第十六話 恋

「グエン、ちょっと隣の雑貨屋見てきます」

「ほ〜い」


 


 昼寝ならぬ朝寝から目覚めて復活した私はあることを思いついた。


 ただグエンの想いに応えるだけじゃ味気ない。何か自分の気持ちを表したプレゼントをしたい、と。




「数分で戻るので」

「いちいち気にしなくていいよ。でも、疲れない程度にね」

「はぁい」


 


 少しのお金を持って宿を出る。向かうはこの宿の隣にある小洒落た雑貨店だ。


 


「相変わらずあのお店は混んでるなぁ」



 

 初日に見つけた女性向けの装飾品店の人だかりを横目にダークブラウンの扉を開く。カランコロンと気持ちのいい音を立てて店に入ると、異国情緒漂うスパイシーなお香の匂いがむわりと薫ってきた。


 


「お客さんかい、こんな早い時間から珍しい」


 


 奥から店主らしき色っぽい女性が現れる。初めて見る装飾を身につけた彼女は異国の人なのだろうか。



 

「はは、ずっと気になっていたお店だったので、朝イチで来ちゃいました」


 


 全体的に雰囲気のある店内には、他国から取り寄せたであろう螺鈿の小箱や色とりどりの硝子が華やかに光るガラスランプなど、貴重な品物が沢山置いてあった。


 


「何をお探しかな?」

「贈り物です、好きな人への」

「おやおや。じゃあ奮発しないとね」


 


 この辺とか人気だよ、と店主が見せてくれたのは天馬をモチーフにしたガラス細工や食器、刺繍入りのハンカチ。どれも質の良い品だと人目で分かる精緻な模様が入っていて、思わず自分の中の乙女心が顔を出しそうになってしまった。



 いけない、男装してるんだから気をつけないと。


 


「ここから少し移動する予定なので、できたら嵩張らなくて割れたりしないものがいいんです」

「都の人じゃないのかい、じゃあハンカチなんてケチなものではダメだね。」



 

 キラキラと虹色に輝く天馬の置物に目を奪われつつも店内を見て回る。色々と店主に教えてもらいながら吟味していくなかで、ふと眩しい光が目に入って思わず目を閉じた。


 


「ん?……あぁ、これはゴールデンベリルだね」

「ゴールデンベリル?」

「ああ、陽光を閉じ込めたみたいな眩しさだろう?隣国から流通するようになった珍しい宝石で、採掘国では太陽の雫って呼ばれてるらしいね」


 


 ほら、これ鑑定書。と渡された紙には確かにこの宝石が本物であることを示す文言と、豊沃の公爵家の家紋が押されていた。


 オレンジにも黄色にも金色にも見える不思議な宝石。

 蜜を閉じ込めたような濃厚な色合いと檸檬のような爽やかな光沢、三角にカットされたその輝きは正に太陽で、グエンの瞳を想起させた。


 


「これって買い取ることはできるんですか?」

「勿論。まぁ宝石だから多少の値はするよ」


 


 提示された金額は確かに予算を少しオーバーしていたけど、全然構わなかった。


 


「これ頂きます」

「毎度あり。お相手もきっと喜ぶよ」

「……重くないですかね」

「さぁ?でも軽いよりはいいじゃないか」


 


 その言葉に勇気をもらって店主に代金を支払って宝石を受け取る。


 そうだ、私の気持ちに限りがあるなら贈り物くらい重くしないと。宝石なら売れば結構なお金になるし、迷惑にはならないはず。



 綺麗な箱に包まれたゴールデンベリルを懐にしまって、微笑ましそうに私を見つめる店主から釣銭をもらう。


 


「お幸せにね」

「ありがとうございました」




 店主の見送りに手を振って応えて、そのまますぐに隣の宿に戻る。



 部屋の鍵を開けるとベッドに寝そべったグエンがチラリとこちらを見た。


 


「お、早いじゃん」

「良い縁があったもので」

「買い物って縁だよねホント」


 


 敢えて何を買ったのかは聞かないグエンにホッとする。


 想いを伝えるのは今晩。まだまだ時間はある。

 それまでに心の準備をして、なんて言うか考えておこう。





 ***


 



「ティーニャ、ご飯の味してる?」

「してないです……」

「そんなに気負わないでよ。振られるとしたら俺なんだし」


 


