C 遭難生活③

 遭難生活、五日目。

 暇だった。

 これが例えば、無人島でのサバイバルともなれば、生きるために必死で、暇などなかっただろう。


 船の墓場には大量の食糧があった。

 水はもちろん、保存の利く缶詰や乾物が漂着してきたゴッデス号を初め、他の船にも一通り備えられていた。

 当分食べ物には苦労しそうにない。

 近代の船は設備も整っていて、シャワーは浴びられるし、寝る場所にも困らなかった。

 着るものも、女物も男物も簡単に入手できそうだ。

 衣食住は遭難していることを忘れさせるほど充実している。


 敵は日差しと、思い出したように襲いかかってくる怪物モンスターたちだった。

 他のモンスターの例にもれず、アンデッドも夜に活発になるようだ。

 そういったモンスターも、戦闘を自らの役目と自任するヒューや、敵を遠くから狙撃可能なウォード、やけに元気なヴィック、闘争心の熱いゾーイ、やる気満々のエルバが倒してしまうため、積極性に欠けるクロエの出番はなかった。


 退屈を紛らすためにトランプやら持ち出してみるのだが、頭を使うゲームはウォードが強いし、瞬発力が試されるゲームはヒューが強い。

 負けがかさむとゾーイはカードを投げるし、ヴィックはすぐに飽きてしまう。

 そうして騒いでいるとモンスターが寄ってくることに気付くと、ゾーイとヴィックはわざと大きな声を出すようになった。

 エルバががみがみ怒っても聞く気はなさそうだ。


 夜になるとヒューは直球勝負で女性をベッドに誘い、昨夜はとうとうゾーイに殴られた。

 ウォードは何を言うわけでもなく、微笑すら浮かべてそれを眺めている。

 ヒューのセクハラ行為には寛容な医師なのだった。


 困難に直面しても活力を失わない人々は、クロエとは真逆の性質を持っているようで眩しかった。

 クロエのような者ばかりだったら、遭難一日目を乗り越えられたかどうかも怪しい。

 不安に押し潰されんばかりだったクロエは、彼らのおかげで今日まで生き延びられたのだろう。


 日差しを避けるために逃げ込んだ操舵室から、クロエは甲板を眺め渡す。


 どこからか取ってきたデッキチェアに寝そべって陽光をさんさんと浴びるヒューは、サングラスをかけて、これまたどこからか取ってきたアロハシャツを羽織っていた。

 その隣にはヴィックが並んで、憧れの〈黒豹ブラックパンサー〉とそっくりそのまま同じ格好をしている。


 エルバとゾーイは、ヴィックがヒューのあとを子分のようについて回るのが気に入らないらしい。

 その気持ちはクロエにも分かるような気がした。

 最近では珍しいほどに純粋さを残す少年ヴィックがヒューのようなすれっからしになってしまったら、世界にとって損失でしかないだろう。

 

