E 怪物の善意②

 怪物とは、人を襲って食べる恐ろしい存在だ。


 人以外の脊椎動物、無脊椎動物、植物にいたるまでには無関心なくせに、人だけは積極的に襲って食料にする。

 フーマかビーティかという人種も関係ない。とにかく人だけを食べる。


 だというのに、食事という行為が生存のために必ずしも不可欠ではないらしい。

 飲まず食わずでも生き続けるという、他の生物とは明らかに異なる性質を持つ。


 そんな、人にとって脅威の存在であるモンスターだが、厄介者以外の側面も持っている。


 知能が非常に高く、人の言葉を理解することから、遠い昔に飼い慣らそうとする強者つわものがいたらしい。

 その無謀とも思える行いは、大勢の犠牲の末、見事に実を結んだ。


 飼育ではなく、契約と表現される。

 人は怪物と契約することによって、怪物を使役することができるようになった。

 人と契約を結んだ怪物は神獣と名を変えて、人にとって有益な存在へとなり替わる。


 そういったことは知識として知ってはいたが。


『ちゃぷちゃぷ、ふんふん、らんららっら~』


 エルバはご機嫌に歌をうたう怪物〈白海豚デルビー〉にまたがって大海を横断していた。


 暗くて視界は利かず、耳は絶えずちゃぷちゃぷと波が立つ音を拾っている。

 海水に浸かった膝から下が、すーっと水を切って進む感覚を訴えるほかは、頭の中で幼い声が響いているという現実離れした状況がエルバに生の実感を与えていた。


 雨はいつの間にか止んでいる。

 雲間からわずかばかりの月光が落ちている。

 北の空に常に浮かぶ〈永久星エクス〉は残念ながら隠れており、どの方角へ向かっているのかさっぱりわからなかった。


「ねえ、あなたは本当にモンスターなの?」


 エルバは自分が体重を預けているものに、突然襲われるのではないかという不安を消せないでいた。


『その質問、四回目~。いい加減しつこいよ~。

 こうやって会話できてるのが何よりの証拠でしょ』


 頭の中に語り掛けるなんて芸当が出来るのは、怪物モンスターか、超能力者くらいだ。


「だって、でも、モンスターならどうして私を助けたの?」


 モンスターは人の頭の中に語り掛けるが、人の頭の中を読めるわけではない。

 はたから見ればエルバは海原に浮いて独り言をいっているように見えるだろう。


『この返答も四回目~。

 話し相手が欲しかったからだって言ってるじゃない。

 群れからはぐれちゃって、寂しかったの~』


 そんな理由で、人類の宿敵である怪物が人を助けるだろうか。

 エルバは疑ってかからずにはいられない。

 何しろ今まで出会った怪物は全て、話しかけてくることもなく襲いかかってきたのだから。


「これからどこに行くの?」


『エルバが言ったんでしょ~。どこか足をつける場所に行ってほしいって。

 僕は鋭意任務を遂行中~』


 そんなことを言って、仲間たちのところへエルバを連れて行き、集団で襲いかかって食べるつもりではないか。

 エルバはそんな想像をせずにはいられない。


『ちゃっぷちゃっぷちゃっぷ。

 ……あ、ねぇ、エルバ。ちゃっぷと言えばさぁ、ケチャップってどんな味なの?』


 緊張感のない話題や喋り方も、全てエルバを油断させるため……。


 疑い過ぎだろうか。


『前にさぁ、餌にした人に聞いたことあるんだけど、トマトの味だって言うんだ。

 でも僕、トマトの味を知らないんだよね~』


「餌にした人?」


 エルバはぞっとして身を硬くした。

『うん、そう。

 船の上で釣りしてたから糸を引っぱって海に落としてやったんだ。

 で、食べた』


 イルカはえっへんとでも言いかねない様子だった。


 やっぱりモンスターはモンスターだ。


 それでもエルバはこのモンスターに乗って海を渡るしかない。

 ここで逃げたってどうせ溺れるだけだ。

 いや、闇雲に逃げたって追いつかれて結局食われるだろう。


 どこかに船影がないかと、エルバは周囲を見回す。

 船が通ったら助けを求めることが出来る。

 このモンスターを出し抜いて船まで泳ぎ切れば、エルバの勝ちだ。


『気になるんだよね~。

 ケチャップって血に似てるじゃない?

