21話 修羅場

 布団の集合体は、俺の声を聞くとすすり泣く声を停止した。

 

 妹たちの部屋は共同で、部屋の広さは十畳ほど。それぞれの机は両端に対称に設置されていて、真ん中に布団が並べて敷かれている。

 さっきまでは畳まれていたのだろうが、今は掛布団敷布団に関係なくまとまって、たまの呼吸に合わせゆっくりと上下に動いている。


 正直このまま見なかったことにして立ち去りたいが、今の状態で母さんが帰ってくると少し――いや、かなりまずいことになりそうだ。


 たえは俺の部屋にこもってるし、環はこうして布団にくるまって拗ねている。母さんに事情を知られようものなら、大目玉ではすまない可能性もある。

 だって二人とも過程はどうであれ日々悩んでいる胸のことについて、俺が言ったのが原因でこうなってるんだぜ? 冗談抜きでまずいだろこれ。

 俺にお姉ちゃんがいたとして「あんた、小さいのね」なんて言われたら相当傷つ……いやそれはそれで案外嬉しいか……まあこの話はなしだ。


 と、とにかくっ! 今は目の前にいる環の機嫌を直すことが最善手だ。なんなら環に妙の悩みを解決するヒントをもらえるかもしれない。


「環、その……さっきは悪かった」


 しばらく待っても返事はなかったが、環は布団の隙間から片目だけ出した。五月なのに全身に布団被って暑くないのか若干心配である。


「ついムキになってさ。だからなんでも一つだけなら言うこと聞いてやるよ。だから機嫌直してくれよ」

「……なんでも? 」

「あ、ああなんでもだ」

「じゃあ――」


◇ ◇ ◇


「なんでこんなに努力してるのに大きくならないんだよ! え、私男だっけお兄ちゃん」

「い、いえ。どこからどう見ても女性ですねはい……」


 布団から出た環は、母さんが大事にしている外国のチョコレートを俺にくすねてくるよう命令した。

 もちろん渋る俺だったが、なんでもするといってしまった以上断る権利はなかった。

 場所を一階にあるリビングに移してチョコレートを献上すると環は少しだけ機嫌を取り戻し、今はこうして愚痴をこぼしている。


 このチョコレートには、恐らくアルコールが含まれているのだろう。

 海外にいる父さんが毎月送ってくれるらしいが、母さんは一度たりとも俺たちに分け与えてくれたことはない。

 今までは高級なチョコレートを独り占めしてずるいやつだ太ってしまえ、なんて思っていたが、環は一口大のチョコを五つばかり食べたあたりから顔があからさまに赤くなり、饒舌になってしまった。


 お酒がめっきり弱い母さんだが、毎月送られてくる父さんの唯一の便りを、誰に頼るでもなく頑張って胃の中に収めていたのだろう。なんかこう、感動しますね。父さん、母さんが酒に弱いの覚えとけやカス。


「お兄ちゃんに私の気持ちがわかる? 洗濯物乾いて畳んで『これはお兄ちゃんの上着。これは妙のブラジャー……。こ、これお兄ちゃんのインナーこれお兄ちゃんのインナー? って私のか……』ってなるときの私の気持ちが!」

「す、すいません……」

「一回妙のブラジャーこっそり付けてみたこともあるんだけどどうなったと思う?」

「ちょっと、わからないですね……」

「手離したらストンって足元まで落ちて行ったわ!」


 誰か助けてくれ。なんで俺正座しながら妹の愚痴聞いてんの? 魔王幹部のベラスケスと戦った時受けた麻痺より足に痺れきてるんですけど。


「でも女の人ってそこだけじゃないだろ。お前は頭もいいし体も細いしいい性格してんじゃんか。それで十分だろ」

「おい、さっき女性のシンボル失われてるとか言ってたろ。自分の言葉に責任もてカス」

「すいません……」 


 そう言っている間にも環はチョコレートを口に放るのをやめない。かれこれ十五個くらい食べているだろう。


「私がなんで部活の助っ人を引き受けてるかわかるかお兄ちゃん」

「スポーツが好きだから?」

「なわけあるか! 運動部の女子といると胸の悩みを忘れられるからだよ!」


 こいつの頭の中では「運動部の女子=胸が小さい」となっているらしい、否定することはできない。

 確かに過度な運動をすると女性ホルモンのバランスが崩れるっていうしな……って保健の授業で習ったんだ! 自分で調べたわけじゃないぞ! 

 

「じゃ、じゃあ勉強はどうしてできるんだ? なんか効率よく勉強する方法とかあるのか?」


 よし、とりあえずこれを聞き出せれば、妙にアドバイスをすることができる。


「勉強? あんなの授業聞いてればできるでしょ」


 あらら。天才パターンでしたか……。ごめんな妙、お前は努力あるのみだ。


「ていうか妙はなんであんなにでかいの? 神様仕事横着すぎない? 双子なんだから平等に振り分けてよ!」


 環は天(二階)に向かって吠えた。


「妙が『怖い夢見たから一緒の布団で寝ていい?』って来た時なんか地獄だよ! あの子寝相悪いから寝返り打つんだよ。胸を顔に押し付けられて息できなくなんの! お前は夢で怖い思いしたかもしれないけどな、こちとら現実で怖い思いしとるわ!」


 立ち上がり、俺に向かってそう言い切ると肩で息をしながら大きく深呼吸する。


「もう妙なんて」


 あ、まずいぞ環。


 酔ってることもあり我を忘れた環は、背後からする階段を降りる足音に気付いていない。


「妙なんて……」

「お兄ちゃんたちさっきからうるさいけどどうかしたの?」

「妙なんて姉妹じゃないよ! 捨て子なんだきっと!」


 終わった……。


「た、環? な、なんでそんなこと……」

「た、たたた妙!? これはちが」


 聞く耳など持ってくれるはずもない。妙はドバドバと涙を溢れさせ制服のまま家を飛び出していった。

 家に残る俺と環はピクリとも動くことができず、一分程フリーズしてしまった。

 

「あんたたち妙になんかしたのー?」


 その静寂を打ち破ったのはパートから帰ってきた母さんだった。

 

  妹たちにはひどいことを言ったと思う。しかし今の環の言葉は兄として許すことはできない、例え酔っていたとしても。この後、事情を聴かれ俺は母さんに多かれ少なかれ怒られるだろう。

 だが俺は、今にも泣き叫びそうな環に引導を渡してやることにした。


「環、捨て子はどっちだろうか」


 俺の右手の人差し指が差したのは母さん。

親の――というか家族のそういう性的なことを考えるのはすごく気持ち悪いが、母さんの胸は妙の母だと納得させるほど大きく未だに女性らしさを保ち続けている。


「あ、あ……」


 環は自分の胸の前で両手を何度も動かしている。恐らくあるはずもないたわわに実った胸を触ろうとしているのだろう。そんな環の手は最後まで無残にも空を切ることしかなかった。


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