V ヒーローに憧れる少年
鳥を二羽、鹿を一頭。
今日の獲物をリンダの集落まで運んだ。
休む間もなく原始的な方法で木を三本伐った。
それをばらしてリンダの集落まで運んだ。
へとへとになって家に帰ったら、飯がない。
なんて仕打ちだ。酷すぎる。
「ヴィック、何か食べたいなら適当に食べてくれる?」
エルバは「お帰り」もなく、冷たく告げたきり、村に二台しかないパソコンの画面にかじりついている。
「何か食べたいならって、当たり前だろ。
働いて働いて、こんな遅くに帰って来てるんだぞ。お腹ぺこぺこだよ」
ヴィックはエルバの背中に不満を申し立てる。
外はもう暗い。色時計は深夜を示すコバルトブルー。
おやっさんなんて、とっくに寝ている時間だ。
こんなになるまで働いて、疲れて腹を空かして帰ってきた自分に対して、この仕打ちは酷いじゃないか。
言外にその思いを込める。
「うるさいなぁ。だから適当に食べてって言ってるでしょ」
エルバは振り返りもせずに返してきた。にべもない。
自宅のだだっ広いLDKに空腹を抱えたまま立ち尽くすヴィックは、エルバの背中を憎々しく睨みつけてやった。
しかし、それで腹が膨れるわけではない。疲労が回復するでもない。
なんだか虚しくなったヴィックはエルバの背から視線を逸らし、キッチンの方へ足を向ける。
「ゾーイ。お前だけでも、せめてお帰りって言ってくれよ」
途中、床の上に寝そべるゾーイに話しかけたが、耳を少し動かしただけでこちらを見ようともしない。
最初から狼に返答を期待していたわけでもないが、それにしたって塩対応だ。
まったく、この家の女ときたら……、などと思いながらヴィックは冷蔵庫を開けた。
食材はあまり豊富とはいえなかった。
残り物と思われる冷や飯とバターを一かけら、保存食置き場にあった鶏の缶詰を手に取り、ヴィックはコンロに向かう。
「なんか、事件でもあった?」
フライパンにバターを入れて熱してから、冷や飯を投入。
固まったご飯を料理用のへらでほぐすように広げていく。
「んー、まあね」
エルバはそれ以上説明しようとはしない。
「どんな事件?」
鶏の缶詰をフライパンの中にぶちまけて、ぐるぐるぐるぐる掻き混ぜる。
「部外者に言えるわけないでしょ」
「ふーん、あっそ」
機嫌のいいときは自分から事件の内容をぺらぺらと喋るくせに。
全体に満遍なく火が通ったところで、仕上げに岩塩をぱらぱらと振りかける。
簡単、鶏のピラフの完成だ。
皿に移してテーブルの上に持って行くと足元にゾーイが寄ってきた。
尻尾を振って口を開けて、ピンクの舌を見せている。
間違いなく寄越せと言っている。
「仕方ないなぁ。ちょっとだぞ」
ヴィックはゾーイの餌皿にピラフを少量、移してやった。
ゾーイはがつがつとピラフを犬食いし始める。
こうして見ていると、でかくて厳ついただの犬にしか見えない。
スプーンを手に取ってヴィックは食事を始める。
ゾーイは早くも完食したらしく、長い舌を伸ばして鼻を舐めている。
ありあわせのもので作ったにしては、なかなかに美味いじゃないか。
自分の料理の腕前に感心しながら、あっという間に皿を空にした。
「はぁ、足りないな……」
ヴィックは自らの腹部に手を当ててぼやいた。
いくら美味でも量が足りない。
食べ盛り男子であるヴィックのお腹はちっとも満足しなかった。
もともと、お腹と背中がくっつきそうなほど腹が減っていたのだ。
ヴィックはエルバの背中に声を掛ける。
「エルバ。食い物、もっとない?」
「ない」
傍らに置いたポテトチップスを摘まみながら、エルバが短く答える。
そのポテチは食い物じゃないんですか?