 操舵室にいるクロエからはもう一人、麦わら帽子を被ったウォードの姿も見ることができる。

 ヒューとヴィックの近くで釣り用の脚の短い椅子に座り、デッキから釣り糸を垂らしていた。

 首の曲がり具合からして確実に寝ている。

 悪い夢などみていなければいいのだが。


 その他、エルバとゾーイがどこにいるかは分からなかった。

 ここでの生活に慣れてきた最近は、皆自由に空いた時間を過ごしている。

 でもきっとたぶん、二人とも魚を獲りにいったのだ。

 缶詰や乾物にも飽きてきたと、皆が朝方、口を揃えていたから。


 操舵室に掛かる色時計は昼間を示すアプリコット。

 遭難していることなど忘れるくらいに長閑だった。

 このままここで過ごすことになったらどうしようと心配していたのが嘘のようだ。

 住めば都。むしろ陸での生活よりいいかもしれない。

 誰に追われることもなく、侵害されることもなく、日々をゆったりと過ごしていけるのだから。


 だけどそんな風に思っているのはクロエだけだろう。


 エルバはジェマという少女を救いたがっている。

 早くここから出なきゃいけないと毎日のように口にしている。

 遊覧船ゴッデス号から見つかった手掛かりが、その決意に拍車をかけたようだ。

 ヴィックとゾーイもエルバに助力するつもりだろう。


 ウォードとヒューの二人からは心の奥底に燃える闘争心を感じる。

 二人とも口にはしないが、アリスを殺した者たちへの報復を考えているのだろう。

 ウォードにとってそれは父親が相手かもしれない。

 南部へ逃げることを決意したのはウォードだが、きっと態勢を整えるための時間稼ぎに過ぎなかったのだ。


 そうでなければクロエたち三人は、今ここにいないはずだった。

 三つ目の覆面を避けて生き延びようとすれば、三つ目の覆面に連れ去られる少女を救おうなどとは思わないはずだ。


 三つ目の覆面を追った先で、ウォードはエルバに言った。

「俺たちは殺人鬼と言われるようなことはしていない」


 だけどクロエは見てきたのだった。

 ウォードとヒューが〈トリニティアイズ〉の構成員を躊躇いなく屠るところを。

 立ち塞がる覆面の頭を撃ち抜き、首を裂いて、血に染まった野を共に駆けてきたのだった。


 そして、ウォードとヒューを援護する形で巫術ふじゅつを使ったクロエも、もうすでに同罪なのだった。


 結局のところ、少なくともウォードは〈トリニティアイズ〉のメンバーを人とは思っていないのだ。

 彼らをいくら殺そうと、自分たちは殺人鬼ではないと確信してしまえるほどに。


 報復であって殺人ではないと。

 復讐であって道理から外れてなどいないと。


 その感覚は狂気に近いものかもしれない。


 だけどクロエは二人を責める気持ちにはなれなかった。

 嫌悪するつもりもなかった。


 ただ心配なだけだった。


黒豹ブラックパンサー〉はクロエのように泣き寝入りをするつもりなどないのだ。


 復讐は何を生み出すのか。

 

