H 海賊島にて色を求めて②

「こんなところにいやがったか」


 口の悪い短髪の女が近づいてきて、ヒューの手前で立ち止まった。


「随分探したぞ、この野郎」


 この女は何をしに来たのだろう。深夜でも往来の途切れない道の片隅で、物乞いのように木の根元に座り込みながら、ヒューはしばし無言で女を見上げていた。誰にも相手にしてもらえないオレを馬鹿にしに来たのか。しかしもしかしたら、なぐさめに来てくれたのかもしれない。


「何か用か?」


 期待が声に漏れ出ていたようで、ゾーイは不快げにそっぽを向いてしまった。


「暇そうだな、変態猫」


 こちらの質問に答えず、視線を娼館の方に向けている。ヒューが何をしているのかには薄々感づいているのだろう。


 ヒューはまだ欲望の解放のひと時を諦めていない。安値で商売してくれる女がいるかもしれないと、手あたり次第、娼婦に声を掛けて回った。連戦連敗。海賊の島の女たちは自分の価値をよく分かっている。


 月が天頂を過ぎて傾き始めた辺りから、娼館に出入りする客も増えてきた。現在は作戦を変え、おこぼれにあずかれないかと、店の前で張り込んでいる最中だ。そんなヒューを見て、客引きの女たちはくすくす笑うが、これはプライドを捨ててでも挑まなければならない重大事なのだと割り切っている。


「その熱意をほかの方向に持っていったらどうだ?」


 ゾーイは呆れた顔をして呆れた声で言った。


「例えば?」


「社会奉仕とか」


「冗談だろ。奉仕しなきゃいけないと思うほどのことを、社会にしてもらった覚えがない」


「まあ、そうだな」


 ゾーイはことわりもなく、ヒューの隣に腰を下ろしてきた。くたびれたTシャツの襟ぐりから一瞬覗いた胸元が、夜なのに眩しかった。


 ゾーイは何も言わず、体育座りした膝に視線を落としている。


「で、何の用なんだよ」


 ヒューはたまらず、もう一度同じことを聞いた。この女が静かにしているというのも、どこか気持ちが悪い。


 ゾーイはヒューの方に視線をやって、しかしすぐに逸らしてしまう。そうしたかと思うとまたちらりとヒューを見て、視線を落とし、散々焦らして迷う素振りを見せたあと、蚊の鳴くような声で呟いた。


「…………しい」


「は?なんだ、聞こえねぇよ」


「訓練をつけて欲しいって言ってんだよ、馬鹿が!」


 なぜそこでキレる。ゾーイは先ほどまでのしおらしさはどこへやら、腕組みをしてふんぞり返った。


「アタシはまだ人の体の使い方がよく分からないからな!お前に訓練をつけて欲しいんだよ!」


 人にものを頼む態度ではないが、ゾーイは言い切った。その満足感からか、ふんと大きく鼻息を吐き出している。


 ヒューは唖然とするあまり、しばし言葉を失った。ゾーイの態度にもその用件にも、意表を突かれていた。


「……駄目なのか?」


 ゾーイは挑むような腕組みをしたまま尋ねてくるが、ケモ耳は素直に心中の不安を表し、うなだれていた。


「いや、駄目ってわけじゃないが……」


 ヒューは考える。これはチャンスなのではないか?


