V 行方不明の少女
港町マナティの住宅街での捕り物劇は、それなりに多くの人の注目を集めたようだった。
手錠をかけた男を連れて歩く二人と一匹に向かって、少なくない数の人がカメラを向けてきた。
ある人は窓の向こうから、ある人は家の陰から。
こそこそするつもりもないのか、堂々と正面に立って近場から撮影してくるつわものもいた。
ヴィックはスターになったようで心地よかったが、エルバは不快なようである。
「撮らないで!撮らないでください!」
人々を牽制する声をエルバは上げたが、小娘の指示に素直に従ってくれる者はほとんどいなかった。
「エルバ。これからどこに行くんだ?この町の牢屋?」
ヴィックはカメラ映りを気にして、前髪をいじりながら尋ねた。
エルバが不機嫌そうな顔を横に振る。
「マナティの警察とは協定関係にないの。だから、この町の施設は使えない」
「ええっ、じゃあ、どうするんだよ」
「この男と一緒に、とりあえずロンボまで帰るしかないわね」
「じゃあ、マナティの観光は?」
「出来るわけないでしょ」
ヴィックにとっては衝撃的な展開となった。
「そんなぁ。なんのためにマナティまで来たんだよ!」
「こいつを捕まえるためよ」
そうだった。ヴィックは肩を落とし、ため息をついた。
やがて港町マナティの南東部、浜辺のエリアに辿り着いた。
この辺りはマナティの中でも貧しい者たちの住む場所なようで、粗末な家が多く、ホテルの価格も安い。
そのためヴィックたちはこの地に宿をとっていた。
とりあえず部屋に戻って、窃盗犯に金はどこに置いてあるのか尋問するのだ。
尋問という響きはなんとなく、心の内をぞくっとさせる。
俗に言う、悪い警官と良い警官をエルバと二人で演じるのだろうか。
自分はどっちをやりたいかなぁ。
よくある刑事ドラマのワンシーンをヴィックがぼんやり思い浮かべながら歩いていると、目の前に女性が立ち塞がった。
青年期とも中年期ともとれる年齢のように見える。
「あなた方、警察の方ね?」
女性は左右の手で、それぞれにヴィックとエルバの腕を掴んでいた。
震えるほどに力が込められた指は、ヴィックの服に食い込み、微かな痛みを生じさせた。
エルバが警戒したのか、半歩ほどあとずさる。
「お願い、私の娘を捜して!」
「娘?」
エルバが、女性の発した単語を反復した。
「昨日からいないの!どこを探しても!
何か悪いことに巻き込まれたんだわ!お願い、捜して!」
「お、落ち着いて」
ヴィックは詰め寄ってくる女性を宥めようとした。
近くで見た彼女の目は血走っており、冷静さなど失ってしまっているようだった。
「あっ!」
そのとき、エルバの声が上がった。
窃盗犯が女性の腕の下を潜り抜け、手錠を掛けられたままの状態で逃げ出したのだ。
転びそうになりながらも、逃走中に見せた驚異的なバランス感覚を駆使し、手が使えない状態にもかかわらず一目散に駆けていく。
「ヴィック、追って!」
「えっ、て、言われても」
ヴィックの左腕は目の前に立つ女性によって、力強く拘束されている。
少し手を引いてみても、がっちり捕えて離してくれない。
周囲を見回してみたが、ゾーイの姿はなかった。
こんなときに、またいつもの放浪癖を発揮しているようだ。
「お願い!捜して!あの子を失ったら、私、どうしたらいいか……」
女性はとうとう涙を流し始めた。
そうこうしているうちに、捕らえたばかりの窃盗犯の姿は街並みの中に消えていく。
「お母さん、落ち着いてください。そういうことは、現地の警察に相談を――」
「警察署に行っても、相手にされないの!」
エルバの台詞を遮って、女性は涙に濡れた顔を振り上げた。
「貧乏人の訴えなんか、聞いてもらえないのよ!
どれだけ、言ったって、無駄!取り合ってもらえない!
