V 怪しい三人連れ

 非日常への入り口はきっと身近なところにあるのだろう。

 村の外れのなんでこんな場所にあるのか分からない百葉箱の裏や、森を歩いていると急に開ける池の中だとか。


 港町マナティの港は夕暮れの中にあって閑散としていた。

 これから暗くなるという時分に出航する船も少ないのだろう。

 ずらっと並ぶ波止場に泊まる船は目に入る範囲で三隻ほど。

 打ち寄せる波音と荷役の掛け声が遠く聞こえてくる。


 夕焼けに赤く染まった海は活気のあった昼間とはまるで別世界だった。

 その只中に立つヴィックは非日常の中に足を踏み入れた気分になって、なんだか高揚していた。


「何うきうきしてるの」


 腕を振り上げてスキップでもしかねないほど張り切って歩くヴィックに、エルバが怪訝顔で尋ねてくる。


「夕方の海ってなんかわくわくするだろ。

 水が赤く染まってさ。

 異次元への入り口って感じだ」


「何が異次元なの。朝だろうが夕方だろうが、海は海じゃない」


 エルバはそう言いつつも、様子を窺うように赤い海へと視線を向けている。


「大体、異次元への入り口がこんなところにあってたまるもんですか」


 エルバはつんとした態度を崩さないが、そんなことでヴィックのうきうきが治まるわけもなかった。


「夕方って逢魔が時っていうだろ。

 魔性のものが出てきやすい時間だって公式に認められてるんだ。

 これはもう、何があっても不思議じゃないわけで」


「あんたは何に出て来てほしいわけ?」


「そりゃあ、幽霊船だよ!」


 ヴィックが勢い込んで言うと、エルバは面食らったように黙ってしまった。


「聞いたことないか?お宝と亡霊をわんさか乗せた幽霊船の話。

 亡霊の繰り出す試練を潜り抜けた者には大いなる安息が訪れるでしょうってさ。

 安息はともかくとして、お宝だぞ、お宝」


 目を輝かせるヴィックは、エルバが憂いを堪えるために奥歯を噛んだことを知らない。


「見つけてみたいもんだよな。

 きっと海賊の船だったんだ。

 お宝を見つけてアジトに持ち帰ろうとしたところで、嵐に襲われて遭難。

 それで幽霊船になった。

 その嵐はさ、奪ったお宝の一つが呼んだんじゃないかって言われてんだ。

 どうもお宝の中に呪いがかかったのがあったらしい。

 その呪われた宝物は今でも次の獲物を探して、あっちの海をゆらゆら、こっちの海をゆらゆら――」


「もういい!」


 エルバが大きな声を出したので、ヴィックは驚いて続く言葉を呑みこんだ。

 何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。


「バカみたい。何がお宝よ。そんなあるかないかも分からないもの、何がいいの」


 エルバはぷいとそっぽを向いて頬を膨らませてしまう。

 いつものエルバらしい反応に、ヴィックはほっと一安心だ。


「ロマンだよ、ロマン。男のロマンだ。女には分からないかな~」


 への字に口を曲げていたエルバの表情がふと険しくなる。

 ヴィックは、そんなことにはやはり気付かず、滔々と語り続ける。


「ロマンを求めるのが男の生き様だ!宝がそこに眠っているのならたとえ――」


「しっ、黙って!」


 顔の前に掌を広げられ、ヴィックはようやく口を閉ざした。


 エルバが睨む先、そこに三人の人影があった。

 ヴィックは夕焼けの中でじっと目を凝らしてみる。

 

