第十四話 傅く

「おいしかったですね」

「……あ、うん。そうだね」


 


 全く味のしなかった食事を終えて部屋に戻る。


 反応の薄い俺に不思議そうな顔をしたティーニャは、けれども何かを聞いてくるわけでもなくいつものように部屋の鍵を閉めた。



 ティーニャに恋人がいるかもしれない。


 オイゲンに言われて想像した時は全然何とも思わなかったのに、いざその場面を見てしまうと信じられないくらい頭がボーッとして全身から汗が止まらなかった。



 

「グエン、今日は何してたんですか?」

「特に何も。軍にいたときの友達に会ったよ」



 

 嘘はついていない。レイモンドだって今は革新派だけど元々は軍の友人だし、オイゲンにも会った。


 


「ティーニャは?何してたの?」


 


 震えそうな声を抑えて、いつも通りのグエンの声で尋ねる。


 


「私は図書館に入り浸ってました!……あ、そうだ。広場でお昼を食べたんですけどグエンのファンに見つかっちゃって、すごく見られたから慌てて逃げたんです」

「あは、ちゃんと俺に成りきれたんだ。偉いじゃん」



 

 それで、いつあの男に会ったの?あの男とはいつからの付き合いでどういう関係?


 聞きたいことは山ほどあるのにどれも口に出すことはできなくて、あたたかい明かりが滲む室内に深い沈黙が落ちた。


 


「……ティーニャ」

「はい」

「俺との旅は楽しい?」



 

 そんなことを聞かれると思っていなかったのか、ティーニャはパチクリと目を瞬かせた。



 

「はい、勿論!」



 

 当たり前じゃないですか、と微笑む口元に小さな笑窪が見える。


 この表情をあの路地裏の男も見せたのだろうかと思うと胸を締めつけられるような息苦しさに襲われた。



 悔しいけど認めるしかない。俺はティーニャのことが好きだ。人間としてだけじゃなくて、一人の女性として。


 それならば、きちんとけじめをつけなければ。


 


「ティーニャ、俺はティーニャに謝らないといけないことがある」



 

 笑顔を一転させて不安そうに俺を見上げるティーニャに胸が痛むけど、ちゃんと伝えないと。


 あの男が婚約者であろうとそうでなかろうと、自分を女として見ている男と旅をするのは不安が付き纏うだろうから。



 

「妹さん、見つかったんですか?」

「いや、違う。ティーニャ……俺は、俺は……」



 

 少女にしか見えないふっくらとした唇が震える。黒目がちな瞳が不安に揺れる姿さえ可愛く見えてしまって、グッと喉を詰まらせた。思えば初めて会った日、彼女に目を奪われたときから全ては始まってたんだ。


 認めてしまえば全ては単純なことだった。俺の知らない間に成長していた感情から蓋が外れて、こぼれ落ちてくる気持ちの一つ一つの扱いを知らないまま俺は立ち尽くしている。



 

「無理に言わないでください、グエンの言いたいときで構わないので」


 


 無防備に近づいてくる肩に触れたい衝動を抑えて、俺はかつて叙位のときのように片膝をついた。


 今まで気軽に触れていたのが信じられない。髪なんて以ての外だ。あのときはまだ好きじゃなかったからか、それとも無自覚だったからかは分からないけど、今から考えると馴れ馴れしすぎるだろう。



 

「言わなきゃいけないことなんだよ。これから俺と旅を続けるかどうかを決める、大事な話だから」

 



 そうだ、言わなければいけない。言え、言うしかない。



 


「ティーニャ。俺、ティーニャのことが好きだよ」

「……え?」


 


 驚きに見開かれたこぼれ落ちそうな目が俺を見つめる。



 

「グエンが、私のことを好き……?」

「うん、残念ながら。だからティーニャ、それも踏まえた上で俺と旅を続けるのか選んでほしい。下心のある男と旅をするのが怖いなら勿論断ってくれても良い。俺は同意の無いティーニャに手を出す気は一切ないけど、ティーニャを不安にさせるくらいなら……」


 


 俺の気持ちに応えられないなら旅は続けない、なんて身勝手なことを言うつもりはない。ティーニャを一人にするよりも失恋に苦しみながら旅をする方がよっぽどマシだから。


 好きな女と寝食を共にするのは幸せでもあり苦痛でもあるけど全ては分不相応な俺の気持ちの問題でしかない。


 


