Z 第一次動乱①

 ゾーイは甲板を蹴り、勢いよく相手の懐に飛び込んだ。拳銃の発砲音がする。後方から渦巻く強風が吹き抜けて、銃弾をゾーイから逸らし散らしていった。余裕をもって、クロウで相手の腹から胸を切り裂く。血が飛び散って、ゾーイの顔に飛沫となってふりかかる。


 一段落つけて顔を上げれば、背後に人の気配があった。背中合わせ。敵ではない。気配で分かる。ヴィックだ。


「怪我はないか?」


「余裕、余裕」


 言葉を交わし合ってすぐ、背中の気配が遠ざかっていく。集団戦闘は仲間との呼吸の合わせ方も重要だ。


 人型のときも獣型のときもゾーイの武器はクロウだった。残忍な格闘家が用いるような長い鋭利な爪を、拳あるいは前肢に取り付けている。長年、獣の姿で過ごしてきたため、人型の体は扱いにくいが、ここ数日におけるヒューとの特訓の成果は確実にあがっていた。並みの海賊相手とは互角以上に戦えていると思う。


海神わだつみ〉の船の上はあちらもこちらも戦場となっていた。邪魔にならないよう、甲板の上にあった網や樽はあらかじめ片付けられている。


 敵は左舷から渡し板を渡って続々とこちらの船に移ってきた。どいつもこいつも揚々ようようとした様子で、嗜虐心しぎゃくしんに満ちた笑みを浮かべている。まだ、こちらが一般の貨物船だと思い込んでいるのだろう。こいつらをある程度抑え込まねば、エルバのもとへは行けないのだ。


 また馬鹿な海賊が、刀を振り上げて襲いかかってきた。無駄に高い雄叫びを楽しそうに上げている。


 目障りだし、耳障りだ。


「【氷柱アイシクル】」


 言霊を口の中で唱えると、臀部でんぶにある天印が疼いて術の発動を知らせた。避けることのできない距離まで引き付けてから、相手に氷の柱を叩きこむ。


 ゾーイの巫術ふじゅつ氷柱アイシクル】は氷柱つららを繰り出す術だった。氷柱なので先は尖っているが、どうにもゾーイの実力不足か、林檎りんごすら貫くことが出来ないくらいに脆い。だから、致命傷を与えるのは難しく、牽制けんせいくらいにしか使えなかった。それでもないよりはマシだ。


 敵は目前に氷の柱が迫ってきたのに慄いて、蹈鞴たたらを踏んだ。それでも氷の柱は止まらない。顔面に炸裂する。敵は痛みに呻いてうずくまった。戦場でうずくまるとは、殺してくれと言っているようなものだ。


 ゾーイが爪を振り下ろそうとしたところで、横から一刃が飛んできた。銀の軌跡が敵の首を裂いて、瞬く間に絶命させる。人の獲物を横取りした男は、短剣ダガーから血を滴らせながらゾーイを見ていた。


 ヒューだった。


「やってるな」


「横取りしてんじゃねぇよ!」


 ゾーイは素直に怒りをぶつけた。きっとこいつはゾーイ以上に相手を殺している。それでいて疲れた様子も見せず、悠長に足を止めてゾーイに声を掛けてくる余裕まで見せているのだ。


「喋ってる暇があるなら、殺せよ!」


 噛み付く勢いで叫ぶゾーイに、ヒューは淡い笑みを浮かべて、またまた余裕を見せつけた。返り血の付着した顔で笑う様にはすごみがあった。


「機嫌悪いな。そんなに心配か?」


 一息つくように小首を傾げて、短剣の柄を肩に置く。ゾーイはそんなヒューを正面から睨みつけてやった。


 どこからかヴィックの声がする。海賊など問題にもせず、どんどん戦果を重ねているようだ。


「信頼してやれよ」


「ああ?」


「あいつらも子供じゃないんだ。信頼してやれよ」


 そう言い残して、ヒューは去って行ってしまった。その背中にゾーイは怒鳴り声をぶつける。


「んなこと、分かってるよ!」


 ヴィックもエルバも、よくやっている。戦人いくさびととしては充分過ぎるほど優秀だし、エルバは特にしっかりしているのだ。それでも、ゾーイの胸から不安は消えてくれなかった。どうしても、エルバが船から落とされたときの気持ちと情景が、蘇ってくるのだ。


