W 義賊と正義

 確信があったわけではなかった。


 海賊にしろ山賊にしろ、平地を根城にする盗賊団であろうと、賊集団というものは、何かしら〈トリニティアイズ〉に対して思うところがあるものだ。


 ユニオン一のギャング集団である〈トリニティアイズ〉は、すべてのギャング的集団のスターというわけではない。

 頂点として憧れを抱いている者もいるだろうが、疎ましさを感じている者が大半だ。

 現に〈黒豹ブラックパンサー〉だって〈トリニティアイズ〉を好ましく思っていなかった。


〈トリニティアイズ〉は政治体制に組み込まれた賊集団だ。

 もとは統治集団であるユニオンに弓引く者たちの集まりだったが、いかんせん巨大になりすぎた。

 ユニオンとの妥協点を探るうち、癒着して互いに真っ黒になり果てた集団だ。


 オレンジ色のモヒカン頭のトカゲビーティ、ディランが率いる海賊団〈海神わだつみ〉は義賊集団であるという。

 なんらかの義侠心を掲げる以上、体制に不満を持っているのは確かだろう。

 だとしたら〈トリニティアイズ〉を快くは思っていないはず。


 果たして、ウォードの推測は当たっていた。


 海賊船の船内は空気がよどんでいた。

 湿気を多く含んだ空気にはカビの臭いが満ちている。

 木製の床も壁も真っ黒に変色し、なるほど、こんな中で過ごしていれば病気になるだろうと納得できる環境の悪さだった。


 窓のない船室に押し込められ、キャプテンのディランにこれまでの経緯を説明した。

 天井からぶら下がった明かりは光度が足りず、波に揺られるたびに頼りなく揺れた。


「トリニティ・アイズの野郎どもがハーフをねぇ」


 一通りの説明を聞いて、ディランは胡坐の姿勢から片膝を立てて呟いた。


「与太話ってわけでもなさそうだな」


 うろこ状の皮膚がてらてらと照らされ、言い知れない迫力を醸し出している。


 ウォードは自分の父がユニオン委員であり、かつハーフ誘拐に関わっているかもしれないことは話さなかった。

 義賊を自認するとはいえ、海賊相手にそんなことを話すべきではない。

 自分の人質としての価値を高めることになる。自殺行為だ。


 船体が傾いでぎしぎしと音が鳴る。

 現在、船は航行していない。船の墓場付近に係留している状態だ。


「で、あんたらは何を望むんだ?」


 ディランがウォードにまっすぐ視線を向けた。

 この船に乗り込んでからは初めてのことだった。


 要望を問われるとは思っていなかったので、ウォードはいささか驚いた。


「大陸まで送り届けて欲しかった」


「欲しかった、……だが?」


 海賊のキャプテンはこちらの思惑を悟っているようだ。

 ウォードはまっすぐにディランの目を見返す。


「誘拐されたハーフの救出に手を貸してほしい」


 ディランは口元だけに笑みを浮かべる。


「義賊わだつみの力を借りたいと」


「ああ。力を貸してくれ」


 ディランの目許にぎゅっと皺が寄った。表情に険が宿った。

 ばしんと一発、拳を膝に落とす。


「トリニティ・アイズは好かねぇ。

 奴らが誘拐したガキを横取りできたら、あいつらの面目も丸つぶれだろうな」


「よ、横取り?それは駄目だ」


 思ってもみない方向に話が進みそうで、ウォードは慌てて言葉を挟んだ。


「誘拐された子供は親元に返してやって欲しい」


「ああ?そりゃそうだ。俺たちにはそのガキに用はねぇ。

 親元なりどこなり好きに帰るがいいさ」


 ウォードはほっと胸を撫でおろす。

 誘拐元が〈トリニティアイズ〉から〈海神わだつみ〉に変わったところで意味はない。

 ウォードたちの目的は救出なのだ。


「しかし恐らく、誘拐されたハーフの子供は今、遊覧船を襲った海賊の下にいるだろう。

 なぜその子供だけ連れ去られ、一緒にいた三つ目の覆面は殺されたのかは分からないが……」


 ウォードは状況を改めて把握するために口にしている。


 ここに至る経過はやや複雑で不可解だ。

 ハーフの少女ジェマ・アルビオルは〈トリニティアイズ〉の構成員に誘拐され、遊覧船ゴッデス号に乗せられた。

 そのゴッデス号が海賊に襲われ、構成員は殺されたようだが、ジェマの姿はもちろん殺された形跡も船にはなかった。

 だとしたら、ジェマ・アルビオルは海賊に連れ去られたと考えるのが妥当だが、その理由が思い当たらない。


「それはなんとなくだが分かる」


 しかしディランは自信ありげに言い切った。


「俺がさっき言ったのと同じ理由だろうさ。

 トリニティ・アイズが好かねぇから、獲物を横取りしようとした。

 そんなとこだろ」


「そうなんだろうか」


 ウォードは顎に手を当てて首をひねった。

 そんな単純な話なのだろうか。


 ディランは胡坐の体勢に戻ると、両方の膝を両手で同時にばしんと打ってから立ち上がった。


