W 海賊との交渉

 運がいい、と海賊のキャプテンを名乗る男は、口元に歪んだ笑みを浮かべた。


 六人全員が戦人。しかもそのうち一人は医者。俺たちは運がいい、と。


 ウォードが踏んだ通り、やはり交渉の余地はあるようだった。


 海賊は三隻の船でやって来た。

 こちらの存在には気付いていたようで、そのうちの一隻が接舷し、十ほどの人数で乗り込んできた。


 キャプテンだという男は黄みがかったうろこ状の肌を持つ、トカゲのビーティだった。

 明るいオレンジ色の奇抜なモヒカンヘアは黄色い肌にしっくり馴染んでいる。

 ゾーイのものより暗い金色の瞳が、ウォードたち一人一人を品定めするようにじっくりとなめるように観察していた。


「こき使ってくれて構わない」


 先制攻撃とばかりにウォードは自分を売り込んだ。


「治療が必要な人間もいるだろう。

 大陸まで連れて行ってくれるなら馬車馬のように働こう。

 できたら、食べ物と寝る場所も与えてくれたら嬉しく思う」


 医者としての知識と技術を買ってもらうことで、ウォードは状況を切り抜けようとしていた。


 船の上で衛生的な環境を維持するのは容易ではない。

 長く航海をしていれば体調を崩す者も出てくる。

 もっぱら荒事をこなす海賊ともなればなおさらだ。


 モヒカンのキャプテンは腕を組んで、考えるように目を伏せた。

 ウォードはここぞとばかりに畳みかける。


「もちろん、雑用もいくらでもしよう。

 ここにいる全員が戦人だとは、さっき言った通りだから、力はあるし荷運びでもなんでも。

 煮炊きでも掃除でも、なんでもするから、大陸まで連れて行ってくれ。頼む」


 下げた頭でちらりと海賊のキャプテンを窺う。

 キャプテンは幅の広い肩を震わせ始めた。


 そして、顔を上向けて呵々大笑した。


「はははは、あんたは世間知らずの坊ちゃんかよ」


 すごむように一歩距離を詰めてくる。


「そんなことは当たり前なんだよ。

 捕らわれた奴が捕らえた側の海賊に、従ってなんでもするってのは、当然のことだろうが」


 キャプテンは同意を求めるように、取り巻きをちらと振り返った。

 取り巻きたちは全てがビーティだ。

 程度の差こそあれ、みなが顔を歪めて下品に笑っている。


「あんたは医者なんだろ。

 俺たちの仲間を治療する。当然だ。

 俺たちの中には怪我してる奴もいりゃ、病人もいるからな。

 それが医者の本分だ。

 だけど、あとの奴らは何をする?

 何ができる?荷運び?煮炊き?掃除か?」


 海賊たちは声を揃えて、ぎゃははとわざとらしく笑った。


「そんなもん足りてんだよ。荷物なんかいらねぇんだ。

 俺がさっき言ったな、六人全員が戦人で運がいいってのはな、天印が六つもあって運がいいって意味だ。

 器の方はいらねぇんだよ」


 相手の言っている意味が分からず、ウォードはキャプテンの金色の瞳を見つめていた。

 残忍な光の宿った、暗い色をぎらぎら灯した邪悪な目だ。


「俺たちの仲間の中には天印を宿していない者もいる。

 あんたらに死んでもらって、天印をいただけば、それだけで戦人が六人増えるじゃねぇか」


 ああ、そうか。ウォードはようやく相手の意図を理解した。


 海賊はウォードたちを大陸に送り届ける気など毛頭ないのだ。

 運がいいと言ったのは、天印が六つも手に入るからに過ぎない。

 大方、医者であるウォードも船員の治療が終わり次第、殺す腹づもりなのだろう。


「キャプテン。女三人は殺さないでいようぜぃ」


「そうそう、そろそろ素人の女のご奉仕がほしいところだからよぅ」


 下卑た歓声が海賊たちから上がる。ウォードはぐっと拳を握りしめた。


 まだだ。まだ交渉の余地はある。だから、黙っていてくれ、頼む。


「口を閉じな!このドさんぴんどもが!」


 後ろからあがった威勢のいい女の声に、ウォードは頭を抱えたくなった。


 口の悪い気の短い狼のビーティが、鼻息荒くウォードの隣に並び立った。


「なんだ、このアマ!」


「口悪ぃぞ!」


「黙れっつってんだろ!三下の雑魚野郎!」


 いきりたった女のあまりの口の悪さに野次を飛ばす取り巻き連中も閉口したようだ。

 それでもゾーイは鎮まらず、キャプテンに串刺す勢いで指をつきつけた。


「やい、このデッキブラシ頭!

 さっきから黙って聞いてりゃ、好き勝手なこと言いやがって!