「くそっ」


 ゾーイは八つ当たりするべく次の敵を探した。相手はすぐに見つかった。未だ、こちらをただの貨物船の護衛か何かだと思っているのか、侮りを隠そうともしない。まだ気付かないのか。こいつら馬鹿なのか。


 爪を大きく振り上げて上から攻撃を仕掛ける。敵は体勢を低くして受ける構えだ。ゾーイは苛立ちをすべて込めて、力任せに爪を振り下ろした。外れた。相手が避けたのだ。


「くっ」


 勢い余ってゾーイは甲板に転がる格好になる。受け身が取れず、横腹を敵にさらす。敵がにやりと笑みを浮かべて一歩を踏み出した。海賊刀が振りかぶられる。斬られる。


 敵の腹と胸に続々と穴が開いた。小さな穴だった。全部で五つ。


 敵の目から残忍な光が消えて、ゾーイに覆いかぶさるように倒れてくる。


「余計なことするな!」


 振り返りながら叫ぶと、ウォードが肩をすくめていた。


「そうか。余計なことだったか」


 ウォードは近寄ってきて、ゾーイの上に乗った敵の体を持ち上げてくれた。その頃には少しばかり、ゾーイの頭も冷えていて、自分の怒りが理不尽であることを自覚しつつあった。しかし、素直に謝ることはできなかった。


 そんなゾーイに、ウォードは手を差し出してくる。


「戦場で油断するな」


「余計なお世話だ!」


 不要な一言にゾーイの頭にまた血がのぼる。ウォードの手を払いのけて、自力で立ち上がった。ウォードは微苦笑して手を引っ込める。その表情にまた腹が立つ。


「敵の数が減ってきたようだな」


 ウォードが小銃ライフルを手に戦場を見渡していた。


 たしかに船の上も随分と落ち着いてきたようだった。今のゾーイとウォードのように、立って周囲を見渡している者もいる。敵も味方も減っているが、生き残っている者は味方が多い気がした。戦士たちはほとんどが天印持ちだったらしく、死体も血痕も残らないので、船の上は意外なほどすっきりしている。


「そろそろ、エルバのところへ行くか?」


 期待を込めて尋ねたが、ウォードの注意は他所よそへ向いていた。ゾーイの目も自然とそちらへ向く。


「この船がお前の墓場になるとは皮肉だな」


 聞こえてきただみ声には哀れみの響きが感じ取れた。オレンジ色のモヒカンの横顔が見える。どうやら敵と言葉を交わしているらしい。


「結局、お前は戻ってくるのか。威勢よく出て行ったくせに」


「うるせぇ!お前の船だと分かってたら、乗り込みゃしなかった!」


 威勢だけで突っ走っている若者じみた声が返事をする。そちらに目をやれば、声通りの見た目をした男が、海賊刀カットラスを両手で握って立っていた。


「海賊の船は襲えねぇってか。堅気の船しか襲えねぇか。弱虫のしみったれは治ってねぇようだな」


 ディランの方は、刀を構えてもいない。右手で持って、切っ先を床にぶらりとさげている。


「挑発しようったって無駄だぞ!」


 その通りだ。相手の男はもう充分にいきり立っている。


「挑発?お前相手にそんな小細工が必要なもんかい」


 ディランはここにきてようやく、ゆらりと海賊刀を構えた。


「そんな回りくどいことしなくても、俺はお前を細切れにできる」


「こんにゃろうー!」


 男は顔を真っ赤にして、ディランに打ちかかっていった。


「おい、何を見物してんだよ!」


 その攻撃を難なく受け止めたディランが、こちらを振り向きもせず、声を張り上げる。


「見世物じゃねぇんだぞ!そろそろ潮時だろうが!嬢ちゃんのところに行ってきな!」


 ゾーイははっとして渡し板の方へ目を向けた。板を渡る敵の姿はすでになかった。


 ウォードと並んで板のもとへ走ると、ディランの声が聞こえていたのか、ヴィック、ヒュー、クロエと五人全員が集まってきた。


「行こう」


 ウォードが言って、ヴィックが大きく頷く。


 船上には強い風が渦巻くようにして激しく吹きつけていた。

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