V 今日のヒーロー

 死体を器とした怪物をアンデッドという。

 その器は元が人でも動物でも、とにかく死体ならなんでもいいのだが、やはり人の形をしたものは厄介だ。


 人型は武器を使ってくるからだ。


「うわぁぁぁ!」


 ヴィックは巨大骸骨の杖の一振りを、尻もちをつくことでなんとか回避した。


 かたかたかたと音を立てて〈骸骨スケルトン〉は愉快そうに頭骨を揺らした。

 二つのぽっかりした穴が馬鹿にするようにヴィックを見下ろしている。

 眼球などないのにそう感じるのは単なる被害妄想だろうか。


 やけに派手な作りの杖は砂に深くめり込んでいる。

 食らっていたら、骨折くらいはしたかもしれない。


 船の墓場に上陸し、船から船へ移動を繰り返し、浜になっている場所を見つけた。

 上陸した途端、突然服を脱いでヴィックとウォードを仰天させたゾーイは、獣型に転身していた。

 狼の嗅覚によると砂浜エリアが怪しいらしい。

 ゾーイの先導で砂浜エリアに降り立ったヴィックたちは一本道の細い浜を進んだ。


 途中、巨岩が道のほとんどを塞ぐ箇所に至って、波に足を浸しながら進まざるを得なかった。

 そして、ようやく巨岩エリアを抜け出せたと思ったら、岩の上に巨大骸骨がぬぅっと立っていたのだ。

 気付いたヒューが注意を促すと、スケルトンは巨岩からまさに飛びかかってきた。


 金色の王冠を被り、房飾りのついたマントを羽織って、手に持った杖の先はピーマンみたいな形をしている。

 歴史絵巻にしか登場しないような王侯の姿を模した骸骨は、ヴィックたちの攻撃を躱しては、蔑むように歯をかちかちと鳴らして空虚に笑った。


 ヴィックから骸骨を挟んで向かい側にいる狼版ゾーイが、果敢に大腿骨部に噛み付いた。

 無防備になったヴィックからスケルトンの気を逸らすための攻撃だ。


 この怪物の器となった人物は、生前よほど鍛えていたか牛乳が大好きだったのか、こちらの攻撃を寄せ付けないほどに硬い骨をしていた。

 ゾーイの渾身の噛みつきも骨の上を滑るばかりで文字通りに歯が立たない。

 ただ、ヴィックから骸骨の気を逸らすことには成功したようだ。

 砂にめり込んだピーマン杖を引っこ抜き、スケルトンは体の向きをゾーイへと変えた。


 そこにすかさずヒューが横から切り込む。

 スケルトンの懐に飛び込んで肋骨に手を掛けてよじ登ろうとする。


 スケルトンは自分に触れるものにすぐ反応した。

 骨だけなのに感覚があるのが不思議だ。

 杖を持たない左手を肉のない体にさし入れ、ヒューの掴んだ肋骨ごと引き抜いてぽいっと捨てた。


 ヒューは肋骨と共にばしゃんと海の中に落ちていった。

 幸い浅い場所だったらしく尻をつけたまま体を起こして声を張る。

 頭にワカメが付いている。


「駄目だ!登れねぇ!」


 アンデッドも含め、すべての怪物モンスターの弱点は核だ。

 大抵は球状で頭部にあることが多い。

 スケルトンはすかすかなので、核の位置が丸見えで弱点探しが楽である。


 ヴィックたちが相手にしている巨大骸骨も大抵の例に漏れず、頭蓋骨の中にピンク色の核を有していた。

 だから弱点は頭部。

 核を破壊してやればどんなに硬いスケルトンも塵となって空気に消える。


 問題は、このスケルトンは大きすぎて頭の核まで手が届かないことだった。


 ならば遠隔攻撃はといえば、ウォードの銃弾は頭蓋骨に阻まれて核まで到達できない。

 しかもこの骸骨はウォードが弾を撃ったと察すると、首から上を高速回転させて核を守ろうとする。

 クロエの【竜巻トルネード】はちょっと強い嵐くらいにしか感じていないようだ。


