第十三話 自覚

「お前の顔を見たら泣き止んだな……」

「女の子?じゃあしょうがないな」

「むっ……」


 


 釣りたての魚のように跳ね回り泣き叫ぶ赤子。ぷちゅりと小さな涙を溢してこちらを見た彼女は、俺の目を見るなりすっかり泣き止んだ。

 



「この子はお前にはやらんぞ、このロリコン」

「モテるのは俺の責任じゃないし」

 



 ニコニコと俺を見て笑う娘にライバル心が刺激されたのか、オイゲンはムスッと眉間に皺を寄せて俺から人一人分距離を置く。失礼なやつだな、俺を何だと思ってるんだよ。


 


「お前もさっさと家庭を持て。そしたらこの気持ちが分かる」

「家庭ねぇ」

「いい人はいないのか。一人旅なら気ままだろう、この人だ!と思う相手がいたならそこに居着けばいい」

「意外と熱烈なんだなお前……」


 


 てっきりグイグイくる女に押されまくって結婚したのかと思っていたけど、今の言い方からするに多分オイゲンが積極的にアプローチしたんだろう。


 真面目な男をここまで熱烈にさせる女性がどんなものか気になったが、それを聞くとまた「横恋慕か!」なんて言われそうだからやめておいた。


 


「一人旅じゃない、一応同行者がいる」

「男か?」

「……男ってことになってる」

「ほう!」


 


 やるじゃないか、なんて言われて慌ててそういうのじゃないと否定する。ティーニャは貴族で俺は反体制派の人間だから……と言えるわけもなく口籠もっていると、都合よく解釈したオイゲンにニマニマとした笑みで揶揄われた。


 


「群れないお前が人と一緒にいるなんて珍しい。つまりはそういうことだな?」

「違う、お忍びの社会勉強に付き合ってやってるだけだ」

「なるほど、相手はご令嬢か」

「うっ……」

 



 俺が軍を出た頃のオイゲンなら揶揄ってきてもやり過ごせた自信はあるけど、今のオイゲンは中々手強い。



 

「どんな人なんだ」

「……世間知らずのお子様だよ。なんでもかんでもやりたがるし、すぐにこれは何かって聞いてくるし」

「そこが可愛い?」

「そんなことは言ってない」


 


 ……いや、それに似たことは昨日言ったな。でもあれは軽口だし、そういう雰囲気だったから言っただけで別に恋だの愛だのの浮ついた言葉じゃない。



 

「その顔は言ってなくても思ってるってやつだな」

「うるせ」

「戦争に行ってから斜に構えて人と距離を置いていたお前を心配してたんだが、そんな顔で面倒を見てやりたいと思える相手ができたなんてな。安心だよ」

「だから違うって」


 


 完全に俺とティーニャの仲を勘違いしたオイゲンは何を言っても聞く耳を持たない。ダメだ、こいつ恋愛脳になってる。



 っていうかそんな顔ってどんな顔だよ。まさか俺変な顔してた?

 別にティーニャのことが好きなわけでもないのに?



 

「……俺、どんな顔してる?」

「普通の顔だが」

「はぁ!?さっきと言ってることが……おい、鎌かけたな」

「ははは!昔と立場が逆転したな」


 


 妻子からどんな影響を受けたのか、昔からは信じられないくらい話術が巧みになったオイゲンに思わず脱力する。

 どんなにはぐらかそうとしても結局白状させられるんだ。それなら最初から素直になった方がマシってものだろう。


 


「……正直に言うと、まぁ悪くないかなって段階だよ。まだ好きとかそんなんじゃない」

「まだってことはその気があるってことなんじゃないのか?」

「まさか。出会って数日だよ?」

「これは妻が言ってたことだが、人が恋に落ちるのにそう時間はいらないそうだ。人は出会った瞬間に無意識に恋をする準備を始めるらしい」



 


 まぁ一目惚れなんて言葉もあるくらいなんだから、それもまた事実だろう。


 でも俺の気持ちは本当に恋なんだろうか。

 ティーニャのことは別に嫌いじゃない。素直で好奇心旺盛なのは良いことだと思うし、人柄も穏やかで物腰も丁寧だ。人間としては間違いなく好きな部類、でも恋愛相手かと聞かれると、イマイチイメージが湧かなかった。



 

「自分の気持ちが分からないなら、良い方法がある」

「ん?」

「相手が別の男と交際している姿を考えるんだ。それで少しでも不快な気分になったら、そういうことだ」


 


 その言葉通りの様子を想像してみる。ティーニャが他の男と手を繋いだりキスをする……なんだか想像がつかない。


 そもそも俺は女にしか見えないとはいえ男装をしているティーニャしか知らないし、その格好で男と並ぶ姿をイメージしても何とも思わなかった。



 

「別になんとも?」

「なんだ、そうか。もしかするとお前は恋愛のイメージが貧相なのかもしれんな」

「馬鹿にすんなよ」


 


 俺が本気で分からないと思っているのがオイゲンにも伝わったのか、オイゲンはそれ以上何も聞いてはこなかった。



 

「じゃあ今度はうちの嫁の話を聞いてくれるか」



 


 代わりに始まったオイゲンの惚気はまぁ長かった。形容詞や例えが多すぎて、食堂の娘が客の男に絡まれているところを助けた、というのを説明するのに二十分はかかっていた。


 


「俺の一目惚れだったんだ」


 


 見たこともない表情でそう言う友人がなんだか遠い存在になったような、眩しいような。


 オイゲンは良い男だ。真面目な堅物ではあるけど優しいやつだし、きっと妻子を何よりも大事にできる。


 


