C 遭難生活②

 遭難生活、二日目。

 未明の水平線上に船影が現れた。

 助けがきたと期待を込めて、発煙筒を打った。


 朝方、船の墓場に到着した船はかつてクロエたちが乗った遊覧船、ゴッデス号だった。


 人の気配は感じられず、舵を切って辿り着いたというよりは流れに任せて漂着したという気配が濃厚だった。


 六人で話し合った結果、全員で乗り込んでみることにした。

 海賊たちが金になりそうな人やものを略奪していったあとだろうが、もしかしたら生き残りがいるかもしれない。


 二人一組で船内を探索することになり、クロエはウォードと組むことになった。

 何かにつけてクロエはウォードと組むことが多いが、組み合わせを指示するのはウォード自身である。

 それをクロエは前向きに受け取れなかった。

 自分がお荷物だから、ウォードがその負担を背負おうとしているのではないか。

 後ろ向きにばかり考えて勝手に落ち込んでいた。


 船内には暴力の痕跡が生々しく残っていた。

 クロエの鼻でも捉えられるほど濃い血の臭いがぷんと漂っている。

 空調の止まった内部の空気はもわっとしていて体にまとわりつくようだった。


 あちらこちらに死体があった。

 ゴッデス号の船員。乗客。海賊の亡骸はほとんどない。

 いかに一方的な暴力であったかが見て取れる。


 ゴッデス号の全景を描いた絵画が、虚しく壁を飾る廊下には、生き物の気配などしなかった。

 恐ろしいほどの静けさ。濃厚な死のにおいに満ちている。


 クロエとウォードは客室を一部屋ずつ見て回った。

 死体があったり、なかったりした。

 どの部屋も執拗なまでに破壊しつくされている。

 人の所業とは思えず、クロエは吐き気を堪えながら進んだ。


 怪物と同じだ。慈悲だとか、躊躇だとか、そんなものはどこにもない。


 部屋を回るうちに会話はなくなっていた。

 あまりのむごさに、ウォードも気分を悪くしているらしい。


 扉を開けては陰惨な光景を目にして顔を歪めた。

 それを繰り返した。

 扉を開ける。

 胸が悪くなって吐き気を堪える。

 また扉を開ける。

 むせかえるような血の臭い。


 部屋の中心に人型の何かが立っていた。


「あー?」


 もはや生きた人の声ではなかった。振り返るなり、こちらに向かってくる。


 ばたん!ウォードが扉を閉めた。


 どん!閉まった扉に何かがぶつかる音がした。


「もうモンスター化しているのか……!」


 どん!扉が揺れる。


「クロエ。俺が扉を開けたら、巫術であいつを部屋の奥へ吹っ飛ばしてくれ。

 そこを、俺が撃ち抜く」


 クロエは頷いて、武器の短杖ワンドを具現化した。

 少し前まではただの木の枝を使っていたが、先日、武器屋でちゃんとしたものを買ってもらった。


「よし、行くぞ」


 小銃ライフルを抱えたウォードが扉を開ける。


 クロエは振り上げたワンドの先端をくるくると回した。

 左足首の内側で天印が蠢いた。

 何度も経験した感覚だが、まだ慣れない。

 狭い室内なので最大出力は出さなくてもいい。

 回数をこなすごとに精度は上がっていく。


竜巻トルネード】が人型のゾンビを捉える。

 強引に部屋の奥へと運んでいく。

 気流に揉まれて壁に叩きつけられる。

 ぐちゃっと水っぽい嫌な音。


 ゾンビの額から血がつーっと流れた。次いで喉。右胸。左胸。腹。


 きっちり五発を撃ち込んで、ウォードは用心のためだろう、ピアノを弾くような滑らかな動きで右指を一本一本銃把に触れさせた。

 ウォードはこうして、撃っても音の出ない銃を充填する。


 ウォードの巫術【岩石ストーンバレット】は大小様々な石の礫を作り出す能力だ。

 ウォードは小銃に自らの巫術で生み出した石の弾を用いる。

 一本の指で一発。五本の指で五発。

 五発までしか充填できないが、その分、弾を持ち歩く必要はない。


 ゾンビは空気に溶けるように、消え始めていた。

 どうやら核は破壊できたらしい。


 ウォードはモンスターが完全に消えるまで待って入室した。

 ベッドと机と作りつけの棚があるだけの狭い部屋だった。

 窓はなく、廊下から差す自然光しか頼りがないので視界が心許ない。


 ウォードは一直線に棚へと向かった。

 そこに置いてあった何かを手に取って、クロエを振り返る。


「これを見てくれ」


 額と両頬の三か所にリアルな目のイラストがある黒地の覆面だった。


「それ……、じゃあ……」


 クロエが驚きに目を丸くしながら呟くと、ウォードが頷いた。


「ああ。きっとさっきのアンデッドが、あの女の子をさらった奴だったんだろう」


 ウォードの視線はゾンビが服だけを残して消えていった場所に向けられている。


「あの子は、いないね」


「ああ。あの子だけ逃げたとは考えられないから、連れ去られた、かな。

 もっと徹底的に探ろう。何か出てくるかもしれない」


 クロエとウォードは部屋の中を捜索した。

 少女に繋がる何かが見つかればいい。

