H 敵対的邂逅
今後の方針を丸投げされたヒューの相棒は、エンプレスシティを出る選択をした。
それはつまり、逃げるということ。
今の生活や身分をいっとき捨ててでも、ほとぼりが冷めるまで他の地でやり過ごすということを示している。
考えるまでもなくヒューへの義理立てだろう。
ウォードは父親であるウォーフィールド委員の手を借りれば、医師として変わらずやっていける。
現に殺人犯として指名手配されたのはヒュー一人だけだった。
それでもウォードは町を出ることを選択した。
ヒューの相棒で居続けることを選んだのだ。
捕まっていた女たちの生き残り、クロエとも行動を共にすることになった。
真実を知るクロエはギャング集団〈トリニティアイズ〉にとって邪魔者でしかない。
あのとき捕らえられていた女たちが全て殺されたのが事実としたらクロエも危険だ。
〈トリニティアイズ〉は男二人と女一人の三人組を探しているだろう。
その構成のまま行動するのは賢明とは言えないが、連絡手段もない今、ばらけるのは安全策とはいえなかった。
念のためエンプレスシティ近場の港からでなく、南に離れたマナティの港から南部に発つことにした。
その作戦が功を奏したか、マナティの港に着くまでは順調だったのだ。
それなのに。
「あんたヒュー・オルティスだろ。義賊ブラックパンサーだ」
そのガキは非難する調子でもなく、嫌悪する調子でもなく、目を輝かせてヒューの正体を言い当てた。
迂闊だった。ヒューの姿は散々テレビで報道されている。
褐色の肌をしたネコ科のビーティなどユニオンには山ほどいると、油断してかかったのがいけなかった。
ヒューは目の前の少年の、サングラスを持つ方の前腕を握ってぐっと引っぱった。
阿保みたいな顔をした少年がこちらに倒れ込んでくる。
その喉笛を右手で掴み、ぐっと持ち上げて掲げるようにした。
少年の爪先は床に触れるか触れないかというところで浮いている。
「ヴィック!」
あちらの陣営の少女が悲鳴じみた声を上げた。
このヴィックとかいうガキがどういうつもりなのかは知らないが、正体を知られて黙っているわけにはいかない。
「ヒュー、後ろ!」
ウォードが警戒を促してきた。背後から何かが迫ってくる。
「ぎゃんっ!」
飛びかかってきた狼の腹を蹴り飛ばして、壁に叩きつけてやった。
「ゾーイっ」
少女が悲痛な声を出す。
弱っているはずの狼は、それでもすぐに身を起こし、ヒューに向かってぐるぐると低い唸りを浴びせかけた。
「リンダの村自警団、エルバ・フォルテアです!」
少女が四角い何かを胸ポケットから取り出し、声を張り上げた。
言動からして自警団の身分証だろう。
「今は港町マナティで行方不明者の捜索中です!
これは公務執行妨害に当たります!」
リンダの村など聞いたこともない。
少なくとも都市ではないだろう。
そんな田舎の自警団がこんな場所で権力を発揮できるわけもないのに、少女は必死に権威を振りかざそうとしている。
「今すぐヴィックから手を離しなさい。さもないと」
「さもないと?どうするってんだ、お嬢ちゃん」
悪役にでもなった気分で、ヒューは口の端に笑みを乗せる。
女としてまだまだ成長途上の少女が頼りない職権を武器に、ヒューのような悪い大人と渡り合おうとしている。
可愛らしくて滑稽だ。
少年の顔はうっ血によって赤から紫に変わりつつあった。
「手を離して」
命令が効かないと分かると懇願する。
「さぁて、どうしようかな」
「手を離して!この殺人鬼!」
懇願も届かないとなると感情を剥き出しにする。幼くても女は女だ。
「ヒュー、もういい。やめろ」
割って入ってきたのはウォードの声だった。
ウォードは興というものを分かっていない。
せっかく、まだまだ蕾の少女とのやり取りを楽しんでいたというのに。
ヒューはため息をついて少年の拘束を解いてやった。
「まあ、いいさ。男と触れ合ってるのも趣味じゃないしな」
解放された少年は喉を押さえて、げほげほと激しく咳をした。
ちょっと強く絞めすぎたか。
少年の背中を、傍らにしゃがみこんだ少女が優しくさすっている。
銀狼が少年少女とヒューの間にするりと入り込んできた。御守りかよ。
アンバーの瞳がじっとヒューを睨み据えている。おお、こわ。
「絶対に、逮捕してやるんだからね」
少女の声には決意と共に激しい憎悪が込められていた。
負けん気の強い少女だ。
そうでなければこの若さで自警団に入ろうとは思わないだろう。
「連れが失礼をした。謝るよ。申し訳ない」
ウォードがあちらサイドの三人に頭を下げた。
勝手に謝られては、ヒューの立場がない。
ヒューには反省する気などないのだから。
「お前らはジェマって女の子を探してるんだろう。
オレたちに構ってる場合じゃないんじゃないか?
今はそっちに集中すべきだと思うがね」
ヒューが意見を述べると狼が唸り始めた。
少女はヒューを睨み上げてきたが、唇は固く引き結ばれたまま。
返す言葉もないらしい。
完全に敵と認定されたようで結構。
「信じてもらえないかもしれないが、そもそも俺たちは殺人鬼と言われるようなことはしていない」
ウォードの抗弁に自警団の少女エルバは正義に燃える瞳を向けた。
「嘘言わないで!そんなの信じられるわけない!」
「本当だよ」
口を挟んだのは今までずっと黙っていたクロエだ。
「あの人たちを殺したのはこの二人じゃない。信じてとしか言えないけど」
「そうだ、よ」
二つ目の援護射撃は意外なところから放たれた。
喉を押さえた少年ヴィックが、掠れた声を震わせる。
「ブラック、パンサーは、罪のない人を、殺したりしない。
ヒーロー、なんだ、から」
これには、思わぬ伏兵に懐を突かれた少女だけでなく、ヒューも驚いた。
首を絞められておいて何を言っているんだ、このガキは。
狼すらも呆気に取られた空気の中でヴィック少年は立ち上がる。
「そうだよな、ブラックパンサー」
穢れのない瞳で見つめられ、ヒューは居心地が悪くなった。
「その名前で呼ぶな。オレは豹じゃない。ジャガーだ」
「ヒューって、名前なのに?」
「名前は関係ないだろうが」
ヴィックは笑っていた。
どうやらこんなガキにからかわれたらしい。不愉快だ。
「分かった、ジャガーなんだな。まあ、それはどっちでもいいけどさ。
ジェマちゃんの救出、手伝ってくれるんだよな。よろしくな」
ヴィックはヒュー、ウォード、クロエへと視線を移していき、最後にまたヒューを見つめて、握手を求めるように手を差し出してきた。
馴れ馴れしいガキだ。
ヒューはぞんざいに、ヴィックの掌をぱしりと叩いてやった。
そうしたあとで、無視してやればよかったと思ったがもう遅い。
ヴィックはにまにまと笑いながら、はたかれた掌に視線を落としている。
まるでスターに握手でもしてもらったファンのように。
「ホントにバカなんだから」
少女は吐き捨てるように言って、ぷいとそっぽを向いてしまった。
それでもさほど怒っているわけでもなさそうだ。
この二人、青春だな。ヒューは少しだけこの少年少女に興味がわいた。
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