびに勘違いしそうになっていた。
グエンは良い人だ。だから幸せになってほしい。
天馬に心を捧げる私ではなく、グエンに心を尽くしてくれる誰かと。
「寝れないの?ティーニャ」
ぼんやりとグエンの背中を眺めていると、不意に声をかけられた。
「起こしましたか?すみません」
「いや、元々眠りが浅いから」
そう言って寝返りを打ってこちらを向いたグエンは優しく私を見つめていて、ギュッと胸が締め付けられた。
グエンの幸せを願うなら身を引いた方がいい。でも、彼が自分以外の誰かに同じような目を向けるのは耐えられない。
「……私、我儘だなぁって」
「なに、俺の話?」
「グエンに幸せになってほしいのに、私も幸せになりたい」
「え、遠回しに振られてる?」
「違います……私といると、グエンは嫌な思いをすると思います。家柄的に……」
グエンは考え込むように視線を彷徨わせる。
私のこの想いは儀式が終われば消えてなくなる。心を捧げるとはそういうこと……すぐに失われる淡い想いだ。
真剣に想いを伝えてくれたグエンに返す気持ちが、そんな制限付きのものでいいのだろうか。もし家に私たちの関係がバレたら?そもそも、期限付きの感情しか持てない私なんて彼には相応しくない。
そう思った時、グエンが漸く口を開いた。
「ティーニャの素直な気持ちは何?俺がどう思うかとかじゃなくて、ティーニャが最初に思ったことは?」
「素直な、気持ち……」
「別に障害が一つもないなんて俺も考えてないよ。それよりも俺のためにって理由で本音を言ってもらえない方が嫌なんだけど」
その言葉は私の心にスッと入っていって、色々な感情で雁字搦めにされていた私の本心を解きほぐしていく。
「それに、もしかしたら俺が『やっぱ好きじゃないかも』ってなる可能性もあるからね。たった数日で俺がティーニャのことを好きになったみたいに、人間の心なんて簡単に変わるんだ」
「ふふ、それもそうですね」
「それも踏まえて、答えが決まったら教えてよ」
じゃ、俺本当に寝るから。とグエンは私に背を向けてすぐにまた寝息を立て始めた。
人の心なんて簡単に変わる。言われてみればそうかもしれない。私は家族や友人としか関わりがないから分からなかったけど、男女の関係なんて尚更そうなのかもしれない。
そんな中で好きな人に好きと言ってもらえるのは正に奇跡だ。
どうせ天馬に心を奪われるなら、それまで悔いのないように心のままに生きよう。
そう決心して眠りにつこうとした私だったけど、心が決まった分今度は告白された時のグエンの顔や声を思い出してしまって、結局一睡もできなかったのだった。
***
「おはようございます……」
「はは、眠れなかったんだ」
グエンは告白してきた側のくせに妙にスッキリした顔をしていて、それがなんだか腹立たしい。
もう、私ばっかり翻弄されてる気がする。
眩しい朝日が目を焼くようで、眉間を揉みながらのそのそと起き上がる。
肩が痛い、頭も痛い、でも頭は妙に冴えてる。
眠れなかったとき特有の身体の重さに思わず欠伸が出てしまった。
「今日はティーニャも何にも予定ないよね」
「はい、そのつもりです」
「じゃあ今日はもう宿でのんびりしようよ。明日には出なきゃいけないわけだし」
「助かります……」
正直この体力で外を出歩くのはしんどい。それに夜はちっとも眠くなかったくせに太陽が昇った途端に強烈な眠気に襲われるし、明日まで出来たらのんびりしたかったから素直に有り難かった。
「朝ごはん食べられそう?」
「はい、考えすぎてお腹ぺこぺこです」
「そりゃ良かった」
目を何度も擦って身支度を整える私を見て、グエンはすごく嬉しそうに笑う。まったく、人の気も知らないで。
「なに、拗ねてんの」
「私が眠れなかったのに、グエンが嬉しそうだから……」
「あ、バレてた?だってそりゃ、好きな子が俺のことで頭がいっぱいになって眠れないなんて嬉しいに決まってんじゃん」
「すっ……!?」
不意打ちの甘い言葉にまた頭がオーバーヒートしそうになる。なにこれ、本当にグエン?なんか人格変わってるような……いや、でも元から結構意地悪だから変わってないのかも?
真っ赤になった頬を冷ますためにも昨日貰った桶の水に手拭いを浸して顔を拭く。ひんやりとした冷たい水が、熱気のこもる頭を正常に戻していく。
「グエン、今晩私からも大事な話があります」
「……ま、心の準備をして待っとくよ」
そうこうしている間に宿の中は少しずつ騒がしくなってきて、外からも人の声が聞こえてきた。
「じゃ、朝ごはん食べに行きましょう」
「はぁい」
この日の朝食べたのは、固めのパンと昨日の残りのカブのポタージュ。
昨日はちっとも味が分からなかったけど、今日改めて食べるとすごく美味しくて勿体無いことをしてしまったなと後悔した。
「このスープ、こんなに美味しかったんだな」
「え?やっぱり?」
「やっぱりって……まさかそっちも?」
お互いに顔を見合わせて、フッと笑みが溢れる。なんだ、グエンも昨日緊張してたんだ。
「俺、婚約者がいると思い込んでたからマジで味しなかったんだよ」
「こっちこそ、すっごい深刻な顔で悩んでるから妹さんが見つかったのかと思って」
声を出して笑いながら、ぽってりと濃厚なポタージュを口に運ぶ。うん、すごく美味しい。カブの旨味と玉ねぎの甘み、バターの濃厚さと塩味の塩梅が絶妙だ。
「美味しいね」
「うん、昨日は惜しいことをしたよ」
そうして食べ終わる頃には宿の中はすっかり賑やかになっていて、私たちはその騒がしさに耳を傾けながら銅貨を差し出して女将さんにもう一杯のポタージュを頼んだのだった。
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