第十二話 友人

 賑やかな大通りから埃っぽい路地に入る。街外れにある色褪せたアパートメントの地下室が革新派のアジトだ。


 


「失礼、リリーの香水No.3をお持ちしました。廃番となる予定ですので、このことは内密に」


 


 決められた時刻に決められた文言を伝えると、中から扉が開いた。



 

「グエン、元気そうでよかった」

「そっちこそ、まだ生きててよかった」


 


 出迎えてくれたレイモンドと軽く肩を叩き合っていると、その後ろから紫煙を燻らせる小太りの男が現れた。



 

「おお、君があのヒルデの騎士かね」


 


 薄汚れたシャツに生やしっぱなしの髭面の男性。ティーニャのようなお粗末な変装ではないけど、それでも立ち居振る舞いから平民でないということは容易に分かった。



 鋭いグレーの瞳で俺を射抜くこの男、彼こそがこの革新派のリーダーである辺境伯その人だ。


 


「彼は今身を隠して旅をしているので騎士の勲章をお見せすることは出来ませんが、私が保証します。彼は本物のヒルデの騎士です」

「いや、現体制の自己満足に過ぎない勲章など私は最初から求めていないさ。その逞しい体つきが何よりの証明だろう。ヒルデの騎士、ここでは何と呼べばいい?支持者が増えて一応だが名簿を作ることにしたんだが、名簿に君の本名を書くわけにはいかないからね」


 


 腹の中が見えない朗らかな笑みを浮かべる辺境伯は、俺がなぜ身元を隠しているのかも分かっているらしい。


 思慮深い人……というかそれなりに平民との関わりがあるのだろう。お花畑の王室は平民が祖国のために戦う生き物だと思っているらしいけど、実際俺たちが戦うのは家族のためだ。それを理解しているこの人物は少なくとも他の貴族よりも信用に値する。



 ティーニャにも伝えた偽名を言おう。そう思って口を開いた瞬間、ある可能性が脳裏をよぎった。



 もしウェインとしてこの名簿に載れば、俺がしくじったときティーニャにまで捜査の手が及ぶかもしれない。



 

「……ジャックと呼んでください」

「ジャック、呼びやすくて良い名前だな。ではジャック、くれぐれも乙女の件、頼んだぞ」

「勿論です」


 


 赤い鷲鼻を擦って名簿に俺の偽名を書いた辺境伯は粗末な椅子に腰掛けると、黒髪の男からメモを受け取った。



 ざわついていた室内に彼の咳払いが響く。その瞬間シンと静まり返ったメンバーを一瞥して、辺境伯は物々しく口を開いた。


 


「儀式についての詳細が分かったので、皆に共有する。時、皆既月蝕の日。場所、光輝の渓谷の山頂にあるリーブラの礼拝堂にて。参加者はフェアリーダイヤの乙女、軍部代表グレース侯女、王室代表第一皇子。月蝕と共に乙女が天馬に心を捧げ、月蝕が終わり満月が山の上に見えたときから街で祭りが始まる。儀式はこの三者で執り行われるが、儀式の後の祭りに参加する貴族が複数滞在することから街は厳重な警護が予想される」


 


 よりによってその人選かよ。個人的に嫌いな第一皇子と敵に回したくないグレース侯女、その面を拝む前に何とか乙女を始末したい。


 でも、それには乙女の足取りを掴むことが重要だ。



 

「辺境伯、乙女は今どこに?」

「出発地と見られる民家はもぬけの殻だった。おそらくここ数日で都に到着するか、もしくは既にここにいる可能性もある」


 


 なるほど、となればもしかするとこの数日で決着をつけられる可能性もあるってわけだ。貴族の娘のお忍びなんて、どれだけ本人が隠してるつもりには周りには分かるもの、ティーニャが良い例だ。


 辺境伯が話を続けようとすると、一人の若いメンバーの男が手を挙げた。



 

「しかし辺境伯、儀式の心を捧げる……という部分は何を指しているのでしょう。妙に曖昧ではありませんか」

「良い指摘だ。こちらもそれが気になって調査していたのだが、恐らく光輝の一族には何か隠し事がある」



 

 言われてみれば確かに宗教儀式とはいえ違和感がある。他国の宗教なら祈りを捧げるとか供物を捧げるというのが普通だけど、乙女の心を捧げる、か。



 処女性の隠喩かと思っていたが、辺境伯の口ぶりからするにどうやら違うらしい。


 


「これはつい先日聞いた話なのだが、王室は花の美しさと魅力を持つがそれと同時に花と同じく短命である……という噂があるらしい。光輝の一族の祝福は宝石のような瞳。王室や他の御三家が賜った魅力や知性、人外的な体質に比べて光輝の侯爵家のそれはあまりに粗末だと思わないか?」


 


 ふと出会ってすぐの時にティーニャが教えてくれた御三家と王族のトップの選ばれ方を思い出す。


 あのときは乙女の情報を探るのに必死で気にも留めていなかったけど、確かに公表されてるだけの祝福では御三家になれた理由もイマイチ説得力に欠ける。


 


