Z 狼女の純潔

「で、なんでこうなるんだよ!」


 ゾーイは客室の中央で、腕を振り下ろして足を踏み鳴らして、つまりは全身を使って力一杯がなった。


「あのドクターは賢そうな顔して考えなしなのか?どうしてこうなるんだ!うら若き乙女を!このエロ猫と同じ部屋で?寝かせるか、普通!?狼のいる場所に野ウサギを放つのと同義だぞ!」


「うるせぇぞ、暴力女」


 奥側のベッドの上に仰向けで寝転びながら、エロ猫が欠伸交じりに喋った。顔の上に伏せた〈ゴッデス号の歩き方〉を少しだけ持ち上げて、口元を覗かせる。


「誰が乙女だ、誰が野ウサギだ。例えるならもっとマシなもんに例えろよ。乙女も野ウサギも、男のあそこを鷲掴みにして勝ち誇ったりしねぇ。大体、狼はお前だ」


 言いたいことは言ったとばかりにヒューは再び旅のしおりを顔全体にかぶせた。


 二人きりだった。部屋割りを決めたのは場を取り仕切るウォードだった。ウォードとクロエ、ヴィックとエルバ、そして、ゾーイとヒュー。周囲から一番怪しまれない組み合わせ。


 民族平等の考えは人権活動家のおかげでぼちぼち広まってきているが、まだまだ異種族同士のカップルはそれだけで目立つ。ハーフへの忌避感情はこういったところからきているのだろう。


 順当な部屋割りにゾーイは猛抗議したが、聞き入れてもらえなかった。君なら大丈夫だろう、根拠のない言葉を残し、医師は偽装した妻を連れて部屋を去った。なんだかんだ言いつつもゾーイの飼い主二人も部屋を出ていき、ゾーイはエロ猫と二人きりになった。


 何が大丈夫なものか。ゾーイは自分の格好を見下ろす。


 丈の短い白い半袖Tシャツに黒のホットパンツ。ちょっと体を伸ばせばヘソが見えるし、足はほとんど剥き出しだ。大部分の男が好みそうな上下のセットをどこからかくすねてきたのはこのエロ猫、ヒューである。


 絶対にわざとだ。裸を見られることに羞恥心のないゾーイだが、野郎の眼福になるのはいただけない。


 動きやすいし、涼しいので、なかなかに気にいっているのだが、それとこれとは話が別だ。


「こんなケダモノが近くにいたんじゃ、安心して寝られないだろうがっ」


 ゾーイがベッドフレームを蹴って再びがなると、ヒューが旅のしおりを脇においてむくりと起き上がった。


「お前、オレに抱かれたいのか?」


「んなわけねぇだろが!なんでそうなる!気持ち悪ぃ!」


「なら安心しな。嫌がる女と無理やりヤるのはオレの主義に反する」


 ヒューはまたベッドに身を横たえた。横向きになってゾーイに背を向け、ひらひらと手を振っている。


 ケダモノのくせに紳士的なことを言いやがって。


 ゾーイはヒューの無防備な背中を三秒ほど見つめた。今ならまた首を絞めて、お灸を据えてやることができるかもしれない。


 ゾーイは手を床につき、四足体勢で狩りの構えを取った。肩を落とし、脚に力を溜める。一呼吸、二呼吸、今だ!一息に獲物に襲いかかった。


 飛びかかって、首を絞める。そのはずだった。


 伸ばした腕を掴まれて引っぱられる。肺から喉へと空気が漏れて「が」とも「あ」ともつかぬ声が出た。ぎしぎしと古いスプリングが耳障りな音をたてる。気づいた時には両方の手首を頭上に固定されて、ベッドの上に組み敷かれていた。


「お前が油断ならない女だってことは学習済みだからな」


 ゾーイの手を片手の力だけで難なく固定して、ヒューはもう一方の手でゾーイの顎に触れてきた。濡羽ぬれば色の髪の先が、ゾーイの頬をチクチクと刺す。人間の形をした耳元で囁かれる。


