第十話 人を隠すなら
「俺、今日は友達に会ってくるから」
「はい、私は図書館に行ってきます。楽しんできてくださいね」
「日が沈む頃には戻るから、夕飯は宿で食べようね」
「分かりました!」
いつもよりも身軽な服装に着替えたグエンと共に部屋から出ていく。宿の前で私は左手の西側の広場に、グエンは右手に別れて歩いていく。
都に着いて2日目、今日は朝から晩まで自由時間というわけだ。
「えっと、確か広場に入ったら誰にでも分かる場所にあるって……」
キョロキョロと街の中を見渡しながら広場を目指す。思えば街中を一人で歩くなんて出発の時以来で、思ったよりも早い人の流れに押されながら私はなんとかお目当ての場所に辿り着いた。
今日の私の目的地、それは図書館だった。
「うわぁ……大きいな」
一貴族の屋敷の蔵書とは違い、国が威信をかけて作り上げたこの図書館は正に圧巻。白亜の建物は贅を尽くした造りで、所々に天馬や薔薇の模様があしらわれている。
思わず場の空気に呑まれてしまいそうになりながらも、勇気を出して建物の中に向けて一歩を踏み出す。
「すみません、野営の本とかってありますか?」
「野営?ありますけど」
識字率がまだまだ低いこの国でわざわざそんな本を読みにくる人間が珍しいのか、司書に訝しげに見つめられる。その目線を受け流してちらりと静かな室内を見遣ると、追求すべきでないと察したのか奥の方の棚に案内してもらえた。
「ここです」
「ありがとうございます」
足音一つ立てず立ち去る司書に礼を言って改めて棚を見上げる。
ぎっしりと壁一面の端から端、上から下まで本で溢れかえるその空間に思わず息を呑んだ。
どうしよう、ありすぎてどれを選べばいいのか全くわからない。
「食べられる草食べられない草……これかな」
パラパラと軽く流し読みをして比較的平易そうなものを幾つか選ぶ。
ここから先の旅、西の豊沃の平地に抜けた後がこの度の本番だ。港があり商売人の往来が盛んな錦鱗の港からこの都までと違い、ここからは舗装もされていない道を何日も歩いたり野宿をすることになる。
グエンは戦地にいたこともあって慣れているのかもしれないけど私はそうもいかない。体力的に劣るのは仕方ないのかもしれないけど、せめて知識だけでも最低限は身につけて足手纏いにならないようにしたかった。
『きのこは毒性のあるものと食用のものがよく似ているので素人に判別するのは難しい。可能であればきのこの食用は避けること』
『川の水を飲み水にするには、まず布などで水を濾過して不純物を取り除く。次に火にかけ沸騰させる。決して川の水をそのまま飲んではいけない』
『猪や鹿を仕留めることに成功した場合、村によっては畑の作物を分けてもらえる可能性があります』
一通り必要そうなところを読み終えて思わずふぅと息を吐く。
本を読むのは好きだけど目が疲れる。それに覚えないといけないと思うと頭も疲れるし、お腹も空いてきた。
空を見上げると丁度お昼の少し前くらいだったので、一度本を全て元の位置に戻して図書館を出る。
さて、お昼は何を食べようか。昨日はお肉を食べたし、甘い物が食べたい気もする。
「確かこの広場のあたりに露店が……あった」
昼時で賑わう広場。昨日食べたパニーニに似たサンドやキッシュ、ミートパイなんかの店が立ち並んでいて、しかもどれもすごくお手頃なお値段だった。
「なぁ知ってるか?この前都を出てったって噂のあの騎士、またこっちに戻ってきたらしいぞ」
「あぁ、その辺をウロチョロしてるってな」
クランベリーパイを売っていた露店の店主にお金を渡して偶然聞こえてきた噂話に、ふと自分がグエンのフリを任された理由が気になった。
妹を探すのにグエンが身を隠して私を身代わりにする理由はなんなんだろう。割といいお兄ちゃんみたいだし、逆に堂々と名乗った方が見つかりやすそうなのに。
「その髪型……あ、あの……もしかしてあなた、騎士様ですか?」
「ん?」
露店で私の後ろに並んでいた女性に声をかけられる。振り返るとウェーブの赤髪の女性が頬を染めて私を見つめていた。