 その頭でトイレの床でも掃除してやがれ!」


 デッキブラシ頭と罵られたキャプテンは、はじめきょとんとしていたが、みるみる満面朱を注いだ。


「トイレの床だとぉ!俺は海賊だぞ!せめて甲板掃除にしろ!」


 キャプテンは床を踏み抜く勢いで足を踏み鳴らし、怒りをあらわにした。


 今にもつかみ合いの喧嘩が始まりそうだった。

 そうなったら場を収められるだろうか、ちらりとウォードが考えていたところに、聞き慣れた笑い声がした。


 ヒューが声をたてて、さらには手すらたたいて、お笑い番組でも観ているかのように笑っている。

 火に油を注いでいく。


「なんだ。トイレ掃除は嫌だが、甲板掃除ならいいのか。

 だけどお前みたいにでかいだけで扱いにくいデッキブラシ、使ってくれる人もいないんじゃないのか?」


 ウォードは本当に頭を抱えた。


「な、舐めてんのか、コラぁ!」


 キャプテンの怒りの叫びに応えて、取り巻きたちもそれぞれに怒声を上げる。


「あ、アニキ、こいつ!」


 その中の一人がヒューを指さした。

 キャプテンがかぶりつく勢いで振り返る。


「アニキじゃねぇ!キャプテンだ!何度言ったら覚えんだ!」


「きゃ、キャプテン、こいつ、ヒューだ!ヒュー・オルティスだ!」


「ヒュー?誰だぁ、そいつ?」


 取り巻きの何人かはヒューの名前に聞き覚えがあるらしい。顔色が変わった。


「ブラックパンサーだよ、アニキ」


「アニキじゃねぇ!キャプテンと呼べ!……ん?ブラックパンサー?」


 キャプテンのトカゲビーティがまじまじとヒューの顔を眺める。


「……おま、お前っ、ブラックパンサーか!」


「なんだ、お前らみたいな田舎者でも知ってるんだな」


 この期に及んでも、ヒューは相手を挑発するような台詞を口にした。


「おのれ、ブラックパンサー!」


 キャプテンは恨みのこもった声を発してヒューの胸倉を掴み上げると、そのまま操舵室の外壁に打ち付けた。

 めきっと音がして、ヒューの背後の壁がへこんだ。

 キャプテンの力は相当強いらしく、ヒューでも逃れられないらしい。


「貴様、貴様のせいで俺たちのなぁ!」


 怒りと共に、キャプテンの腕に力がこもっていく。


「俺たち義賊の名誉は丸つぶれだ!どうしてくれるんだ、ああ?」


「ま、待ってくれ!どういうことだ。落ち着いてくれ!」


 ウォードは急いで駆け寄ってキャプテンをなだめにかかる。

 ヒューの喉はキャプテンの拳にぎりぎりと締め付けられていた。

 苦しげに顔を赤らめ、口からは呻きが漏れている。


「こいつはブラックパンサーなんだろうが!」


「たしかにそうだ。それが一体あなたたちと何の関係がある」


 キャプテンは手の力を緩めようとはしなかった。

 ヒューはもがいているが、力強い拘束は綻びもみせないようだ。


「こいつが義賊だなんだといってちやほやされていい気になって、そのくせ女を何人も殺したからな……」


 キャプテンは怒りの滾る目をウォードに向けた。


「俺たちのような義賊がこれまで積み上げてきた信頼が、全部ぶっ壊されたんだよ!

 今まで俺たちを英雄のように見てくれてた奴らが、俺たちを恐怖と蔑みの目で見てくる!

 義賊の称号は汚された!

 こいつのせいだ、全部、こいつの!」


「待ってくれ」


 ウォードはヒューを締め付け続けるキャプテンの腕にそっと手を伸ばした。


「それなら、俺も責めを負うべきだ。

 ブラックパンサーはヒュー一人じゃない。

 俺もブラックパンサーの一員だ」


「何?」


 驚いた様子のキャプテンは、つい手の力を緩めたらしい。

 ヒューが体をねじって拘束を脱し、その場に崩れ落ちてげほげほと咳をする。


「ヒューはただの実行役だった。指示を出していたのは俺だ。

 だから俺の方が、よりブラックパンサーの思想に近いといえるだろう」


「貴様!」


 キャプテンはウォードの思惑に沿って、怒りの矛先を変えてくれた。


「貴様のせいかぁ!」


 太い腕がウォードの襟ぐりを掴んでくる。

 ウォードの背後に壁はなかったので、後ろに転がりそうになった。

 なんとか堪えて、無様な格好をみせることは避けた。

 襟が狭まって息が苦しい。

 トカゲのビーティは力が強いという根拠のない学説が真実に思えるほど、キャプテンは力が強かった。


「だが、俺たちは、彼女たちを、殺していない」


 締まる喉からなんとか声を絞り出した。

 よく聞こえなかったのか、キャプテンが「なんだってぇ?」と強い口調で聞き返してくる。


「俺たちは、彼女たちを、殺していない。警察が、話を、でっちあげたんだ」


「なんだって、警察がそんなこと」


「トリニティ・アイズが、関わっているからだ」


 ウォードを戒めていた拘束が急になくなった。

 膝から力が抜けそうになるのを、上半身に力を込めて堪える。


「トリニティ・アイズ」


 キャプテンはそう呟いて、嫌なものでも見たように額に皺を寄せた。


「最初からきちんと説明するから、話を聞いてもらえないだろうか」


 ウォードは乱れた襟元を直すこともせず、キャプテンに頼んだ。

 太い腕を組んで虚空を睨むようにしていたキャプテンは、さほど考える時間をおかず、顎で海賊船を指し示した。


「ついてきな」

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