「なぁ、オイゲン」

「なんだ?」

「もうちょい要点まとめてくれよ」

「なに!?」


 


 結局赤子のミルクやおしめの関係もあって、あまり長居はせずに俺たちは解散した。俺が離れた瞬間泣き出した娘を切なそうに見つめていたオイゲンの顔はしばらく思い出し笑いしてしまいそうなしょぼくれようだった。




 泣いて手を伸ばしてくれる赤子と不貞腐れた顔のオイゲンに手を振って来た道を戻る。


 日はそんなに傾いてないし、まだ時間がありそうだな。



 

「ちょっと街でも散歩するか」


 


 爛漫の都、とはよく言ったもので街のあちらこちらには美しい花が咲いている。この街並みを見ながらのんびりするだけでも充分良い暇つぶしになるのは何年住んでも変わらない。


 クリーム色やオレンジ色、緑色の外壁に色とりどり花々で賑わう花壇に植木鉢。本当に美しい街だ。



 しばらく歩いていくと無意識に宿の近くに戻っていたらしく、見覚えのある賑やかな店が目に入った。

 夕方に比べればまだ人は少ないがそれでも繁盛しているその店は、いつかティーニャが眺めていた装飾品店だった。


 


「……ちょっと見てやるか」


 


 男一人で来ている客もそこそこ多く、俺一人なら目立たないだろう。どんなものが売ってるかだけでも見て、もし良いのがあれば教えてやろう。


 


「いらっしゃいませ」

「どーも」

 



 店内の様子に目を光らせている店員に会釈して店内をぐるりと見渡す。


 ドライフラワーで彩られた天井、淡い色で統一された家具、繊細なレースの敷かれた棚やテーブルには華奢なデザインのアクセサリーが小さく輝きを放っていた。

 



「贈り物ですか?」

「まぁ」

「素敵ですね。何かお手伝いできることがあれば、いつでもお声掛けください」


 


 執念くない接客に感心しつつ、のんびりと店内を見て回らせてもらう。


 値段の割に上品でくどくないデザインの物が多いし、人気が出るのも納得だ。店主の趣味がいいのか職人の腕がいいのか、もしここがメンズの商品を売りに出したら俺も常連になるかもしれない。



 けれど、旅の途中のティーニャがつけるにはどれも壊れやすそうだし失くしてしまいそうなくらい小さなものばかりだ。


 ここに来ても買えない欲しい物を見て悔しい思いをするだけだろう。



 大体どんなものか分かって満足した俺は、店を出ようと出口の方に向かった。


 イマイチだったとでも言えばティーニャの関心もなくなるだろうと思って、出口の近くに陳列されていた小さな髪飾りに思わず足を止めた。


 


「お目が高いですね。これは西の真珠糸で出来た花レースの髪飾りなんですよ」

「真珠糸?」

「ええ、西の豊沃の公爵様は一族代々それはそれは美しい糸を紡ぐと言われていましてね。これは現当主の弟君であるスピカの君が紡がれた、当店でも人気のレースを使用した髪飾りなんです」

 



 花の刺繍があしらわれたレースは、光に当たると本物の真珠のように美しい煌めきを放った。艶やかで滑らかで清らかな白はティーニャのイメージにぴったりだ……なんて考えて頭を振る。


 違う、彼女はそういうのじゃない。娘盛りに着飾ることを控えなければいけないティーニャを哀れに思っただけで、そんな、そんな……



 

「カチューシャ型のヘッドドレスなので髪型も選びませんし、嵩張らずかといって失くしにくい大きさなのでプレゼントにもおすすめですよ」


 


 頭の中のティーニャが嬉しそうに笑ってこの髪飾りをつける姿を想像してしまう。きっとすごく喜ぶだろう、人前ではつけられなくても宿の部屋の中くらいならつけられるし、こういうのは持っているだけでも気分が上がると聞いたことがある。



 そうだ、ティーニャの気分を上げるため。ティーニャにご機嫌で旅をしてもらって光輝の渓谷まで順調に旅をするための戦略的な買い物だ。



 



 ***



 


「ありがとうございました〜」


 


 買ってしまった。


 手の中の小さな包みを見つめる。可愛らしいリボンが揺れるその袋はどこからどう見ても恋人への贈り物だった。


 


「やっぱりオイゲンの言う通りってことか……?」


 


 まさか、いやでも。

 騒がしい頭の中で脳内会議をしながら懐に包みをしまって店の前の階段を降りる。



 自分の気持ちがどうかなんてこれをあげた時に嫌でも分かるだろう。


 夕日がかなり低くなっている、宿を見上げるとまだティーニャは戻っていないようだし、暗くなると危ないから迎えに行こうか。


 


「たしか図書館って言ってたよな」



 

 薄暗くなり始めた道を進むも、帰路に着く街の人々の流れに逆らっているせいで中々前に進めない。


 どうする、やっぱり宿で待つか。そう思って振り返ろうとして偶然目に入った景色に、俺は自分の目を疑った。


 



「……ティーニャ?」


 


 ティーニャらしき人間と貴族と見られる男が路地裏で親しそうに話をしている。誰だ、暗くてあまりよく見えない。



 お忍びの貴族の令嬢に身をやつした貴族の息子が……婚約者が会いにきた。そうとしか見えない景色に思わず息が詰まる。

 まさかそんなはずは、と思ったがあり得ない話ではない。年頃の貴族の娘なら婚約者くらい普通にいるだろう。




 ティーニャではないかもしれないと苦し紛れの可能性に一縷の望みをかけたが、そんな俺の淡い期待は路地裏から出たその影が宿に消えていく様に見事に裏切られたのだった。

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