とうとうこの時が来た。あまり目立つのは良くないけど、この女性を無碍に扱うわけにもいかない。
私はそっと懐から勲章を覗かせると、指を唇に当ててシィ……と目を細めた。
「そうだけど、僕のことを知ってるの?」
「勿論です!あの、私騎士様のファンで……ずっと都にいらしてたのになかなか会えなかったので、こうしてお会いできて嬉しいです」
なるほど、グエンがモテるというのはどうやら本当らしい。昨晩の「ティーニャもかわいいよ」なんて言葉はもしかすると世の女性垂涎の口説き文句なのかもしれない。
「騎士様はどうして都を出てしまわれたんですか?何か嫌なことでもありましたか?」
「いや、出て行ったつもりはなかったんだよ。住む場所を変えようと思ってこの辺の村をフラフラしてたんだけど、みんなには勘違いさせちゃったみたいだね」
「よかったぁ……あの、よかったら握手していただいても……?」
「勿論、いつも応援してくれてありがとう」
「あ、ぁ……!!」
そのまま華奢な手を軽く握ると、女性は感極まったように悲鳴をあげてどこかへと走り去ってしまった。
……もしかして私、今すっごく罪なことをしてしまったのかもしれない。ごめんねグエン、ごめんねお姉さん。
「あれ、もしかして騎士様なんじゃない?」
「本当だ、あの女の人赤面してたもんな」
「騎士の真似する奴と違って本物はやっぱ美しいのね、オーラが違うわ」
「騎士も甘いもん食べるんだな。オレも食べるか」
その女性の声に反応して、広場の中の人々の目線が自分に集まるのを感じる。
……なるほど、これは確かに行動しづらいかもしれない。自分一人生きるだけなら別に有名でも不便はないかもしれないけど、何かするたびに噂になるのは普通に嫌だろう。
人口が多いおかげでグエンの顔までは知られていなくてよかった。
「騎士様って意外と小柄なんだな」
「確かに。まぁ庶民の兵士ならそんなもんだろ」
これ以上ここにいたらボロが出てしまうかもしれない。この場に居続けることが難しくなった私は足早に広場から立ち去って、人気の少ない路地へと逃げ込んだ。
「騎士様は革新派とつるんでなさそうで安心だな」
そんな誰かの言葉は私の耳に入ることはなく、私は一人になれてようやく息を吐くと、人目を憚ってこっそりとクランベリーパイに齧りついた。
「……うん、美味しい」
甘酸っぱい果実が弾けて、サクサクとしたパイ生地の食感に思わず頬が緩む。屋敷にいたときはもっと甘いものを沢山食べていたけど、こうして久々に食べると甘味の有り難みを感じて一層美味しかった。
食欲のままに食べ進めると、ボリューミーなパイもあっという間になくなってしまった。パイの欠片のついた手を払って路地の反対から図書館に向かう。よし、誰も私に気づいていない。
それから私はまた夕暮れまで図書館に篭って、私は本を読み続けた。
罠の作り方、服の応急処置、病気や怪我の時に使える薬草。なにが実際に役に立つのかは分からないけど、どれも知っていて損はないように思えた。
「あの、そろそろ閉めますので」
「あ、すみません」
司書にそう言われるまで集中していた私はすっかり暗くなった室内を見て、慌てて本を戻して図書館を出た。
危ない、全然時間の感覚がなかった。あんまり遅くなるとグエンに迷惑をかけてしまうし早く宿に戻らないと。
時間はまだ遅くはないけど、ここから宿までは少しかかる。司書が声をかけてくれてよかった。
「ここに来られてよかった」
藍色に染まり始めた空を背景にした図書館は昼間と違って神秘的な雰囲気を纏っている。噂には聞いていたけど、本当にすごかった。
また来たいなと思いつつ広場の階段を駆け下りる。今日の夕飯はなんだろう。今日は宿で食べるって言ってたし、スープとか食べられるのかな。
今晩の食事に浮かれた私は、その背中を誰かが物陰からひっそりと覗いていることにも気づかず、夕飯やグエンとのこれからの旅に向けて想いを馳せていたのだった。
「エグランティーノ、まさかあんな格好をしてたなんて……」
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