V 船の墓場
船は波頭を切り裂いてぐんぐん進んだ。黒い水はまるで粘性を持っているかのように見えるが、もちろんそんなことはなく、容易に二つに割れてヴィックたちに道を開けた。
やがて何もなかった水平線上に盛り上がった影が現れた。あれが目指す場所、船の墓場だという。
ヴィックは操舵室を出て船首へ向かった。夏にしてはひんやりとした風が吹いている。時折、飛沫が顔や手足を濡らすが気にしなかった。
船の墓場は不気味なところだった。
何隻もの船がひしめくようにして連なっている。歴史を感じさせる帆船、重厚な黒い煙突を持つ蒸気船、最新式の大きな旅客船まで揃う。まるで船のミュージアムだ。
しかし、そのどれもが不気味なまでに朽ちていた。夜の闇を背景に、朽ちた船のシルエットが波にゆらゆらと揺れながら、黒々といくつも浮かんでいる。
床板も船べりの手すりも海に浮かぶ船体も、白く塗られた脱出艇の舳先に立ち、ヴィックはごくりと唾を飲み込んだ。
幽霊船の集合体だ。
胸を叩くこの感情はいったい何だろう。
「ヴィック、悪かったな」
いつの間にかゾーイが隣に立っていた。薄暗がりの中で顔つきは見えないが、白いTシャツがわずかな光を反射して存在感を主張している。
「こんなことになっちまって。アタシがエルバを守らなきゃいけなかったのに」
ヒューたちがいる前では強気だったゾーイは、二人きりになった途端、湿っぽくなってしまったようだ。心なしか頭の上にあるケモ耳も、しゅんと沈んでいる気がする。
「何があったかはヒューから聞いてる。エルバが一人で飛び出すのはいつものことだよ。誰にも止められない」
ヴィックの中にゾーイを責める気持ちは少しもなかった。それでもゾーイは俯いて足元の床を蹴るような仕草を繰り返している。責任を感じて落ち込んでいるのだ。
人の形をしているゾーイにはやはりまだ慣れない。今までずっとペットの狼として接してきたのだから、無理からんことだろう。でも、ペットだった存在と喋ることができるなんてきっと幸運な体験なのだ。と、エルバが言っていた。
「しょうがないよなぁ。あいつはいつもああだから」
ヴィックは手すりに肘を置いて体重を預けた。船の墓場はすぐそこまで迫っている。
あそこにエルバはいる。いてくれなければ困る。
幼い頃から、ヴィックはエルバが羨ましかった。
自分の正義に従って、正しいと思ったことを主張する。強者に対しても弱者に対しても、その姿勢は一貫していた。相手が誰であれ正しくないと思えば食ってかかる。自らもめ事に突撃していく性質は、傍にいるヴィックをもトラブルに巻き込んだ。だけどそんなエルバがヴィックは誇らしかった。
まるでヒーローみたいだ。幼心にそう思っていた。
胸が詰まるように痛んだ。
手の震えを隠すために、ヴィックは両手の指を組み合わせた。
「エルバは生きてる。絶対に生きてる。絶対に絶対に生きてる」
自分に言い聞かせるようにして唱える。言霊の力を借りて、望む未来を掴もうとする。
ウォードには自信を持ってエルバは生きていると言えた。
もちろん、今でも確信を持ってエルバは生きていると言える。だけど、時間が経てばたつほど、胸は痛んだ。船の墓場が近づいてくればくるほど、手が震えた。その正体がなんなのか、知るのが怖くて考えないようにした。恐れていること自体が怖くて、目をそらした。前向きな言葉を唱えて、自分を鼓舞し続けるしかなかった。
昔から、エルバには言えないようなことでもゾーイには言えた。それはエルバに対する愚痴であったり、罪悪感に駆られて
もしかしたらゾーイが狼のままだったら聞けたのかもしれない。
――胸が痛むんだ、これは何かな?
――手が震えちゃってさ、なんでだろう?
狼に聞いても答えをくれることはないから。ヴィック自身が恐れる答えをくれることはないから。
「絶対に見つけるんだ」
声が震えないように、喉に力を込めて言い切った。視線は船の墓場から外さなかった。希望を口にし続けなければどうかなりそうだった。
「期待だよ」
耳に心地いいアルトの声音。ヴィックの組み合わさった手に、自分の手を重ねてゾーイは言った。
「お前はエルバに再会できるって、期待して高揚してるんだ。胸が痛むのも手が震えるのもそのせいだよ。あー、いや、お前だけじゃないか。ほら、アタシもだ」
ゾーイの手も震えていた。その手をヴィックは大切なものを包み込むように握った。
「そうだな。期待だ」
ヴィックはゾーイと目と目を合わせてこの場に
ゾーイはヴィックの心の中が読めるらしい。
獣型だろうと人型だろうと、ゾーイはいつも適格な答えをくれる。
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