 人類への命題のように突き付けられたその問いに、正確に答えられる者などいはしない。


 名誉のため。愛する者のため。

 失ったものを埋めるように人は復讐に駆られるが、心の隙間は埋まるはずがない。

 自分を傷つけ、他者を傷つけ、双方が血まみれになって、それでも闘争が終わらないこともある。


 その先にあるものは何か。

 得られるものはなんなのか。


 クロエは傷つきたくなかった。

 心の傷はそのままに、泣いて暮らして、時間が癒してくれるのを待つだけだ。

 そうして今までだって生きてきた。


 ウォードとヒューの二人は、そうして生きていこうとは思えないのか。

 そうして生きていくのでは駄目なのか。


 二人が傷つくことすら、すでにクロエは嫌なのだった。


 このままこの海の真ん中、船の上で波に揺られながら、一生を送ってもいいと思えるくらいに。


 だけどやはり、そういうわけにはいかないのだった。


 船影が見えたとき、クロエは来るべき時がきたのだと察した。

 もしかしたらまた漂着船かもしれないとは考えなかった。

 きっとここからまた歯車が動き出すのだ。


 クロエがいくら望もうと、ほかの五人の運命を、神はこんな場所に縛ったりしない。

 正義が囁くままに他者を助け、終わりのない闘争に身を置こうとも思うがままに進めと命じているのだった。


 操舵室を出たクロエは船尾側の甲板にゾーイの姿を見つけた。

 手すりから身を乗り出し、海面へ目を落としている。

 たぶんゾーイの視線の先では、エルバが神獣のミストと共に魚を獲っているのだろう。


「ゾーイ!船が来た!」


 呼びかけると、ゾーイは金色の瞳をクロエが指す方へ向けた。

 その目が細められ、次いで丸くなり、笑みを浮かべてクロエに向けられた。


「やったな!これでここからおさらばだ!」


 ゾーイがこんな笑顔をクロエに向けたことは今まで一度もなかった。

 ヴィックとエルバに対しては寛大で愛情深いゾーイだが、そのほかの者には刺々しく愛想もなければ容赦もない。

 それだけに人の笑顔に驚き顔で応じてしまったクロエは、そのツケをすぐに払わされることになった。


「何、ぼーっと突っ立ってんだ。早く野郎どもに伝えに行けよ」


 温かさなど微塵もない冷たい声に追い立てられるように、クロエは船首方向へと向かった。


 ゾーイと親しくなれるチャンスだったかもしれないものを、不意にしてしまった。

 どの人生の場面においても人間関係は人が頭を悩ます問題だ。

 とりわけ、馴染みでない人の前では緊張して何を言えばいいのか分からなくなるクロエにとってはより切実。


 落ち込みながらも、クロエは船首側の甲板へ向かって走った。


「ウォード!」


 近づいてから呼びかけると、ウォードははっとしたように顔を上げた。

 麦わら帽子が卵色の頭からずり落ちて、甲板にふわりと着地する。


「船が来たよ」


 ウォードはゾーイと同じようにクロエの指の先を追って目を細めた。

 寝起きで頭がぼんやりしているのか、船を確認するのにゾーイのときよりも時間がかかっている。


「ヒュー、ヴィック!船が来たよ!」


 クロエが振り返ると、ヒューはすでにデッキチェアから降りてこちらに近づいてきていた。

 ヴィックは陽光降り注ぐ中で気持ちよさそうにぐっすり眠ったままだ。


 ウォードが掠れた声で呟く。


「船だ……」


「船だな」


 ヒューはすぐに船を認めた。

 横になっていただけで、寝ていたわけではなかったらしい。


 ばたばたと甲板を駆けてくる音がした。


「なぁ、こっちに向かって来てるか?」


 ゾーイが興奮を隠せない様子で尋ねると、ヒューが頷いた。


「そうみたいだな。

 帆が付いてるようだが、たたんでる。海流に乗ってるんだろう」


「ねえ、ねえねえ。後ろにも何隻か続いてるよ!」


 またばたばたと甲板を駆ける音がして、エルバが水の滴る水着姿で現れた。

 用意のいいことに双眼鏡を手にしている。操舵室にあったものだろう。


「なんだって?見せてみろ」


 ゾーイがエルバから双眼鏡を受け取って覗き込む。


「一、二ぃ、三。三隻あるぞ」


「おい、こっちにも貸せ」


「あ、おい!」


 ヒューがゾーイから双眼鏡を奪い取った。


「アタシ、まだちゃんと見てねぇぞ」


「やっぱりそうきたか。まずいな。ウォード」


 ゾーイの苦情を無視して、ヒューはウォードに双眼鏡を手渡した。


「何がまずいってんだ。助けは多い方がいいだろが」


 ヒューの深刻そうな表情に恐れを抱くこともないゾーイの考えは単純だ。

 ヒューは視線だけをゾーイに落として説明する。


「いいか。徒党を組んでる船ってのは大体、海賊だ。

 あいつらはでかすぎる船は使わない。

 目立つし、金がかかるし、小回りが利かないからな。

 大抵は、エンジン付きだが、帆もついててスピードが出る中型船を好む。

 だけど中型じゃ、大した人数が乗らないだろ。

 乗員はもちろん、略奪したものや人質が乗りきらないこともある。

 だから何隻かで固まって活動するんだ。

 その方がターゲットの船を囲んで逃げ道を塞ぐこともできるしな」


 ヒューの話を聞くうちに、エルバとゾーイの顔からみるみる色が失われていった。

 それでもゾーイは希望を捨てきれないらしく、ヒューに対して反論する。


「だけど、海賊船なら髑髏マークの旗を掲げてるもんじゃないのか?」


「いつの時代の海賊の話だ。

 そうやって、俺たちは海賊ですって宣伝してどうする?

 相手に逃げられるだろうが」


「ああ。海賊だな」


 双眼鏡を覗きながらウォードが呟いた。

 ため息を一つ落として、双眼鏡を下ろす。


「予想はしてたよ。

 こんなところまで来る船なんて、海賊くらいのものだ。

 貨物船も客船もこんな航路を外れた場所に来ないだろうし。

 漁船だってこんな海域、近づきたくないだろう」


「じゃあ、どうするの?」


 エルバの声は震えていた。

 海賊によって海に投げ込まれたことが、恐怖の体験として心のうちに残っているのだろう。


 ウォードは泰然と海原に視線を据えたまま答えた。


「交渉する」


 ネゴシエーション。平和的一般的解決論。


 海賊相手に通用するのか。クロエは足元が崩れていくような錯覚を覚えた。

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