Z 第一次動乱②
相談するわけでもなく、ヒューを先頭に渡し板を渡って敵船に乗り込んだ。
船の造りはほとんど〈
「まずは操舵室の破壊だな」
「それはおれがやる」
ヴィックが立候補した。その意味を悟ったゾーイはすぐさま反発する。
「駄目だ!お前、巫術を使うつもりだろう」
ヴィックの
「おれがやるのが一番早いだろ」
「だけど」
「ゾーイは早くエルバのところに行ってやってよ」
ヴィックは一秒でも惜しいというように、すでに体を操舵室の方へと向けている。
「大丈夫。ちょっと怪我するだけ。おれはもう慣れてるから」
何に慣れているというのか。ヴィックは喋りながらも、すでに操舵室へ駆け出していた。
「ヴィック!」
呼び止めても振り向かない。
「ヴィックには俺とクロエがついてる」
ウォードが体半分を操舵室に向けながら言う。
「ヒューとゾーイでエルバのもとへ行ってくれ」
「分かった」
ヒューがすぐさま船室に降りる階段へと駆け出すので、置いていかれまいとゾーイもついて走った。
ヴィックも心配だし、エルバも心配だ。体が二つあればいいのに。そんなふうに願ったことは、ゾーイにとって今回が初めてではない。ヴィックとエルバは飼い犬であるゾーイに心配を掛けてばかりだ。少しはこちらの気持ちも考えて欲しいものだといつも思う。
脇目も振らずに一番下層にある船室を目指した。
そこは人が生活する分には狭く、幻想的な海中が見える窓もなく、じめじめと湿気のたまる最も劣悪な環境の部屋だった。少なくとも〈
果たして、〈ルーキーズ〉も同じ用途で使用していたようだった。
扉は開放されており、すぐ前の廊下で海賊らしき男が気を失っていた。男を跨いで中に踏み込めば、部屋の中央に
「エルバ!」
ゾーイは、エルバが構えた槍を消失させるのも待たず、駆け寄って抱きついた。
「ゾーイ……」
安堵したのか、エルバの四肢から力が抜けていく。肩にかかる重みがたまらなく愛しかった。
「無事でよかった……、エルバ、怪我したのか?」
「大丈夫だよ。頭をちょっと切っただけ」
「じゃあ、この血は?」
ゾーイはエルバの胸元に目を落とす。
「それは私の血じゃない」
エルバの視線が床に落ちた。濡れネズミの男がうつ伏せに倒れていた。胸から血を流して絶命しているようだった。死体が消えていないことから、天印持ちではないらしい。
「よくやったな」
ヒューが部屋の敷居を跨いだまま、エルバの働きをまずねぎらった。
「でも、こいつも殺した方がいいんじゃないのか?」
ヒューは親指で後ろを示している。部屋の外で倒れていた男だ。目立った外傷はないようだったし、気絶しているだけらしい。
「それは……」
エルバは抵抗できない相手を殺すことに
「まあ、いいじゃねぇか。もし起きて抵抗するようだったらアタシがやるよ」
「ふぅん。そうか」
ヒューは大してこだわりを見せなかった。
エルバが左目を手の甲で拭った。頭からの出血が止まらないらしく、血の流れは頬までを侵食しつつある。それを見てヒューが気を利かせる。
「ここは大丈夫そうだな。今、ウォードを呼んでくるよ。それと、ヴィックもな。会いたいだろ?」
「べ、別に、そんなことないし」
エルバはそっぽを向いたが、頬が紅潮したのをゾーイは見逃さなかった。ヒューは薄笑いを浮かべて部屋を出て行く。
「で、こいつらみんな、
ゾーイは部屋の奥に目を移した。子供が三人。大人が二人。狭い部屋の中で息を潜ませ、身を寄せ合うようにして壁伝いに座っていた。目には力がなく、顔色はくすみ、疲弊しきっているのは明らかだった。
「ハーフなのかどうかは分からないけど」
五人もの人間を守りながら、汚い狭い部屋で一人戦っていた少女は、ゆっくりと後ろを振り返る。
「捕らわれていたのは確かみたい」
「お前がジェマ・アルビオルか」
ゾーイは部屋の隅で丸くなっていた少女に目を留めた。ハーフであるというが、見た目は亀のビーティ。その特徴である小ぶりな甲羅は服の上からでも見て取れた。
「あんたのお陰で大冒険だったよ」
ジェマ・アルビオルは体を小さくして縮こまってしまった。両手で頭を抱えて、地震でもあったかのような体勢をとってぷるぷる震えている。
「駄目だよ、ゾーイ。とてもつらい思いをしてきた子なんだから。優しくしてあげないと」
優しくないことを言った覚えはゾーイにはないのだが。黙っている方がいいらしい。
しばらくたって、ヒューがヴィックたちを連れて戻ってきた。
ヴィックは案の定傷だらけで、エルバはそれを見て目を三角にした。
「またあんたは、自滅巫術使ったのね!」
エルバがそうして怒るものだから、ゾーイの方はいつもヴィックに怒れなくなる。
「自滅巫術って、酷いよなぁ。傷だらけなのはお前も一緒だろ」
ヴィックはあちこちに血を滲ませながらもへらへらと笑っている。
「私のは名誉の負傷だもん」
「おれだって名誉の負傷だよ」
言い合う二人の隣にウォードがやって来て、じっくりと傷の様子を検分し始める。
「エルバは頭の怪我だけだな。うん、この程度なら縫わなくてもよさそうだ。布か何かで押さえておくといい。ヴィックの方が重傷だな」
「え、俺の方が重症?」
ほら見なさい、とばかりにエルバがヴィックを見やった。
「前回は爆発させたのがモンスターだったから体内に入った破片は消えていったけど、今回はそうはいかない。破片をきちんと取り出さないと大変なことになるぞ」