そう問いたくなるのを堪えて、ヴィックはぼそっと呟いた。
「こんな時間にポテチなんか食ってたら、太るぞー」
女の子に「太る」は禁句だ。
特にエルバくらいの年頃の女子にとってはなおさら。
それくらいのことはヴィックだって知っているが、あえてその言葉を使わせてもらった。
エルバは今日、初めて振り返った。
その目に浮かぶのは恥じらいか、怒りか。
「うるさい!!そんなことあんたに言われなくたって分かってる!」
同じ屋根の下で自分の祖父が眠っているというのに、エルバは夜を切り裂く甲高い声を発した。
ティッシュの箱を投げようとするかのように掴んで振りかぶる。
しかし考え直したか、一つ息をついてからポテチの袋を持ってヴィックのもとまでやってきた。
かなりむすっとした顔だ。
「欲しいならあげる。食べれば?」
そう言ってヴィックの前にポテチの袋を放って、腕を組みつつ、ぷいとそっぽを向いた。
横を向いた際にさらっと流れたエルバの黒髪から、良い香りが漂ってくる。
「お前、良い匂いするな。風呂上がり?」
「な、な、な……。そ、そうだけど?風呂上がりだけど?それが何?悪い?」
「いや、別に。ポテチ、ありがとな」
ヴィックは何故か動揺しているエルバに礼を言ってポテチを口に運ぶ。
爽やかな酸味と独特の風味。サワークリームオニオン味だ。
エルバはこの味を特に好む。
「あんたもお風呂、入りなさいよ。臭いんだから」
エルバは年頃の男子の心を抉る台詞を残してパソコンの方へ戻っていった。
さっきの太る発言への仕返しのつもりだろうか。
だとしたら、大いに功を奏したと言える。
ヴィックの心は包丁で一突きされたように傷付き、ひと時ポテチを摘まむ手が止まった。
ゾーイが場の空気を読んでか読まずか「ふん」と大きく鼻を鳴らした。
『貴方は選ばれたのです。ヴィック』
涼やかな女性の声が厳かに告げる。
金色の髪を腰まで垂らした、おしとやかを絵に描いたような美女が、ハープを爪弾きながらヴィックに微笑みかけている。
『貴方こそ、この世界サントピーコを救うために天が遣わした勇者。
さあ、旅立ちなさい。勇敢なる意志と共に、無限の可能性を秘めた旅へ。
世界中の人々が貴方の到来を待っているのです。さぁ、ヴィック――』
「うひゃぁほぉーい!」
女神の託宣にこんな間の抜けた返事をしたのは、世界広しと言えどヴィックだけだろう。
涼やかな声音に名を呼ばれた瞬間、ヴィックの足の裏を抗いがたいむずがゆさが襲った。
生暖かく柔らかな何かが触れてきて、滑らかに足の裏を滑る感触。
瞬時に覚醒したヴィックは間抜けな叫び声を上げて、がばっと上半身を起こしていた。
「ああ、ゾーイか……」
ベッドの上に上がってきたゾーイがヴィックの顔を一舐めして尻尾を振っている。
開け放しにした窓から開け放しにした部屋の扉へと早朝の涼風が吹き込み、狼の唾液のついた顔と足裏を冷やしていった。
日はまだ低い所にあるといった頃合いだろうか。
通常であればヴィックの起きる時間ではない。
「なんか、良い夢をみてた気がするなぁ」
呟いてまたベッドに倒れ込むとゾーイが軽く腕を噛んできた。
これを放っておくと、じきに甘噛みでは済まなくなる。
このまま抵抗するのは良い選択ではない。
「わかったよ、起きる。起きればいいんだろ」
ヴィックはゆっくりと起き上がって欠伸を一つ漏らした。
寝起きの意識は未だ、靄がかったように曖昧だ。
ベッドから降りてのそのそ動くヴィックを、ゾーイの金色の瞳が満足そうに見つめていた。
「やっと起きたか。ご苦労様、ゾーイ」
リビングでパソコンの脇に立っていたエルバが、一仕事を終えて駆け寄ってきたゾーイの頭を撫でている。
エルバは長い黒髪を三つ編みにして、顔の両脇に垂らすいつものスタイルだ。
レンジャーの制服に身を包み、出掛ける準備は万端といった風情である。
一方のヴィックは寝起き姿のまま、髪すら整えずにエルバの前に顔を出した格好となる。
「もう、だらしない。寝ぐせも酷いし」
「ゾーイに起こされたんだよ……」