「ごめんティーニャ、婚約者がいるのにこんなことを言って」

「……婚約者?」

「見ちゃったんだよ、さっき路地裏でティーニャが男と二人でいるのを」


 


 あの親しげな雰囲気にティーニャの安心したような笑顔、貴族の令嬢とあんな距離感で話せる相手なんてのは限られてくる。


 


「路地裏って……まさか」


 


 顔を青くしたティーニャに肩を掴まれて思わず身体が跳ねる。


 


「あ、あの、何を話してたかとか聞こえました?」

「いや、遠くからだから顔もよく見えてなかったんだけど、宿に入ってったからティーニャだってことは分かって」


 


 そう言うと分かりやすくティーニャは安堵して言葉を続けた。


 


「よかった……あの、それ私の弟です」

 



 弟、と思わず思考が止まる。婚約者じゃない?



 覚悟していた最悪の答えではなくて一先ず安心したけど、でも本当に弟なの?

 弟ならなんで路地裏なんて場所で会わないといけないんだろう。身を隠してるとは言ってもそれは世間相手の話で、別に弟相手なら堂々と振る舞えばいい話だ。


 


「弟とあんな路地裏で会ってたの?なんのために」

「そ、それは……」


 


 分かりやすくティーニャの目が泳ぐ。怪しい、絶対に何かを隠してる。


 


「本当のことを言ってよ。でなきゃ納得できない」

「ですよね、あの、なんで路地裏なんかで会ってたのかと言いますとですね……」


 


 小さな顔を睨めつけるように見上げて続く言葉を待つ。



 もしかしてティーニャも革新派だったりするのか?鱗もなくて碧眼でもなくて花の匂いもしないティーニャが有力貴族の子女だとは考えられないし、あり得るかもしれない。

 

 もし親に内緒で姉弟二人革新派に加わっているのだとすれば……そんな俺の淡い期待に反して、ティーニャが発したのは思ったよりずっと普通の理由だった。


 


「う、うちは男女関係なく未成年のうちは一人で街を出歩くのが禁止なんです。こっそり抜けて会いに来てくれたから屋敷の人にバレないように、路地裏に……」

「それだけの理由でそんなに焦る?」

「家独自のルールなので、身元がバレるんじゃないかと思って」


 


 正直理由としては弱い、けどさっき俺が想像した内容に比べたら余程現実的だ。


 そうだよね、ティーニャが革新派だなんてあるわけがない。


 


「……分かった。ま、兎に角婚約者じゃないならなんでもいいや」

「よ、よかったです……それよりあの、グエンが私のことを好きっていうことについてなんですけど、あとちょっとだけ考えてもいいですか?その、大事なことなので」

「勿論」


 


 恥じらうように目を伏せながらも真剣に考えてくれている、その事実が嬉しかった。


 もしやっぱり無理だと言われても俺の心の準備ができるし、もし仮に……仮にだ、彼女も同じ気持ちだなんて言ってくれたら。



 

「俺の気持ちは変わらないから、出発の日までゆっくり考えて」

「はい、あの……ありがとうございます。グエンみたいな素敵な方にそう言っていただけてとても嬉しいです」


 


 頬を染めたその表情に期待が募ってしまう。気の早い俺は、もし交際に至れたら身分が問題になってくるなと次の課題について考えていた。


 ダメだダメだ、振られる可能性だって十分にあるんだ。


 


「……ちなみに勝算ってどのくらいある?」

「内緒です」

「ケチ」


 


 それでも俺の気持ちは晴々としていて、さっきまでの陰鬱な気持ちが嘘のようにスッキリしていた。問題は山積みだっていうのに浮かれたものだ。


 


「……ティーニャ」

「はい」

「好きだよ」


 


 分かりやすく肩を跳ねさせるティーニャに思わずくすりと笑みが溢れる。



 ティーニャが同じ気持ちでいてくれたとして、身分差や革新派との付き合い、乙女の暗殺などなど、越えるべき障害はまだまだある。ティーニャも絶対に俺の目的を知ったら引くし、ティーニャの家だって許さないだろう。



 でも、それなら革命を成功させるまでだ。

 革命さえ成功させれば体制の変化の激動に紛れてどうとでもできる。

 



「あ、ありがとうございます……」


 



 真っ赤な顔で頭の中を俺でいっぱいにしたティーニャの横で、俺は煤に塗れた密計を巡らせたのだった。

 

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