E ヒーローだよ

 海賊団〈海神わだつみ〉の船は、ハーフの少女ジェマが乗っているという海賊団〈ルーキーズ〉の船を追って海を進んだ。


〈ルーキーズ〉は、遊覧船ゴッデス号を襲撃したあと、一度海賊の島に上陸している。そこで丸一日を物資の補給と休息に当て、エンプレスシティを目指して海に出たという。それが二日前のことだ。


 海賊の島からエンプレスシティへ向かう航路はいくつかあるというが、〈海神わだつみ〉の長ディランは、潮流や敵が船に積み込んだ物資などから〈ルーキーズ〉の航路を割り出した。エンプレスシティへ行くまでの道中でも船を襲うつもりだと推測して、最速の航路は取らないと仮定した。


 そうでなければ追いつけない。


海神わだつみ〉は一般の貨物船を装い、一隻だけで〈ルーキーズ〉との海戦予想地点へ先回りするべく驀進ばくしんした。


 海賊の島を出てから三日後の朝。霧の立ち込める視界の悪い状況の中、とうとう敵船を捕捉した。




 エルバは指先に膨れ上がっていく血のしずくを見つめながら、体内でどくどくと鼓動する心臓の音を聞いていた。


 勇み逸る心と、身体を縛る緊張の中でバランスを取りながら、頭の中で自分の為すべきことを反復する。


海神わだつみ〉の船の側面、海面に最も近い船のへりにエルバをはじめ、ヴィック、ゾーイ、クロエ、ウォード、ヒュー、さらにはディランまでもが顔を揃えていた。


 エルバは海面に一滴、血のしずくを垂らす。


「ミスト」


 契約した神獣の名前を呼ぶ。この儀式の最中は、いつだってなんだか厳粛な心持ちになる。したたった血のしずくが形を変え、やがて水面に達したとき、〈白海豚デルビー〉ミストの姿となって顕現した。


『呼ばれました~。ミスト、参上~』


 相変わらず緊張感のないイルカだった。いつでもエルバと意識を共有しているので、なぜ呼ばれたのかは説明がなくても理解しているはずだ。


「じゃあ、行ってくるね」


 振り返って、見送りに来てくれた面々に告げる。水に濡れても支障のない衣装は水着に近く、体の線がくっきりと浮いている。そんな中で注目を浴びていると思うと少しだけ恥ずかしかった。


「頑張れよ」


「あんたこそ」


 ヴィックがエルバの背をポンと叩いてきた。エルバはやり返す勢いでヴィックの肩の辺りにポンと触れ返す。こうした触れ合いは、昔から今も変わらず続いているものの一つだ。ヴィックの声が低くなっても、ヴィックの背の高さがエルバの背を跳び越すように追い抜いていっても、変わらない。


「気をつけてね」


「すぐに俺たちも向かうから」


 クロエとウォードに声を掛けられ、元気よく頷いて答える。


 ゾーイがエルバの前に進み出てきた。


「無理はするなよ」


 すっぽりとエルバの頬を両の掌で覆って、願いを込めるように言葉に力を込める。


「危ないと思ったら、どこかに隠れてるんだ。絶対にアタシが見つけてやるからな」


「そんなこと出来ないよ。みんなを助けないと」


 ゾーイが悲しそうな顔になったので、別の答えを返した方がよかったのだと悟った。だけど、言ったことはなかったことにならない。


「いいか。嬢ちゃん」


 ディランが太い腕を組んで、エルバの横に立っている。


「こっちに敵が乗り込んでくるまでは海の上で待機してるんだぞ。人質を見つけたあとも動き回るんじゃねぇ。原則、その場で待機だ」


「分かってるよ」


 そんなに怖い顔をして言い聞かせなくても、ちゃんと言われた通りに動くのに。会ったばかりの相手に信頼しろというのも無理かもしれないが、エルバは少しだけうんざりした。


 ヴィックはにやにや笑いを浮かべている。少なくともヴィックだけは、エルバのことを心配していないらしい。


 信頼しているのだ。


 心に火が灯った気がした。ぽっと体の芯が熱くなって、そこから使命感や決意といったものが漲ってくる。


「行ってきます」


 たぎる心が、いつもより強くはっきりとした口調になって現れた。


 ゾーイに強い視線を送って、絶対に大丈夫だと安心させてあげる。だけどやっぱりゾーイは不安そうだ。


 最後にヴィックに視線を送った。こちらは両手を頭の後ろに当てて太平楽な態度だ。


「またあとでな」


「うん。待ってるから」


 珍しく素直なことを言えた自分にびっくりして、気恥ずかしくなって背を向ける。


 ミストが待っている。エルバは海に飛び込んだ。




〈ルーキーズ〉の船は〈海神わだつみ〉のものとよく似ていた。エンジン付きで帆が付いている造りも。船首像が祈りを捧げる女神像であることも。幅や全長といった船全体の大まかな大きさも。