「私もそれが知りたくて現当主のアレクシスに探りを入れたんだが、あの男は相変わらずよく分からん。目と一緒で日によって性格に波があるのだ」


 


 二重人格というやつなのか?とぼやく辺境伯だったが、後ろに控える黒髪の男に何かを耳打ちされると「もうそんな時間か」と席を立った。


 


「すまない、今日はこの後も用があってね」


 


 公務の合間に顔を出していたらしく、タイムリミットが来たと残念そうに呟く。


 正直まだ聞きたいことはあったが、身分のある人間は俺達のようにのんびりしてはいられないのだろう。彼も普段は体制の一部として働いているわけで、身を隠してここまで来てくれているのだ。怪しまれるようなことがあってはいけない。


 


「お会いできてよかったです」

「ああ、よろしく頼むよ」


 


 最後に握手をして、辺境伯は俺たちが使っているのとは違う扉から出ていった。



 姿が見えなくなるまでその背中を見送って、ふと部屋の中に目をやる。


 心なしかソワソワとこちらを見つめる他のメンバーに嫌な予感がした。


 


「お、俺もそろそろ帰るわ」

「何言ってんだ。みんな今日は辺境伯とお前を見にわざわざ集まったんだぞ」

「勘弁してくれよ。一応こっちは身を潜めて生きてんだけど」

「そう言わず、どうせ予定もないんだろう」

「や、乙女を探さないといけないから」

「それなら他の奴がやる」


 


 出口を目指そうにも目の前を阻むレイモンドのせいで動けない。ちらりとメンバーを見ると、全員一斉にこくりと頷いた。


 


「……分かったよ、昼までだからな」


 


 そうして戦場でのことや戦い方、考え方まで聞き出された俺がアジトを出られたのは昼をかなり過ぎた頃だった。





 ***


 



「はぁ疲れた、もう宿に帰ろっかな」


 


 引き止める手を振り払って逃げるように通りに出てきて、ようやくホッと息を吐く。しつこかった、下手すりゃ夜まで付き合わされそうだった。


 正直かなり腹が空いたけど、昼食を食べるには遅すぎる。今日は宿で夕飯を食べる約束をしたわけだし、我慢するか。



 ぽりぽりと頭を掻きながら通りの端を歩く。早く帰って今日は休もう。そうして角を曲がろうとした、そのとき。


 


「その顔、グエンか?」

「……オイゲン?」


 


 聞き覚えのある厳しい声に思わず足を止める。振り返るとちっとも変わらない姿のオイゲンが驚いたように俺を見つめていた。



 

「やっぱりだ、最後に見たときからは信じられないくらいデカくなってるから半信半疑だったんだが……久しぶりだな」

「遅れてきた成長期だよ。オイゲンはびっくりするくらい変わんないな」


 


 昔は俺が見上げるばっかりだった長躯は、今では肩の位置も目線もほとんど変わらなくなっている。ここまで変わればそりゃ俺だって確証も持てないだろう。


 


「最近どう?……って、聞くまでもないか」

「あぁ」


 


 偶然にも出会えた旧友はどうやら家庭を持ったらしく、逞しい胸板にすやすやと眠る赤子を抱えていた。

 オイゲンにちっとも似てないふにゃふにゃの寝顔は恐らく母親譲りなのだろう。


 


「この子の母親の……妻の寝不足が酷くてな。彼女を休ませる代わりに買い出しに出てるんだ」

「夜泣きってやつ?」

「夜どころか朝も昼もお構いなしだ」



 

 今はすやすや寝てるのに、と言うと「母親じゃないと嫌だと暴れ回ってようやく泣き疲れて寝たところだ」とやつれた顔で言われた。



 目尻を下げて我が子の寝顔を愛しそうに見つめる姿に感慨深いものを感じる。


 昔は一緒に戦場を走った友人。片や家庭を持って一人の父親に、片や革命を企てる暗殺者に。この堅物がこんなにすぐ結婚するなんて、人生は分からないものだ。



 

「お前はどうだ?随分と雰囲気が変わったが、今は何を?」

「……まぁ、ブラブラ国を巡ってるって感じかな」

「そうか、ではここで会えたのはかなり幸運というわけだ」


 


 結婚祝いや出産祝いも兼ねて金を渡そうとするも固辞された。相変わらず真面目なやつだ。


 そんなやりとりがうるさかったのか、安らかな寝顔をしていた赤子がぐずりだした。悪いことをしたな。


 


「ご、ごめん。起こしちゃったな……そうだ、公園にでも行くか?あそこなら子供も多いし」

 



 思ったよりパワフルな声量で泣き始めた赤ん坊の体力はやはりオイゲン譲りらしい。


 


「そうだな、少し座りたいと思っていたところだ」


 


 うちの子は眠ってても俺が座ると泣くから、泣いてる間に座ることにしてるんだ。と笑うオイゲンと共に公園に向かう。




 公園までの道のりは太陽が降り注ぐ穏やかな緑で溢れていて、薄暗いアジトから出たばかりの俺には少し眩しかった。

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