15話 しばしの安らぎ

「起立・姿勢・礼」

「「ありがとうございました!」


 ふぅ、やっと終わったぜ……。


 酷く長く濃い一日が終わり、みんながゾロゾロと教室を出ていく中、俺は椅子に再び身を預けた。


 あの後、雄牙の勘違いを正すことはできず、俺たちは学校中でたちまち噂されるようになってしまった。人の噂も七十五日というがどうなることやら。


 そう考えている今も、俺を見かけると男子たちは目をギラつかせ、女子たちはヒソヒソと話をし始める。常に死と隣り合わせだった異世界とはまた違う、慌ただしい生活が早くも始まってしまったようだ。もう、これはそういう星の元に生まれてしまったと諦めるしかないのだろうか……。


「拓実、大丈夫?」

「ああ。じゃあぼちぼち帰りますか」

「うん」


 とっくに帰る準備をしていた雫は、曇る俺の顔を心配そうに見つめていた。慌てて帰り支度を整えるととっくに誰もいなくなった教室を後にする。

 

 雫と共に歩いていると、やはり聞こえるか聞こえないかの声で周りは話をし始める。いつも一緒に帰ってるのでそういう目で見られるのはよくあることだが、まだまだこの視線に慣れる気がしない。一方の雫は涼しい表情で顔色一つ変えずにいる。流石だな。


 靴に履き替え校門を出ると、同じように学校から帰る生徒がまばらに見える。

 一人でとぼとぼ帰る奴、二人で仲良く話しながら帰る奴、三人で一人仲間外れ気味になりながら帰る奴、そして男女ペアで絶妙な距離を保ちつつ帰る奴。

 

 傍から見るとやっぱり俺と雫、完全にカップルだよな……。

 

 俺と雫との距離は拳一つ分くらい、たまに袖がかする程度だ。歩くペースは俺が雫に合わせるように気を遣っている。

 

 雫の歩くスピードは感情の高ぶりと比例しているようで、テストの点数が芳しくなかった日は遅くなるし、夏休みの前の日とかになると早くなる。

 俺は歩くスピードによってその日の雫の心中を察してこっそり一人で思いを巡らせる、という自分でも引いてしまうような一日の楽しみがあるのだ。

 ちなみに今日はかなり速足だが、地面を踏む足の音がいつもより大きい。これは稀にある怒っている時の歩き方だ。

 まあ、無理もないだろう。学校中にありもしないことを広められたのだ、怒りもするさ。


 雫に合わせ大股気味に歩いていると、ぐんぐん前を歩く生徒たちを抜いていく。なんか駅伝のごぼう抜きしている選手みたいでちょっと清々しい。

 「あの人たちって今日話題になってたさ、」と後ろから聞こえた気がしたが……気にしないでおこう。


 雫は相変わらず一言も発することなく、黙々と足だけを動かしている。まあ俺から喋ればいい話なのだが、慌ただしいこの日常の中、一人の時以外で唯一安らげる時間がこの雫の帰り道なのだ。

 この沈黙が俺の廃れ切った心を清めてくれる。俺の視界の端にうっすらと入る雫の横顔が、なによりも俺の気持ちを落ち着かせてくれるのだ。


 そうして尚も歩くスピードを緩めず進む俺たち二人の前に、クラスメイトの女子たちの後ろ姿が現れた。俺の記憶が正しければ帰り道が違うやつも何人かいる。恐らくこれから寄り道でもするのだろう。

 

「あっ雫ちゃんたちだ!」

「ほんとだ、うわヤバくない?」


 そういうことはね、心の中で言うもんだよお前ら。


 追い抜くのもどうかと思ったのか、雫はこちらを振り向いて立ち止まる女子たちに倣って足を止めた。 

 うわ、なんか気まずい……。


「あ! タクミと雫ちゃんだ~」


 なんともいえない空気を切り裂いたその声の主は、曇りのない笑顔でこちらに駆け寄ってきた。


「セイン、お前こんなところでなにしてるんだ?」

「みんながさ、家に遊びに来たいっていうから」

「へーもう仲良くなったんだな」


 あんな噂が広まったというのに、セインは既に友達が出来たようだ。王女の気品みたいなのが人を引き寄せたのかもしれない。


「タクミたちも帰り道こっちなの?」

「ああ、家が近いから一緒に帰ってんだよ。なあ雫」

「……うん」

「え、じゃあ一緒に帰ろ、ってなにするのエマ!」


 セインの言葉を遮ったエマはセインの口を抑え、女子たちの輪の中に戻っていこうとする。


「ごめんね拓実。邪魔しちゃってこの子」

「いや、邪魔とかそういうんじゃ」


 エマは若干誤解している節が見られるが、この場合は好都合だ。セインが嫌とかではないが、雫とのこの時間は俺にとってとても大事なものだ。


「もしかして修羅場なんじゃないこれ」

「私たち邪魔だよね、空気読も」

「恵真ちゃん、聖ちゃん私たち今日は帰るから! また明日ね」

「え、じゃ、じゃあね」


 広まった噂をヒントに、クラスメイトの女子たちはそういって、元来た道を引き返していった。勝手な奴らだ……。


「……よしセイン帰るよ! じゃあね雫ちゃん、タクミ!」


 慌てふためきながらも恵真はセインを引っ張り先にいこうとするが、


「えーでもタクミたちも帰り道こっちなんだよね? 折角だから一緒に帰ろうよ」


 セインのいいところはどこまでも純粋なところだ。


 さっきのクラスの女子たちとは違い、場の空気を変に解釈して行動したり、心にも無いことを平気で言ったりなんかする素振りもなく、ただ自分の本心を頼りに行動するやつだ。

 屈託ないこの眩しい笑顔がその証拠である。だからこそこの状況は厄介だ。さて、どうしたものか。


「いいよ。一緒に帰ろう」


 その声は俺の横から確かに聞こえてきた。聞き間違いかと思い顔を向けるが、雫の口が開いていることからどうやら間違ってはいないらしい。


「いいの? 雫ちゃん」

「うん。みんなで帰った方が楽しいよ」


 エマが申し訳なさそうに念を押すが、雫は今日一番の笑みを浮かべ快諾した。


「やった。じゃあ私拓実のとーなりっ!」

「おおっと。そんな掴むなよ」


 がしっと俺の腕を掴み引っ付いて来たセインと入れ違いで雫は俺の横から前にいたエマの横へと付け、歩き出した。


 正直、すごいショックだ。


 二人で通学するほとんど会話のないひと時。沈黙の中だからこそお互いのことが目につき些細な変化に気付くことができる喜び。わずかばかりの会話を静寂の最中噛みしめる幸せ。

 一年のブランクを経て俺はこの時間がとても好きなんだと再確認することが出来た。だが雫は今の発言からするとそうでもなかったらしい。


 気持ちの整理が付かない俺に反して、雫は楽しそうにエマと会話を始めていた。もしかしたら俺といる時以外は感情豊かで口数の多いやつなのかもしれない。

 

「タクミ、どうしたの?」

「ああ、いやなんでもないよ」


 だが、前をいく雫の歩くスピードが今までで一番遅くて重々しい気がするのはどうしてなんだろうか……。

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