「とにかく、まずは遊覧船を襲った海賊探しだな」


「当てがあるような言い方だな」


 ヒューが面白くもなさそうな顔をしながらディランを斜めに見上げる。


「当てならあるさ。海賊の情報網を舐めるなよ」


 そう言い残し、ディランは部屋を出て行こうとする。


「ねぇ」


 そこで、エルバがキャプテンを呼び止めた。

 ここに来るまで、一言も話さなかったエルバが、硬い表情でディランに睨むような視線を据えている。


 嫌な予感がした。


「あなたたちは義賊なんでしょう」


「そうだが、なんだ?」


 エルバから発せられるエネルギーを敏感に察して、振り返ったディランの声にも剣呑なものが混じっている。


 エルバは覚悟を定めるようにくっと顎を引いた。


「義賊だっていうのに、どうして私たちを殺して天印を奪おうとしたの。

 それって悪いことだよ」


 ウォードは慌てた。

 せっかく丸く収まったものを掻き回すような真似をどうしてしてくれるのだ。


 しかし、ディランは落ち着いていた。

 落ち着いて真正面からエルバに向き合った。


「あんたたちが一般市民だからだよ。幸せに生きる一般市民だからだ」


 相手が少女だという侮りがあるのか。

 〈黒豹ブラックパンサー〉に見せたような憤りはまったくなかった。


「俺たちが救済する奴ってのは、今日の暮らしにも困るような奴だ。

 どうしようもない奴らだよ。誰かから奪って生きるしかない、そういう奴らだ。

 今日生きる為に、あんたらみたいな一般市民から奪うんだ。

 あんたらは、奪われる側なんだよ」


 ディランは滔々と、どこか恍惚ささえ浮かんだ表情で語り続ける。


「こんな世の中でそれなりに幸せに生きられる奴ってのはな、ユニオンの加護を受けれてる奴らだ。

 どれだけユニオンに対して不平不満を持ってようと、ユニオンのおかげで今日飯が食えて、明日の命も保証されてるのさ。

 そんな奴らは所詮、奪われる側なんだ」


 そんな理論は間違っていると思うのに、ウォードは何も言えなかった。


「俺たちはユニオンに弓引く義賊だ。

 今日死にそうな奴のために、俺たちが奪う。

 ユニオンの加護を受けてのうのうと生きる奴から奪う。

 それの何が悪いことなんだ。

 皆、今日生きる為に必死なんだ」


「生きる為に必死なのはみんな同じだよ」


 エルバの声は震えていた。


「同じだと?どこが同じだ?」


 ディランは気色ばんだ様子で壁を殴った。


「お前は飢えた子のために自分の血を与える親を見たことがあるか?

 その親が次の日に、その子供を売る光景を見たことがあるか?

 飢えて死ぬ人間は?荒んだ子供の目は?

 施しを与えた人間に素っ裸になるまでたかられたことがあるか?

 ないだろうが!」


 エルバがびくっと身を竦ませた。

 その目が潤んでいるように見えるのは目の錯覚か。


「とにかく、俺たちはユニオンを潰す」


 ディランはエルバから視線を外すと、憤然とした態度で部屋を出て行った。


 エルバは瞬きもせず、ディランが立っていた場所に視線を据えていた。

 ぐっと閉じられた口の下、顎にはしわが寄り、込み上げるものを堪えるように小刻みに震えている。


 そんなエルバに既視感を覚えて、ウォードは目を細めた。


 盗むのは、悪いことだよ――


 そんな声が蘇ってくる。少女の声。アリスの声だ。


黒豹ブラックパンサー〉として活動すると告げたとき、アリスは言った。

 盗むのは悪いことだよ。だからやっちゃ駄目。


 少女がふりかざす真っ当な正義は、なんの穢れもなく、正しかった。


 あのときウォードはなんと言ってアリスを説得したのだったか。

 清濁併せ呑むことも生きるには必要だとか、説いたのだったか。


 結局アリスは誰も殺さないことを条件に〈黒豹ブラックパンサー〉の活動を認めた。

 その代わり、私は一切関わらないから、という頑なさも見せたが、元からアリスに関与させるつもりはなかった。


 さっきウォードはディランの語る理論を間違っていると思った。

 でも、何も言えなかった。

 それは〈黒豹ブラックパンサー〉も同じだったからなのだ。同じ理屈で奪っていたのだ。

 だからディランを間違っていると詰る資格はなかったのだ。

 ウォードはそんなことに気付いてしまった。


「何」


 ぶすくれた表情でエルバがウォードを睨んでいた。

 じっと見られていることに気付いたらしい。


「いや、なんでもないよ」


 ウォードは込み上げてくる感情がなんなのか分からなかった。

 感傷か、愛情か、懐古なのか。


 エルバはおさげが跳ねる勢いでぷいとそっぽを向いてしまった。

 そんな可愛げのない仕草も、ウォードには好ましいものに思えて、つい頬が緩んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る