 背格好からして、男二人に女一人だろうか。

 構成は先ほどの嫌な感じの子供たちと同じだ。

 女が帽子を被っているところまで一緒である。

 ただ、こちらの三人は子供ではなく大人だろう。

 そして男の片方、長髪をポニテに結んだ男はビーティのようだ。

 尻から突き出した尻尾がゆらゆらと揺れている。


「怪しい」


「は?どこが?」


 顎に手を当てて訝しんでいる様子のエルバは、三人の男女から視線を逸らそうとしない。


「絶対怪しい」


「どこが?全員がサングラスかけてるとこ?」


 だとしたらサングラスに対する紛うことなき偏見だ。


「勘。私の勘があいつらは絶対怪しいって言ってる」


「勘かよ。って、おい、エルバ?」


 エルバは三人の男女に向かって敢然と向かっていってしまった。


 地に腹をつけていたゾーイがゆっくりと起き上がってヴィックを見上げた。

 行かないの?とでも問いたげだ。


「勘で職質するのは警官の悪い癖だぞー」


 エルバの背中に声をかけて、仕方なくヴィックは幼なじみを追った。


 怖い顔をして近づいてくる少女に気付いたグラサン三人組は、三者三様の反応を示した。


 一番背の高いフーマの男は泰然としてエルバに視線を据えている。

 ビーティの男はフーマの男を窺うようにしてから、そっぽを向いた。

 女は、やはりフーマの男をちらりと見てから、落ち着かなげに首を動かし、俯いてしまった。


 サングラスで目元が見えないのと薄暗い夕刻ということも手伝って、三人の表情までは分からない。

 ヴィックにはエルバの言う通り、この三人が不審者であるかどうか判断がつかなかった。


「すみません」


 エルバがグラサンに声をかけた。


「何か?」


 背の高い男が答える。

 相手が少女であっても侮る様子もない態度には好感が持てる。


「お尋ねしたいことがあるんですが」


 そこでようやくヴィックはエルバに追いついて隣に並んだ。

 ヴィックとエルバを守るように、ゾーイがグラサンとの間に身を割り込ませる。


「なんでしょう?」


 さぁっと風が吹き抜けていった。

 サングラスの女性が、被っていた淡色の女優帽を細い指で押さえた。

 色素の薄い髪が風にさらさらとなびいている。

 たったそれだけの仕草がやけにさまになっていて、ヴィックはどきっとしてしまった。

 慌てて女性から目を逸らす。


「実は人を探しているんですが」


 エルバは事務的な口調で尋ねる。


「ジェマ・アルビオルさんという女の子です。

 まだ一一歳の学生さんです。ハーフですが、外見は亀のビーティ。

 この辺りで野良猫の世話をしていたというのですが、お心当たり、ありませんか?

 些細なことでも結構です」

 

 背の高いフーマの男があとの二人を振り返った。

 帽子を被った女性が首を横に振る。

 ビーティの男は顔の向きからしてゾーイに視線を落としているようだ。


「申し訳ないのだが役に立てそうにないな。

 僕たちは先ほどここに到着したばかりで――」


「助けてっ!!」


 フーマの男の台詞に割り込むように、少女のものと思われる切羽詰まった叫びが聞こえた。


 一番近くにある波止場の中ほどで、うろこ状の肌を持つビーティの少女が、覆面を付けた大柄な男に押さえつけられている。


「あれ、まさか、ジェマちゃん?」


「あいつら、また……!」


 エルバとフーマの男が同時に声を発して、ほぼ同時に駆け出した。

 

 緊急事態だ。ヴィックは慌てて幼なじみの背中を追う。


「あ~あ、結局、首、突っ込むのか」


 後ろからため息交じりの男の声がした。

 



 不気味な覆面だった。

 ベースは銀行強盗がかぶるような黒い布地だ。

 額と頬の部分にそれぞれ一つずつ人の目が描かれている。

 今にもまばたきしそうなほどリアルな目の意匠は、気味が悪い以外の何物でもなかった。

 

 そんな不気味な覆面男は、五人と一匹の狼が自分めがけて駆けてくるのを確認するや、慌てて少女を担ぎ上げ、すぐ傍に泊まった大型船の中に逃げ込んでいった。


 押さえつけられていた少女が爬虫類系のビーティだったのは確かだ。

 ただ亀だったかは判然としない。

 ヴィックたちの探しているジェマ・アルビオルだったかは定かでない。

 それでも「助けて!」と言われたからには助けるのが人の道だ。


 走るヴィックは後ろからゾーイに追い越され、ポニテのビーティにも追い越された。


 一番早く船のタラップを渡っていったのはゾーイだった。

 狼のトップスピードに人間は敵わない。

 ビーティの男が黒い尻尾を揺らめかしながらゾーイに続いた。

 そのあとをフーマの男が、エルバが、と躊躇いなく船の中に飛び込んでいく。


 エレメントエンジンが稼働する音がした。

 船が呼吸し始めたかのように振動を始める。

 

 ヴィックはタラップの前で女優帽の女性に先を譲った。レディファースト。

 タラップは船の大きさと比べると細くて頼りなく、二人一緒に渡るには不安だったので女性が渡り終えるまで待つことにした。


 そんな中、船が前進しだす。


「わっ、ちょ、ちょっと、待てって」


 ヴィックは慌てて船を追いかける。

 タラップが自動で船に収容されていく。

 幸い、女性は船に移ったあとだ。

 

 もう飛び乗るしかない。


「だぁーーー!」


 叫びを上げて思い切って跳躍する。

 ヴィックの手は船の出入り口にあった手すりを掴んだ。

 宙ぶらりんになったヴィックは船体を思い切り蹴って体勢を整え、腕の力で体を持ち上げようとする。


 フーマの男がヴィックの手を取って船に引き上げてくれた。

 左手の甲に天印が見える。

 無事に船内に足をつけたヴィックは名前も知らない相手に「ありがとう」と礼を言った。


「まさか、全員来るとはな」


 ビーティの男が腰に手を当てて一同を見渡すようにしている。

 薄暗い夕焼けの中では窺い知れなかった男の肌は褐色だった。

 濡羽色の髪は、前髪の一房だけが黄色い。

 丸くて黒い獣耳が頭に生えていて、尻尾は長く太かった。


「お人好しばっかりだな。世界が平和になる日も近いかもな」


 皮肉っぽく言ったビーティの男をまじまじと見つめながら、ヴィックは腰を浮かせて、一歩一歩と歩み寄った。


「なんだ?」


 目と鼻の先にまで近づいてきたヴィックを、ビーティの男は一歩も引くことなく出迎えた。


「野郎に迫られても、オレは嬉しくもなんともないんだがね」


「ヒュー・オルティス」


 ヴィックは相手の名を確信を込めて呟いた。

 なんの断りもなく手を伸ばしてサングラスを奪い取る。


「やっぱり。あんたヒュー・オルティスだろ。義賊ブラックパンサーだ」


 ヴィックを見返すセピア色の瞳が、一瞬だけ動揺も露わに左右に揺れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る