貧乏人の娘なんか、どれほどいなくなったって、構やしないのよ!」
声高く喚き散らす女性を前に、ヴィックはエルバと困り顔を見合わせた。
「行方不明者の名前はジェマ・アルビオル。一一歳。
フーマとビーティのハーフで、見た目は亀のビーティ。
マナティ第三学校の生徒。昨日、登校したことは確認済み。
放課後以降、何らかの理由で姿を消した」
エルバは自らのメモを読み終わり、顔を上げた。
「学校の生徒に聞くのが一番いいかな」
「んー、そうだな」
ヴィックは頭の後ろで右と左の指を組み合わせながら返事をした。
そろそろ夕食時だろう、腹が減ってきた。
結局、エルバは先ほどの女性の涙ながらの訴えを聞き入れたのだ。
今やもう、逃走犯となり果てた窃盗犯の追跡を中断してまで。
なんだかんだで、お人好しだよな。もちろん不満はないけど。
足元にはいつの間にかゾーイが戻ってきていて、エルバの読み上げた行方不明者の特徴に耳を澄ましていたようだった。
浜辺沿いに造られた遊歩道の上を歩きながら、ヴィックは数歩先からエルバを振り返った。
「家出ってことはないのか?」
「そんなこと、あのお母さんに言える?
とりあえず、さらっと捜査して報告しましょ」
エルバのおさげ髪が、浜風を受けて真横になびいている。
それを手で背中の側に払い除け、エルバは目を細めて遥か先の砂浜を指さした。
「あそこで、遊んでる子たちがいる。ジェマちゃんと同じ学校の子かも」
ヴィックがエルバの指す方を振り返ると、確かに遊んでいる子供がいる。
「行くか」
行き先を定めた途端、先導をするようにゾーイが歩き出す。
ヴィックはエルバと共に狼の背を追った。
浜辺で遊んでいたのは、行方不明の女の子と同じ歳くらいにみえる子供だった。
男子が二人、麦わら帽子を被った女子が一人の三人連れだ。
これは期待できるのではと思えたが、昼間から花火をして、しかも燃え殻を砂に埋もれさせるようにして放置しているのには、眉を顰めずにはいられない。
「ねえ、あなたたち。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
エルバが声を掛けると、男の子二人は少しびくついたような顔をしたが、女の子は挑戦的に腕を組んでエルバを出迎えた。
「ジェマ・アルビオルさん、知ってる?」
途端、女の子の顔に嘲笑が浮かんだ。
それを窺うように見て、男の子二人の表情も彼女に続いた。
「知ってる。のろまな亀の邪魔っ娘ジェマでしょ」
女の子の言葉に男の子二人が追従するかのようにくすくす笑う。
どうもこの三人、感じが悪い。
「昨日からいなくなっちゃったみたいなんだけど、どこに行ったか知らない?」
「やっぱりそーなんだ!」
女の子は嬉しいことでもあったかのように、手を叩いて跳ねた。
「あいつの親が聞き回ってたって、噂、聞いたの。
今日、学校にも来てたし。
信じらんないよねー。あの母親、薄汚い獣人と寝たんだよ。あばずれ女だよ。
それで、あのうすのろ産んだんだから、最悪じゃん」
女の子はエルバに、というよりは、周りにいる男の子に話しているようだった。
「どこに行ったかとか、心当たりはない?」
エルバは辛抱強く質問を続ける。
長年、一緒にいたヴィックには分かるが、声に怒りがにじみ出ている。
先ほどまで浮かんでいた、子供に警戒心を抱かせないための笑みも消えている。
「居なくなってくれて、清々する」
こちらの忍耐を試すかのように言って、女の子は満面の笑みを浮かべた。
こんなに邪悪な笑みなどヴィックは生まれてこのかた見たことがない。
エルバの顔がみるみる強張っていき、唇がきつく結ばれる。
子供の悪意ある言葉に驚き憤っているが、それを表に出さないように堪えている。
「港」
こちらから見て、右側の男の子がぼそっと呟いた。
「あいつ、港で野良猫の世話して――」
中央の女の子が情報を提供した男の子を睨みつける。
とたん、男の子は口を噤んだ。
「港ね」
復唱したエルバは今すぐにでもこの場から立ち去りたいとでもいうように踵を返そうとする。
「あっ、何すんの!」
女の子の怒声が響いた。
目をやると、ゾーイが女の子の被っていた麦わら帽子を咥えて海に向かって走っていた。
「止まりなさいよ、このくそ犬!」
罵声も意に介さずゾーイは波打ち際に近づくと、首を限界まで捻り、フリスビーでもするかのように帽子を華麗に海に投げ入れた。
回転しながら落ちていった帽子はふわりと海面に着地し、波に身を任せてゆらゆら揺れている。
「お前ら!」
ヴィックは三人の子供に向かって呼びかけた。
彼らは呆然として、あるいは憤慨した様子で波間に漂う帽子を見つめていた。
「花火の始末はちゃんとしろよ」
ヴィックはエルバと肩を揃えて、その場をあとにする。
何食わぬ顔ですぐに追いついてきたゾーイに、二人で揃って親指を立てた。
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