 だから僕らでも食べれるのかなぁって』


 逃げる直前にスピアで一突きしてやれば、怪物の動きも鈍るだろう。

 勝機はそこにある。


『ぶー。エルバ、聞いてる?ケチャップってどんな味なの~?血の味?』


「トマトの味」


『それは知ってるよ~。だからぁ、僕、トマトの味を知らないんだってば』


「あ、あれ」


 エルバの目が遠い水平線上に何かの影を捕らえた。

 月明りにてらてらと光るいくつもの波を越えた先、何かがある。


『ああ、あれ~?これから行くところだよ~。船の墓場』


「船の墓場?」


 物騒な名称にエルバはぎょっとする。


『うん~。この辺りで人が足を付けられる場所ってあそこくらいしかないから~。

 あそこなら食べ物もいっぱいあるし、エルバにとっていいんじゃないかって~。

 僕は気を利かせたのです』


 名前はおっかないが、今はとにかく足がつく所に行きたい。

 水から出られれば、こんなモンスター恐ろしくもない。


「早く行きたいな」


 エルバは急かすように、イルカを挟む足に少しだけ力を入れた。


『は~い。全速前進で向かいまぁす。しゅっしゅっ、ぽっぽ。鳩ぽっぽ』


 これがエルバを騙すための演技だとしても、絶対に逆に出し抜いてやる。

 エルバは固く決心して前方の影を見据えた。




 ぎぃぎぃと船同士がこすれ合う音が、波音の合間を埋めている。

 暗い空と海を背景にぬぅっとそびえる船たちは大小様々。

 帆を張った巨大帆船からエレメントエンジンを積んだ小型のクルーザーまで、船という船が揃っている。


 しかし、一隻たりとて乗りたいとは思えなかった。

 ほとんどぼろぼろに朽ちているからだ。


 目的地も目前となり、その威容を目にするに至って、エルバは二の足を踏まずにはいられなかった。

 しかし体は意に反してすいすいと水の上を進んでいく。


「……ここ?」


『うん、ここ~』


 船の墓場。その通りの名称だった。墓場としか形容しようがない。


『ここなら明かりもあるし、ご飯もたくさんあるから困らないよ~』


「明かり?」


『うん、ほら、あれ』


 人だったら指をさしているところなのだろうが、イルカにはひれしかない。

 何を指しているのか分からないが、もしかして〈骸骨スケルトン〉が灯す鬼火のことを言っているのだろうか。


 怪物モンスターには核と呼ばれる器官がある。

 モンスターにとっては重要な器官で、どんなモンスターも核を破壊されれば死んでしまう。

 この核は光を放つ特性を持っていた。


 モンスター化した死骸の中には〈骸骨スケルトン〉という種があり、これはすでに白骨化した死骸が怪物となったものだ。

 体を覆う肉がないため、中身が丸見えである。

 このスケルトンが暗闇の中にいると、ぼんやりと核が浮かび上がって見えるのだ。

 これを人は鬼火と呼ぶ。


「ちなみに、ご飯って?」


『人の死体がたくさんあるから、より取り見取りだよ~』


 残念ながらエルバの食料は人の死体ではない。


 これからあそこに上陸する。

 想像したエルバはさぁっと全身から血の気が引いていくのを感じた。


「あそこは嫌。あそこ以外がいい。今すぐ引き返して。お願い」


『ええ~。それは無理だよ~』


 エルバの懇願をイルカはつっぱねる。


『だってね、ここの辺りを流れる海流は全部、船の墓場に向かって流れてるの。

 僕だけなら大丈夫だけど、エルバを乗せた状態であの海流をさかのぼるのは無理だよ~』


 エルバは三秒ほどの間、返す言葉もなく沈黙した。


「……それはつまり、どういうこと?どうやって私は帰るの?」


『うーん?帰る?そうだな~。近くを船が通るのを待つとか?』


「その船はどれくらいの頻度でここを通るの?」


 犯人を尋問する勢いでエルバは尋ねていた。


『一節に一隻くらいかな~』


 一節は六〇日。エルバは愕然とした。


『海流が緩くならないと船は通れないの~。

 流れが速いときはどんな大きな船でも流されちゃうからね~。

 僕だってそう。流されちゃう。

 だからって海流がいつ緩くなるかは分からないの~。

 だから確かなことは言えないの~』


 はめられた。罠でもないものに、はめられた。


『エルバ?どうしたの~?あれ、ここじゃ駄目だった?』


 このイルカはエルバを騙してなどいない。きっと真実を語っている。

 船の墓場はすぐそこだ。怪物の群れが待ち伏せている気配はない。

 本当にエルバを助けようとしてくれていたらしい。


 騙されることもなく、はめられた。


『僕はエルバのためになると思ったんだよ~。

 人が足をつけるところといえば、陸の上か船の上でしょ?』


 怪物の善意は無邪気にエルバを打ちのめした。

 だが、絶望にまみれてしくしく泣くのはエルバの望むところではなかった。


 ヴィックとゾーイがきっと探してくれているはず。


 開き直って、助けがくるまで闘うしかない。


 墓場でのサバイバル。これは洒落ではない。

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