 打開策は見えず、時間だけが浪費されていく。


 ヒューがワカメ頭のまま戦線に復帰してきて、ヴィックの負担は減った。

 おかげで考え事をする余裕ができた。


 エルバの槍だったら核に届いたかもしれないな。

 そんなどうしようもないことをヴィックは考えた。


 核を狙う以外に勝機はない。

 骨が硬すぎて比較的細い下腿の骨ですら断てないのだ。

 先ほどヴィックが渾身の力で下腿にある脛骨と腓骨を狙ったのだが、その結果がさっきの尻もちだ。

 斧ですら刃先がかすかにめり込む程度しか効かない。


 どうやったらこの敵を倒せるのか。

 頭蓋の中にある核を叩き壊せるか。

 下から背伸びしても届かないのなら、どうすればいいか。


「おい、ヴィック!サボってんじゃねぇ!」


 ワカメ頭に怒鳴られたところで、ヴィックは閃いた。

 武装解除して、敵に背を向ける。


「みんな!引きつけといて!」


「はぁ!?」


「ヴィック!?」


 ヴィックは背後からの苦情に答えることなく、巨岩の陰になっている場所を目指した。


 巨岩は巨大骸骨二体分ほどの高さがあって、まじまじと見ると、でこぼこは少なくつるんと滑らかそうだ。

 意気を挫かれる思いがしたが、やるしかない。

 拳を握って掌を極力湿らせる。


 ヴィックは巨岩を登り始めた。

 わずかな手掛かりに体重を預けて、手を掛けて足を掛けて登っていく。

 落ちることは考えてはいけない。木登りの鉄則だ。

 これは木じゃないけど、基本の動作は同じだろう。


 小さい頃、ヴィックはリンダの村の木登りチャンピオンだった。

 枝も何もない木をするする登るヴィックを村人たちはすごいすごいと褒めてくれた。

 唯一褒めてくれなかったのがエルバだ。

 危ないからやめろといつも言っていた。

 猿じゃないんだから、やめなよ。落ちたら大怪我するかもしれないでしょ。


 猿ではないが、落ちたことはない。

 だから今回も大丈夫。無心に登り続けた。

 手を止めることは一度もなく、大して時間もかからず、巨岩のてっぺんに到達した。


 やっぱりおれってすげぇじゃん。


 水平線の向こうに太陽の光を見た。夜が明けようとしている。

 きっと心を洗うような絶景だろうが、景色を楽しむためにここに来たわけではない。


 巨岩の縁に立ってヴィックは眼下を見下ろした。


 ゾーイが杖に噛み付いて杖ごと振り回されている。

 その隙を狙っていた様子のヒューが巨岩の上に立つヴィックに気付いて目を瞠った。

 ウォードは骸骨の頭に狙いを定めていた。

 眼球の穴を狙っているのだろうか。

 クロエは巫術ふじゅつの連続使用に疲弊しているようだ。

 天印も得たばかりだというし、そもそも戦闘に不慣れなのだろう。


 スケルトンがゾーイを振り払う勢いで杖を振った。

 振り飛ばされた銀狼はよそ見をしていたヒューの腹にぶつかり、ビーティ二人は揃って波打ち際に転がった。


 ヴィックは手中に紅色の光を灯し、斧を具現化させた。

 重くて扱いづらいが、威力は最も優れた型を。


「バーニング……」


 目を閉じ、神経を集中させる。

 左手を高く掲げて、親指と人差し指を突き出した。

 腰の中心辺りがぞわりと疼いた。


「ストライク……」


 目を開き、斧の刃にそっと指を滑らせた。

 触れたところから赤く染まっていく。

 斧の持ち手に両手を添えて一気に頭上に振り上げる。


「【爆発エクスプロージョン】!!」


 叫ぶと同時に巨岩から飛んだ。


 一撃必殺。一刀両断。いや、一斧両断か。


 ピンクの光が漏れる頭蓋骨をまっすぐ正面に据える。

