二章 船出
E レンジャーのお仕事①
港町ロンボは、菱形の意匠が至る所に凝らされた小綺麗な町である。
白と青緑の街路には、無数の菱形がデザインされ、街灯の支柱も菱形なら、マンホールの形も菱形だ。
家々の屋根は青緑に統一されており、壁は白色。
町の東側はほとんどが港になっており、上空を海鳥が飛び交っている。
ロンボに着いてすぐ、エルバたちは自警団の詰め所へ向かった。
駐在員に新しい情報はないかと尋ねたが、今のところあがってきていないという。
もう時間も遅かったので、観光を希望するヴィックを引きずるようにして、その日はホテルに部屋を取った。
動物を連れ込んでもいいホテルはロンボに一軒しかなく、そのためホテルを選ぶようなことは出来なかったのだが、これまた菱形の綺麗な建物だった。
外に出たいとごねるヴィックを、明日は街中を歩き回るからと説得して、その日は明日に備えて寝ることにした。
エルバにはベッドに入ってすぐ朝がやって来たように感じられた。
海鳥の泣き声をBGMに起き上がり、例によって菱形のベッドの上で時間をかけてゆっくりと伸びをする。
ゾーイは飼い主であるヴィックの部屋にいるため、エルバは一人きりだった。
洗面所に移動していつものように髪を梳かし、服を着替えて、ヴィックはもう起きているかしらなどと考えながら髪を編む。
一階にあるビストロ風の食堂で待ち合わせだった。
エレベーターを使って一階まで降り、レストランへ入ると、宿泊客だろう数人の姿はあるものの、狼を連れた少年はいない。
色時計はサフランイエロー。
待ち合わせに指定した時間だ。
エルバは窓辺の席を選んで腰かけた。
メニュー表に目を落とし、何を食べようかとじっくり考える。
やっぱり朝はパンがいいかな。
二羽の海鳥がけたたましく鳴きながら窓の外を通過していく。
つがいだろうか。
オーダーを取りに来たウェイトレスにモーニングセットをロールパンで、と頼む。
飲み物はオレンジジュースにした。
あの酸味が朝の目覚めにはちょうどいい、そんな根拠もない理屈をこねるのはお馬鹿のヴィックだ。
エルバはまったくそんなこと信じてないが、大体朝はオレンジジュースにしている。
感化されているわけでは決してない。
注文した品が届けられて少ししてから、エルバの前にゾーイを連れたヴィックが現れた。
椰子の実色の髪の毛はぼさぼさで、頭の後ろでぴんぴんと元気よく跳ねている。
ヘーゼルカラーの目は半分しか開いていない。
手で隠すこともせず、大欠伸をかましている。
「あれ、おれの分の飯は?」
エルバの向かいに座りながら、ヴィックは眠そうな声を出した。
「あるわけないでしょ、自分で頼みなさい」
エルバはつんとした声で返す。
「それより、あんた、髪ぼさぼさ。
寝ぐせ直ってないし。みっともない。
私が直してあげる、仕方ないから」
エルバは鞄の中から寝ぐせ直しの霧吹きを取り出し、席を立ってヴィックの後ろに回った。
「なんで、お前、そんなもん持ち歩いてるんだよ?」
「こんなことになるだろうと思ったから。感謝なさい」
「やだよ。それ、どうせ女がつける香水みたいな匂いするんだろ?」
「うるさい。文句言わないの」
寝ぐせ直しをヴィックの頭に容赦なく噴霧する。
甘やかなフローラルの香りが広がった。
全体を手櫛でとき、寝ぐせの部分を均していく。
本当はこのあとドライヤーでケアしたいところだが、それは諦めるしかない。
「もーらいっと」
急にヴィックが前方に体を傾けた。
右手でエルバのロールパンを一つ掴んでいる。
「ちょっと、それ私の!」
「いーだろ。あとでおれが頼んだやつ、やるからさ」
ヴィックはさっそくロールパンにかじりついている。
エルバは軽くヴィックの頭をはたいてやった。
寝ぐせ直しが終わったという意味合いも込めての行為だ。
ちょうどそこで新たな客のオーダーを取りに、さっきと同じウェイトレスが現れた。
「鶏ささみ増量サラダと、これと同じやつお願い」
エルバのモーニングセットを指さしながらヴィックが注文する。
エルバは席に戻りながら、正面からヴィックを睨みつけてやる。
「お飲み物は?」
「オレンジジュースで」
まったく、子供なんだから。
エルバは鼻から大きく息を吐き出し、ベーコンをフォークで突き刺して口に運んだ。
カリカリに焼けたベーコンは香ばしく、口内で粉々に砕けた。
「ん?」
落ち着きなく周囲を見渡していたヴィックが、突然声を上げた。
「なんだってぇ!?」
がたっと席から立ち上がったヴィックを、店内にいる人々が何事かと振り返る。
エルバも驚いて相席の少年を見上げた。
「ちょっと、うるさい!何なの?」
ヴィックはエルバの問いには答えず、まっすぐ新聞立てまで歩んでいき、新聞を一部取ると、驚愕の表情を浮かべてこちらに戻ってきた。
すとんと落ちるように席につき、新聞の文字を辿っているのか、目が右へ左へと動いている。
「何、何なの?」
エルバはフォークを置き、僅かに身を乗り出して尋ねた。
「義賊ブラックパンサーは殺人鬼」
ヴィックは新聞の見出しらしきものを音読した。
「凶悪、一三人を殺害。慈悲もなし」
「ブラックパンサーって、あのブラックパンサー?ただの盗人じゃなかったの?」
エルバはナプキンで口を拭く。
ベーコンの油と焦げが、白い紙に付着した。
〈
セキュリティも厳重な大富豪の邸宅から現金や宝物を鮮やかに盗み出し、それを主に貧しいビーティの住む地区でばらまく。
俗にいう義賊というやつだが、義賊だろうが怪盗だろうが薄汚い盗人に変わりはない。
エルバはそう考えているが、ヴィックは違うのである。
「嘘だろ?ブラックパンサーが殺人なんて、するわけない」
ヴィックは新聞に向かって話しかけているかのようだ。
エルバはため息を一つつく。
「悪党は悪党だったって、それだけのことでしょ」
「ブラックパンサーは義賊だぞ。
それに、盗みに入った家でも誰一人殺さないんだ」
「じゃあ、方針転換したんじゃない」
「そんなわけないだろ」
あんたはブラックパンサーの何を知ってるのよ。
エルバはそう思いながらスクランブルエッグをフォークですくう。
ヴィックは義賊ブラックパンサーのファンなのだ。
エルバがどんなに盗人は盗人だと言ってやっても耳を貸さない。
見たこともない犯罪者に勝手な崇敬を抱き、立派な人物だろうと夢想している。
「鶏ささみサラダと、ロールパンのモーニングセットでございます」
ウェイトレスが注文した品を運んできた。
必死に新聞の文字を追うヴィックの代わりにエルバがウェイトレスに感謝を述べ、机の上に置かれた鶏ささみサラダを、家から持ってきたゾーイの餌皿に移す。
ゾーイは飼い主の様子など意に介さず、がつがつと食事を開始する。
「嘘だろ。おれは信じない。信じないぞ」
「それが、現実なの。受け入れなさいよ」
呟くヴィックにエルバは諭すように語り掛けるが、ヴィックの耳には届いていないようだった。
憧れの対象が無慈悲な殺人鬼であるという事実でさえ、ヴィックの目を覚まさせる効果をもたらさなかったことをエルバは少し残念に思った。
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