 だけど〈ルーキーズ〉の船は一隻だけだった。三隻を有する〈海神わだつみ〉と比べてみても、規模の小さい海賊団なのだろう。確かにただ勝つだけなら簡単そうだった。


 エルバは〈白海豚デルビー〉のミストに乗って、敵の船の外周を見て回った。朝靄あさもやが立ち込めているので、よほど派手な音を出さない限りこちらに気付く者はいないだろう。進入路は船の側面にあった梯子はしごくらいしかなさそうだった。


 エルバは梯子の真下付近に待機することにした。船のすぐ下あたりにいた方が、下手に離れているより発見されにくいだろう。真下を覗きこむ者は、意外といない。


〈ルーキーズ〉の船はゆっくりとした速度で海を進んでいく。この船に乗る海賊たちはすでに近づいてくる〈海神わだつみ〉に気付いているだろうか。少なくとも、エルバの見える範囲に動きはない。


『やっと、海賊を退治できるんだなぁ~』


 頭の中で幼い声がした。ミストが嬉しそうに体を上下に揺らしている。


『そんなに海賊のこと嫌いだったの?』


『それはもう。だって、あいつらモンスター狩りするんだよ』


 契約した神獣とは頭の中だけで会話ができる。声を出さなくても意思の疎通ができるので、こういった隠密行にはぴったりだ。


『血祭りにあげてやってよ。今まで殺された仲間の恨みだ』


 エルバは苦笑した。たぶんそれは海賊の側も同じ思いだっただろう。仲間を殺されて恨みを抱いていたのはきっとお互い様だったのだ。


 食う立場と、食われる立場。殺し合っては、殺され合う関係。人と怪物モンスターとは相容れない存在だ。それでも、立場の違いを超えて、エルバとミストは絆を結んでいる。そんな事実が誇らしい。


『あれ?何か人の声がするなぁ』


 ちゃぷちゃぷ水に浮かびながら、ミストが首を傾けた。


『始まったの?』


『うーん、それにしては静かすぎるというか』


 手すりの辺りに誰かが現れた。もやに巻かれてよく見えない。一人ではなさそうだ。


 エルバはじっと息を潜めて耳を澄ませる。


「お前は本当に役に立たねぇな!」


 ばしっと人が人を叩くような音がして、ひぃっとくぐもった悲鳴がした。泣きじゃくるような声があとに続き、男二人分の笑い声がする。


「だから、これから処分されちまうんだがなぁ」


「許してください、許してください」


「許せだぁ?誰を?お前を?」


 ごっと頭を殴るような音がして、金属製の手すりに何かがぶつかった。泣きじゃくるような声が激しくなって、男二人が罵声を浴びせる。


「役立たずの屑が!」


「ただ飯喰らいの分際で許してくれだとぉ」


「死んじまえ!」


「このまま蹴り殺してやろうか!」


 がっ、がっ、と音が連続する。男二人が命乞いする者を蹴っているのだと想像がつく。


 エルバは迷わなかった。


 水の柱が海から天へまっすぐ伸び上がる。エルバの巫術ふじゅつ噴水ファウンテン】は船の手すりを越えるまで高く伸び、重力に負けて、男たちへ滝のように落ちかかった。


『いいのぉ?エルバ?』


 両腕を交叉させて天に向けて伸ばす、そんな体勢のエルバにミストが心配そうに声を掛けてくる。エルバは「うん」と頷いた。


「放っとけない」


 巫術ふじゅつ発動のためのモーションをといて、エルバは一目散に梯子を登っていく。


 船の上では、海賊らしき男二人と痣だらけの少年が、ずぶ濡れになって床に尻もちをついていた。


「逃げるよ!」


 きょとんとしている少年の手を引いて無理やりに立ち上がらせる。一〇歳かそこらくらいに見える幼い少年だった。


「誰だ、お前!」


「おい!待て、こら!」


 エルバはすでに少年の手を引いて走り出している。戸惑っていた少年は海賊たちの声に背を押されたように、エルバに従ってついてきた。


「お姉ちゃん、誰?」

 

 あどけない少年の問いにどう答えたものか一瞬考える。なぜかヴィックの顔が浮かんできて、あいつなら何と答えるだろうと想像した。


「ヒーローだよ!」


 エルバはそう返して、狭い通路の樽の間を跳ぶように駆け抜けた。

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