 体が動くに任せて最適なタイミングで斧を振り下ろす。

 めきっ。嫌な感触が斧越しに伝わってきた。すかさず目を閉じる。

 次の一秒にも満たない一瞬のあと、バァァァン!と破砕音がした。

 ぎぃぃぃあぁぁぁ。金属を削るような断末魔が続く。


 ヴィックは斧から先に着地した。

 勢い余って、砂にめり込んだ斧を支点として縦に回転してしまう。

 波打ち際の湿って固くなった砂が、背中から落ちたヴィックの体を受け止めた。


「うっ」


 衝撃に呻きを漏らしたと同時に、海水がヴィックの足を濡らしていった。

 足下の砂が波に持っていかれて、体がほんの少しだけ浜に埋まった感触がする。

 

 ヴィックは目を開いた。巨大骸骨は杖や王冠を残して消えていた。

 マントはずたずたに破れており、高価そうだったのに見る影もなくただの襤褸切れと化している。


 怪物の断末魔がまだ聞こえる気がした。

 不快な音だったから耳に残ってしまったらしい。


 湿った温かいものが頬を這った。

 濡れてみすぼらしくなったゾーイがヴィックの頬を舐めている。

 狼の金色の目に、ヴィックは勝手に非難の色を感じ取った。


――勝てたんだからいいじゃないか


 ヴィックの巫術ふじゅつは【爆発エクスプロージョン】。

 触れたものを爆発させる効力を持つ。


 ただこの効果が諸刃の剣で、使用者であるヴィックすら巻き込んでしまう。

 特に相手が硬いと、飛び散った破片のせいで被害が甚大になる。

 きっと今のヴィックはあちこち傷だらけだろう。


 昔からエルバもゾーイもヴィックが不用意に巫術を使うと、いい顔をしなかった。

 そのせいかヴィックは巫術があまり得意でない。

 自分の巫術が派手な効果を持つことには満足していたが、使い勝手がよくないことは自覚している。


 ヴィックはゾーイの非難を逃れるために、寝転がったまま狼に背中を向けようとした。

 しかし体が、錆びたブリキ人形みたいにぎしぎし軋むようで動けない。


 ゾーイが舐めている箇所がずきずきと痛みだした。

 骨の欠片が傷を付けていったようだ。


 やめろと言うことも億劫だった。喉を震わせる力すら残っていない気がした。

 全身に鉛を詰められたように怠い。

 それは怪我のせいばかりではないのだろう。

 たった一撃に全エネルギーを持っていかれたようだ。


「よくやった、よくやった」


 ヒューがぱちぱちと拍手をしながら寄ってきた。

 面白かったのに、ワカメは頭から取れている。


「でも、あれ、なんだ?

 バーニングストライクエクスプロージョンって。

 技の名前か?長過ぎだろ。その上、単純すぎるだろ。

 いかにも馬鹿が考えそうな名前だ。

 というわけでお前にぴったりだな。おめでとう」


 痛烈な批評と皮肉に言い返してやりたかったが、へとへとで声が出ない。


「大丈夫か、ヴィック」


 ねぎらいよりも心配の声を発して近づいてきたのはウォードで、傍らにしゃがんでヴィックの傷を検分し始める。

 頭の側にしゃがんで髪に付いた砂を払ってくれたのはクロエだ。

 クロエはこんな状況だというのにいい匂いがする。


「ヴィック。よくやったね。ありがとう。でも、大丈夫?」


 ねぎらいとお礼と心配。すべてを台詞に盛り込んだクロエは満点だ。

 だけどヴィックはどぎまぎしてしまってどんな顔をすればいいか分からない。

 クロエは綺麗だし、笑うとすごくかわいいし、女性的な魅力に溢れすぎていて、話しかけられるだけでも緊張してしまうのだ。


 そうしてみんなの注目を独り占めにして、ヴィックはものも言えずにぼんやり考える。


――この状況、おれってまさか今日のヒーロー?