「そんなに構ってほしいのか?悪さしないようにしつけてやろうか」


 耳に吐息が触れた瞬間、ぞくっとゾーイの背筋を戦慄が駆け上がった。


 今までに聞いたことのない種類の、男の声だった。


 あえて例えるなら、追い詰めた獲物にとどめをさす前に、慈悲をもって相手に語り掛けるような――


 コンコンコン。ノックの音。がちゃっと、扉が開く音。


「ゾーイ、やっぱり私、……って!」


 ノックはするけど相手の返事を待たない、そんな悪癖を発揮したエルバは眉根をぐっと寄せて、ずんずんと部屋の中に入ってくる。


「やっぱり!この――」


 手前のベッドから枕を引っ掴む。


「変態猫!ゾーイから離れなさい!!」


 エルバは枕でヒューを思い切り殴りつけた。


「離れなさい!この変態!犯罪者!」


 枕が何度も振り下ろされ、辺りにもうもうと埃が舞う。


「待て!違う!これはあっちの方から――」


「嘘つくんじゃないの!許さないから!」


 たまらずベッドから転がり落ちたヒューに、エルバは追い討ちをかけ続ける。


 ゾーイは身を起こして、その様を見物した。


「覚悟しなさい!絶対に、逮捕してやる!この変態!」


「違うって、おい、やめろ。枕、破れるぞ。それに、埃が……。ゾーイ!見てないで説明しろ!」


 ゾーイはしばらく、少女によって成敗される男の図を観察し続けた。




 賛成多数でウォードの『今日はとりあえず休もう案』が可決された。ゾーイはエルバと共に最後まで抗弁したが、二対四。多数決の結果は覆せなかった。民主主義万歳。


 それでもエルバは諦めきれなかったらしい。


 少数派の意見は採用されないが、個人としてどう行動するかは自由なはずだ。納得がいかなければ、従わなければいい。ということで。


「今からジェマちゃんの捜索をするの、手伝ってほしいの」


 エルバは粗末に扱った枕に詫びるように枕をぎゅっと抱きしめて、ゾーイに頼んできた。幸いにも枕は穴の一つも開かず無事だった。


「もちろん手伝うさ。だけど、エルバはアタシの飼い主だ。命令してくれればそれでいいんだぞ」


 エルバは首を横に振って、ゾーイの目を真っ直ぐに見つめ返す。


「ゾーイは人。人は誰にも飼われたりしない。自由で高潔。それが人」


 エルバはこの歳で、ものの道理をよくわきまえている。


「分かった。お前は本当に立派な子だよ。で、ヴィックは?」


 ゾーイが尋ねると、エルバは途端に頬を膨らませて幼い表情になった。


「寝た」


「やっぱりね。それがヴィックだ」


 ゾーイとエルバが部屋を出ると、当然のようにヒューがついてきた。


「お前、来るのか?」


 ゾーイが嫌な顔も隠さずに訊くと、ヒューは当然とばかりに答える。


「どうせ暇だしな。あんな冊子、暗記するよりは女の子二人とデートする方が楽しいだろ」


「先生に逆らうことになるぞ。いいのかよ」


「人は誰にも飼われたりしない。自由で高潔。そうだろ?」


 ヒューはそう言ってエルバの顔を覗き込んだ。エルバは眉尻をぎゅっと上げて口をへの字にし、ぷいとそっぽを向いてずんずんと歩き出してしまった。


「そういうこと言うから嫌われんだよ」


 ゾーイが呆れ顔を向けると、ヒューはにやりと笑ってみせた。


「無関心よりは嫌われてる方がまだ脈アリだ」


 エルバを追って歩き出したヒューに、ゾーイも続く。


「やっぱりあの時、去勢しといてやればよかった」


「そんなにオレを独り占めしたいのか?」


「……話してるだけで、こんなに不快にさせてくれる奴も珍しいねぇ」


「そうか。良かったよ。無関心よりは嫌われてる方がまだ脈アリだからな」


 ゾーイはもう黙ることにした。こいつとは会話したくない。

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