「ええー、どうやって取るの?」
ウォードの説明に、ヴィックが不安を全面に押し出した顔で尋ねる。
「ピンセットで一つずつつまみ出す」
「それ、痛いじゃん!」
「痛いぞ」
ウォードは人の悪い笑みを浮かべていた。ヴィックは目に見えてうろたえ始める。
「麻酔とか使ってくれないの?」
「弱虫だな、ヴィック。そんなんじゃ、いつまでたってもヒーローにはなれないな」
ヒューにからかわれて、ヴィックは態度を変えた。
「いいよ!おれ麻酔なしで!麻酔なしでやって」
必死になって前言を撤回するヴィックに、ゾーイは笑った。笑い声はみんなのものと重なった。
さっきまで戦いの
がたんっ、と音がしてきゃっ、と細い悲鳴が上がった。
振り返る。海賊がジェマ・アルビオルの腕を掴んで立たせ、自分の方に引き寄せていた。出入り口の前で気絶していたはずの海賊だ。いつの間にか、目を覚ましていたらしい。
ゾーイたちが臨戦態勢をとろうとすると、海賊は目をひん剥いて喚き散らした。
「動くんじゃねぇ!こいつがどうなるか分かってんだろうな!」
ジェマのこめかみに拳銃が当てられている。興奮のあまりかぶるぶる震えているが、あれだけ近距離から発砲されれば外れることはないだろう。
ゾーイは舌打ちを漏らした。動くに動けない。
「何が目的なの?」
「違うんだ。俺はこんなところで死ぬ男じゃねぇ」
エルバの問いに答えず、海賊の男は何やらぶつぶつ言いながら、唯一の出入り戸までジェマをひきずっていく。
じりじりとゾーイたちは体の向きを変える。武器を構えたい衝動を抑え込み、男の指先の動き一つに神経を張り巡らせる。
ジェマ・アルビオルがここで殺されてしまったら、これまでしてきたことがなんの意味も為さなくなる。
海賊は扉の敷居を跨ぐと、素早く動いた。部屋の中にジェマを押し出し、扉をばたんと閉めたのだ。押されて倒れ込むジェマをヒューが受け止めた。部屋の外からばたばたと走り去っていく音が聞こえる。
ゾーイは深く考えることなく動いていた。逃げる者は追うのが動物の本能だ。すすり泣くジェマをぴょんとハードル走選手のように飛び越えて、部屋の戸を乱暴に開け放った。
一本取られたまま相手に逃げられるなんてとんでもなく癪だ。
通路の先に消えた男の背を追って全速力で駆け出す。後ろから足音がする。誰かがついてきているらしい。海賊の慌てた足取りは大きな音を残し、やがてゾーイを甲板へ導いた。
「どこだ!」
「あっち!」
エルバの声がした。なんと、ついてきていたのは怪我をしているエルバとヴィックの二人だった。
エルバの指さす先では海賊の男が緊急避難用のゴムボートを海に浮かべている。
「待て!逃がさないぞ!」
ヴィックが叫んで駆け出し、エルバが続く。二人に戻れと命令する間もなく、ゾーイもあとを追った。
海賊一人を乗せたゴムボートは意外なほど早く船から離れつつあった。うまく海流をつかんだらしい。みるみる遠ざかっていく。
こちらに気付いたとみえる海賊は自らの勝利を確信し、嘲りの声を上げた。ここまで来てみろ、弱虫、阿保、のろまなどと散々に挑発してくる。エルバに負けて気絶していたくせに、こちらの手が届かないと知るや、調子に乗る。典型的な馬鹿だった。
そんな馬鹿にゾーイは全神経を逆撫でされる屈辱を味わっている。
船の
「待て、エルバ。ミストを呼ぶのか?」
「それしかないでしょ」
「またお前一人で行くのか?」
またエルバを一人で行かせるくらいなら、屈辱なんていくらでも我慢してやる。ゾーイはそう思うのに、エルバは止まってくれなかった。
「ミスト」
海面に血のしずくを振り落とす。しずくが形を変え、体積を増していく。
「頼んだぞ」
ヴィックはすでにエルバに任せるつもりでいるようだった。ゾーイには考えられないことだった。
ゾーイは大切な二人を引っ掴んで、感情のままに叫びたくなる。
どうしてお前たちは。互いに互いを思い合っているのに。どうしてそんなに簡単に。
信頼して送り出せるんだ――。
ばっしゃーん!!
大きな水音がした。顔を上げると大きなビルほどもある水柱が、海の上に屹立していた。ちょうど海賊がゴムボートで航行していたあたりだ。
『あ、ママー!』
幼い声が頭の中で響いた。
と同時に水柱が砕けて大量の海水が雨のように降り注いでくる。だが、そんなことよりもゾーイの注意を引き付けるものがあった。
水柱の立つ海面のすぐ下に、海の色より暗い何かがいた。島ではないかと思えるほどの存在感だった。ゆらりと海中をうごめき、泡と水をふんだんにまき散らして、海面すれすれをゆっくりとたゆたって、底へ底へと潜っていく。
『ママ~!僕は大丈夫だよ!エルバの神獣になったんだよ!だから僕は行ってくるね~。心配しないで、大丈夫だよ~』
「あれが、ママ……」
放心したようにエルバが呟いた。
周囲の海にはしばらく多くの泡がたっていたが、いつしかいつもの海へと戻っていった。ゴムボートはそれきり海の上に姿を見せず、あの海賊がどうなったかは海の主のみぞ知るところとなった。
やがて〈ルーキーズ〉の船は〈
ウォードがエルバの傷口に
〈
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