 〈トリニティアイズ〉の目的が分かる何かが見つかればいい。


 探ると言っても、大して物があるわけではないので、苦労はしなかった。

 クロエはベッドの下を覗き込む。

 ベッドの下に何かを隠すのは物語では常道すぎる手段だ。

 子どもであっても入り込めそうもない狭い空間にはなんの影もなかった。

 そううまくはいかない。クロエは息をついて顔を上げる。


 ウォードが扉の近くに立っていた。

 室内に長い影を作りながら、何やら薄い冊子のようなものに目を落としている。


 まさか、〈ゴッデス号の歩き方〉ではないだろう。

 クロエはウォードに近づいていった。


「何か、見つかった?」


「クロエ」


 ウォードは真剣なまなざしでクロエを真っ直ぐ射抜いてきた。

 思わず、クロエは身構える。


「君は、ハーフなのか?」


 身が竦むような衝撃。この場面でそんなことを聞かれるとは思っていなかった。


 どうしようか。隠した方がいいだろうか。打ち明けてしまってもいいだろうか。

 ハーフに偏見を抱く人は少なからずいる。


 咄嗟に損得を計算し始める頭は、思考が上滑りしていくようにうまく結果を弾き出さない。

 クロエは無意識に右手で白く長い髪を梳き始めた。

 緊張すると髪の毛に触れる癖がクロエにはある。


「ここに君のデータが載っている。

 ジェマ・アルビオルの名前も。

 そして、こちらにはアリスの名前が」


 逃げ道を塞がれた気がした。認めざるを得ない。


 力なくクロエが頷くと、ウォードは顎に手を当てて、考え込むような姿勢をとった。


「連中は、ハーフを集めていたのか……。いったい、何故……」


「ハーフを、集めた……?」


 力ない声で尋ねると、ウォードは手にした紙を掲げて示した。


「これはハーフのリストだ」


「でも、アリスは、ビーティじゃ……」


「アリスは俺の子供を妊娠していた。子供はハーフだ」


 クロエは自らの察しの悪さを恥じた。説明されなくても分かりそうなことだ。


「ハーフを集める理由……。組織?……ハーフ。……まさか」


 しばし思考の中に沈んでいたウォードがはっとした様子で顔を上げる。


「何か、心当たりがあるの……?」


 クロエは尋ねたが、ウォードはクロエと視線を合わせようとしなかった。


「いや、もう少し、この部屋を探ってみよう」


 明らかに話を逸らされた。

 なんだか悲しくなって、クロエは胸の前で自分の長い髪の束を握った。

 勇気を奮い起こして声を絞る。


「わたしはそんなに頼りにならない?」


 ずるい言い方だったと思う。

 善人であるウォードが、肯定しないことを確信した上での問いかけ。


「いや、そういうわけじゃない。違うんだ」


 ウォードは珍しく狼狽していた。

 ずるい言い方をする女の扱いに困っている、聞き分けのない女を持て余した、男の顔。


「だけど、これは……。いや、ああ、そうだな。君はもう部外者じゃないんだ」


 先ほどゾンビが消えていった辺りに立って、ウォードは扉の近くから動こうとしないクロエを振り返った。


「ハーフは特別な能力を持っている。それはクロエも知っているだろう」


「聞いたことがある。だけど、わたしには特別な力なんてない」


「君は飛び抜けた巫術の才を持っている。

 普通の人は天印を得て一節もたたないのに、自在に巫術を操ることなんてできないよ」


 そういうものなのか。クロエは普通の人の感覚を知らない。


「そうしたハーフの特殊能力に目を付け、研究している機関がある。

 公にはなっていないが、その機関はユニオンから援助を受けて研究をしているらしい。

 つまりは国家ぐるみの研究機関だってこと」


 あくまで推測に過ぎないが、と前置きしてから、ウォードは続けた。


「ハーフを研究しているんだから、当然、実験体となるハーフはいくらでも欲しいだろう。

 ユニオンが関わっているからって、後ろ暗いことをしていないとは限らない。

 むしろ逆だ。世間に隠せれば、何でもするのが連中のやり方だ」


 話がどこに行き着くかがうっすらと見えてきて、クロエは髪の束を握った拳をさらに固くした。


「この事業を推進しているのは俺の父だと思う。

 生物の研究はあいつのフィールドだから」


 あいつという言い方にウォードが父親に対して抱いている感情がどういうものなのかが窺い知れた。


「もしあいつが裏で糸を引いているのだとしたら、俺は絶対にあいつを許さない。

 絶対に」


 ウォードの横顔に今まで見たこともないような禍々しいまでの憎悪が浮かんだ。

 危ういほどの恐ろしさを感じて、クロエは身を竦ませる。


「絶対に、破滅させてやる」


 親に向けるには激しすぎる悪感情。

 その一言で片づけられるほど容易なものではない過去の確執をクロエは想像した。

 尋ねることは出来なかった。

 今は、まだ。

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