「一応聞いておくが、訓練っていうと、なんのだ?」


「体の動かし方。特に戦いの」


 確実にチャンスだ。最もな理由をつけて女と組み合える。


 ヒューは込み上げてくる笑みを懸命に押し堪える。下心に気付かれたら、ゾーイが気を変えるかもしれない。


 咳ばらいを一つする。


「それはいい心がけだな。協力するよ」


「本当か?」


 ゾーイはぱっと顔を輝かせて笑った。普段の凶悪さからは想像もつかないほど可愛らしい笑顔だった。




 野を渡る夏の夜風が火照った体を冷ましていく。男と女の荒い息遣いに、虫の音がやさしくかぶさって情緒を加えている。


「やっぱり、全然、駄目だ」


 繰り出す攻撃をすべて難なくヒューに受け止められ、ゾーイは自信を失ったようだった。


 草原に手と足を広げて仰向けに寝転がるゾーイの傍らで、ヒューは半身を起こした体勢で乱れた息を整える。


「いや、お前は呑み込みが早いよ」


「お世辞なんか言うな」


「お世辞じゃねぇよ。本当だ。お前はいい戦士になるさ」


 ヒューは周囲が暗いのをいいことに、無遠慮なほどじぃっと凹凸のある体を眺めていた。白く薄いTシャツに覆われた山と谷が呼吸音に合わせて激しく上下する。組み合ったときの感覚からいって、ゾーイはノーブラだ。双丘そうきゅうの頂に目を凝らせば、ツンと立った小さな出っ張りが見えてくる気がした。


「なんで、お前はそんなに強いんだ」


 呼吸が整ってきた頃合いで、ゾーイがまぶたの上に右手を置いて尋ねてきた。


 ゾーイの口にした強さとは内面のものではなく、単純な戦闘力のことだろう。


「小さい頃からずっと戦ってきたからだろ」


 ヒューは一時いっときだけゾーイの体から目を離して、遠くにある街の明かりをぼんやりと見やった。


「小さい頃から?」


「オレは剣闘士だったからな」


 ゾーイに視線を戻せば、ゾーイは片肘を突いて体を起こしてこちらを向いていた。どんな顔をしているかは暗いので分からない。


 ダイア大陸の西にゴールドタウンという名の都市がある。東の端にあるエンプレスシティとは、ちょうど対の位置にある大きな町だ。


 ユニオン第二の都市とも呼ばれるが、エンプレスシティとはおもむきが異なる。政治と経済の中心地である首都に対し、ゴールドタウンはとことんまで娯楽を追求した町なのだ。


「オレは小さい頃に人狩りに攫われて、ゴールドタウンに連れて行かれた」


 この話を誰かにするのは久しぶりだった。嫌なことを思い出すのに、不思議と今は嫌な気持ちにならなかった。


 ゴールドタウンのランドマークの一つが闘技場だ。そこでは毎日のように人と怪物が戦わされ、娯楽と金儲けのために命を落としていく。


「あそこで生きてれば、嫌でも強くなる」


 生き残られればの話だ。ヒューは運が良かったのだ。


 ゾーイはうんともすんとも言わず、黙ってしまった。


 ヒューはゾーイの体の観察を再開する。角度が変わってしまったので、胸の頂点はぼやけてしまったが、美しい体のラインは薄闇の中に白く浮いて見える。


「だから、お前は強いんだな」


 アルトの声が虫の声に交じる。涼やかな虫の音と同じく、こだわりもなく後ろに流れていくようだった。


「だけどな、アタシはお前に一発くれてやるくらいはできるぞ」


「何言ってんだ。できるわけないだろ」


 先ほどの取っ組み合いを覚えていないのか。ゾーイはヒューに一撃も与えることが出来なかった。


「できるさ」


「できない」


「できる」


「できない」


 問答の間に、ゾーイはじりじりと距離を詰めてきている。


「できるさ」


 ゾーイは両手でTシャツの裾を思い切りめくり上げた。


 乳房。生の乳房。


 瞳孔が意識することもなく拡大していく。

 

 二つの丘がヒューの前に惜しげもなくさらされていた。大きくも小さくもなく。ふっくらとした流線型を緩やかな三角に描いて。やがて先の尖った乳首に集約して。


「がはっ」


 ヒューは顔が割れたかと思った。


 ゾーイがヒューの顎の関節部分に手加減のない水平チョップをお見舞いしたのだった。


「ほらな。一発くらわされただろ」


 ゾーイは満足そうに言うと、Tシャツの裾を元の位置に戻してしまった。


「だな」


 ヒューは歯が痛むようなポーズをとりながら、同意するしかなかった。

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