 まだまだある、なんて余裕ぶった時間ほどあっという間に過ぎていくもの。

 いつの間にか鴉の鳴き声が聞こえる頃になっても、私はグエンに何て伝えれば良いのかを決めかねていた。


 好きです?なんかあっさりしてる気がする。私も同じ気持ち……逃げてるよね、好きはちゃんと言わないと。



 

「私、意外と繊細なのかもしれません……」

「全然意外じゃないけど」

「えっ」

 



 また味のしなくなった晩御飯、ゴボウとニンジンとレンコンのキッシュを頬張りながら、じっとグエンのニヤケ面を観察する。


 はぁ、なんか意識したらすごくかっこよく見える。いや前から男前だっていうのは知ってたんだけど、旅をするのには関係がなかったからあんまり注意して見たことはなかったのだ。



 睫毛長いなぁ。目だって大きいわけじゃないのに目力あるし、焼けてはいるけど肌も綺麗だ。


 


「はぁ……」

「そんなに見られたら恥ずかしいんだけど」


 


 呆れたようにはにかむ笑顔がチャーミングに見えてきた、もう私は終わりだ。


 でも仕方ない。思えば出会った時から割と優しかったし面倒見も良かったし、色々教えてくれたり気遣ってくれてたんだもん。今まで異性と関わったことのない恋愛経験ゼロの私が好きになっちゃうのは当たり前だ。



 カチャ、とカトラリーを置いて口を拭く。完食はしたけど結局最後までグエンのことで頭がいっぱいだった。


 


「じゃ、部屋戻る?」

「はい」




 いよいよだ。とうとうグエンに気持ちを伝える時が来た。



 女将さんにお代を渡して、目の前を歩くグエンのあとを無言でついていく。


 部屋の扉が開く音がやけに大きく聞こえて、私は体を小さく縮こまらせながら部屋の鍵を閉めた。



 頑張れ私、根性を見せろ!




「あの!も、もう何となく雰囲気で察されてるかもしれないので単刀直入に言います!」

「うん」


 


 私を見下ろす甘いマスクを見上げてモゴモゴと口を動かす。


 言うしかない。結局何もいい答えが思いつかなかったんだから素直になるのが一番なんだ。



 大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。




「私も、好きです。グエンのことが好き。二人で一緒に旅を続けたい」


 


 その言葉だけでは気持ちを言い表しきれなくて、恐る恐るグエンの手に触れる。


 ゴツゴツと節くれだった手をギュッと握ると、その手が一気にカッと熱くなった。



 

「グエン?、っ!」


 


 その熱い手に引き寄せられて、逞しい胸板が顔に触れる。



 抱き締められている。

 そう気づいた瞬間顔に熱が集まっていくのが分かった。




「嬉しい」

 



 太い腕が私の背と腰を抱く。それだけで自分の身体が妙に女らしくなってしまったように感じて、胸に触れるグエンの逞しい身体を強く意識してしまった。


 


「好きだよ、ティーニャ。好きだ」

「私も好き……グエンのことが大好き」


 


 その言葉に応えるように広い背中に手を回す。胸いっぱいに広がるグエンの匂いの、心地の良い安堵に微睡むように目を閉じた。


 甘いようなスパイシーなような、汗の少し混ざったあたたかい匂い。


 


「応えてくれてありがとう。俺、今人生で一番幸せだよ。騎士の位を貰った時よりもずっとずっと嬉しい」

「そ、そんな……でも、私も幸せです。こんなの生まれて初めて」


 


 私の身体を締める幸せな息苦しさにうっとりと息を吐くと、それに気づいたグエンが慌てて腕の力を緩めて私から手を離した。


 


「ご、ごめん、つい力任せに……苦しかった?」

「いえ、嬉しかったです。グエンとこんなに近くにいるのは初めてなので……もっとしてくれないんですか?」

「っ……!!」




 背を丸めて私を抱き締めてくれるグエンに目一杯背伸びをして手を伸ばし、夢でも見ているようなうっとりとした心地で胸に顔を擦り付ける。



 グエンと出会わなければ一生知らずにいたであろう、ふわふわとした綿菓子みたいな甘い気持ち。これが恋。

 

 この気持ちを知れてよかった。



 そうして時間も忘れて無我夢中で抱き合う私たちは、眠るその時まで互いの体温に手を伸ばし合った。


 


「大好き」

 



 微睡むように閉じられた私の瞳が桃色に染まっていることに気づく人は、誰もいなかった。

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