 自然と浮かんできた笑みに頬っぺたの傷がひっぱられてずきずきした。

 あのブラックパンサーでもなく、頭の良い医師でもなく、田舎の労働者である少年がヒーローだ。


 脳内に再生された映像の中でヴィックは赤い布張りの玉座に座っている。


 女神のような衣装を身にまとったクロエがヴィックの持つ盃にぶどうジュースを注いでくれる。

 その反対側では人の姿をしたゾーイがヴィックの腕を適度な力加減で揉んでいた。


 ウォードが拍手をしてくれる。

「ヴィック、君は本当にすごい」


 ヒューが悔しそうに言った。

「お前には敵わないな」


 満を持して正面から現れたのはなんとエルバで、手に持った盆には巨大なローストチキンが載っている。

「ヴィック。これは全部ヒーローへのご褒美だよ」


 ヴィックが痛々しい妄想に頬を緩めているとき、左手側から声がした。


「ヴィック」


 幼い頃から何度も何度もこの声に呼ばれてきた。


 全身の痛みも忘れて、肘をついて身を起こす。


 本当に現れた。ローストチキンの盆は持っていないが。


 エルバだった。

 

 いつも二房あるはずのおさげはほつれながらも、かろうじて片方だけ残っていた。

 解けた側は使い古した箒のようにぼさぼさになって半身を覆っている。

 

 水色のブラジャーとショーツだけといういでたちで、体のラインが晒されている。

 ヴィックがベッドの下に隠し持った、グラビアアイドルの写真ほど目を奪われるプロポーションではないにしても、女性へと成長していく少女の色香が確実に形になっていた。


「ヴィック!」


 エルバはもう一度ヴィックの名を呼んでこちらへ駆けてきた。


 上半身を起こしたヴィックに、エルバの腕が勢いよく絡みつく。


 ヴィックはエルバを抱き返した。

 柔らかいがそこに頼りなさなどはなく、しっかりとした肉感をもってヴィックに幼なじみの無事を実感させた。


 エルバはしゃくりあげながら、ヴィックの肩に顔を押し付けてくる。


「エルバ、よかった……」


 心からの声が漏れた。気が抜けた間抜けな声になったかもしれない。


「よかった、無事でよかった……」


 そう繰り返すことしかできなかった。疲労なんかは吹っ飛んでいた。


「本当によかった。エルバ……無事で、よかった。ところで――」


 エルバの肩についていた砂を指で払い落としながら、ヴィックは本当に何気なく尋ねた。


「なんでお前、裸なの?」


 ぴしっと空気に亀裂が入るような剣呑さを、ヴィックは感じ取ることができなかった。


「こ……」


 こ?


「こんの、変たぁーい!」


 ばっちーん。

 さっき骸骨の頭を吹っ飛ばしたときよりも、大きい音がしたかもしれない。

 ヴィックの左頬に真っ赤な目をしたエルバのビンタが炸裂した。


 勢いのままよろけたヴィックの手を振りほどき、エルバは鼻をすすりながらきびすを返して駆け去っていく。

 その背中を見つめながら、ヴィックはじーんと痛む頬をさすった。


『きゃー、これがたまに人が演じる修羅場ってやつ?きゃー、悶えるぅ~』


 不思議なことだが、頭の中心で子供っぽい声がした。

 海の方からぱしゃんと軽く水をたたく音がして目を向ける。

 イルカの背びれのようなものが海面に突き出していて、エルバが逃げた方角へすーっと移動していった。


 状況が理解できず、ヴィックは頬っぺたを押さえたまま、呆然としていた。

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