ヴィックは食卓に備え付けられた椅子に腰かけ、うなだれるような格好でテーブルに肘をつく。
目の端に映った色時計はまだエメラルドグリーンだ。
「私が起こしてきてって頼んだの」
「はぁ?なんでだよ?」
ヴィックはエルバを睨みつける。
自分をこんな朝早くに叩き起こす権利など誰にもないはずだ。
「俺から説明してやる」
満を持したといった態で、パソコンの前に座っていたおやっさんが口を開いた。
「ヴィック。お前、ちょっくらロンボまで行ってきてくれねぇか」
育ての親のいきなりの申し出に、ヴィックは面食らって固まるばかりだ。
「ちょっと、おじいちゃん。説明端折りすぎ」
「結論から言った方が分かりやすいだろ」
「さすがに酷すぎるよ。説明してやるとか自分で言っといて。
ただでさえヴィックは馬鹿なんだから、それで分かるわけないでしょ」
さりげなくヴィックを貶したエルバは腰に手を当てると、ぽかんと阿保面を浮かべているヴィックを見やった。
「仕方ない。私が説明する」
腕を組んでなされたエルバの説明曰く――、
昨日、ミスター・ナルバエスのところに泥棒が入った。
被害者、つまりミスター・ナルバエスから預かった屋敷の監視映像には、幸いにも犯人の顔がばっちり映っていた。
さっそく公開手配をしたところ、犯人の足取りが判明した。
ヴェルデ大森林を大河川ゲレーロ沿いに北上して辿り着く港町ロンボ。
その地の監視装置が犯人の姿を捉えたらしい。
「ロンボの自警団に捜索を頼んだんだけど、人員不足で手が回らないんだって。
それで、私たちが現地に赴こうって話になったんだけど――」
エルバは木製のテーブルの脚の下で寛いでいるゾーイにちらりと目を向けた。
「ゾーイがいた方が捜索がはかどるでしょ。ほら、臭いとか追って。
だからゾーイを連れていきたいの。
で、あくまで、ついで、ついでだから!
あんたもくればいいんじゃないかって。
あんた一応、ゾーイの飼い主でしょ。
まあ、来たくなければ別にいいけど」
「お前、ロンボに行きたがってただろ。ちょっくら行ってきたらどうだ」
おやっさんは、近所にお遣いに行ってきてくれ、とでもいうような軽い調子で言うが、ロンボに行くにはそれなりの準備がいる。
それでもヴィックの胸は高鳴った。
港町ロンボは、この辺りではかなりの都会に当たる町だ。
「行きたい!行くよ!行く行く!おれ、ゾーイの飼い主だもんな、うん!」
ゾーイの飼い主とはいうが、実のところ、幼き日にエルバとのジャンケンで勝ち取っただけの頼りない権利だ。
しかし、今は高らかにそれを主張するときである。
いつか都会に住みたいと漠然と望むヴィックにとって、港町ロンボは憧れの地だ。
そのために今はお金を貯めている。
したくもない仕事、狩猟や伐採も夢のためと我慢できた。
二つ返事をしたヴィックは、目をキラキラと輝かせてまだ見ぬ未来へ胸を膨らませた。
「言っとくが、ヴィックにも来てもらったらどうかって言いだしたのは、エルバだからな」
「ちょっと、おじいちゃん!それは言わなくてもいいってば!」
何やら赤面している様子のエルバに気が付くわけでもなく、ヴィックは寝起きの気怠さも吹き飛び、その場でくるくる回りながら子供のように飛び跳ねた。
「ひゃっほう!ロンボだ、ロンボだー!」
たとえ旅の目的が、傲慢な変わり者でリンダの集落の誰からも嫌われている元サッカー選手のためだとしても。
森で偶然出くわすと、斧を持ったヴィックをヒゲなしドワーフだと罵ってくる嫌なおっさんのためだとしても。
ヴィックはいっときその事実を忘れ、快哉を叫んだ。
色時計も青みを残すうちに出発の支度をしたヴィックとエルバとゾーイの身は、太陽が中天にさしかかる昼前頃には、樹々の生い茂るヴェルデ大森林の小道の中にあった。
ゲレーロ川沿いの道を川の流れに逆らわず進んでいけば、いずれ港町ロンボへ辿り着く。
「なあ、エルバ」
ヴィックは旅の道連れに話しかける。
エルバはヴィックの右隣を歩いている。
「ナルバエスのおっさんは、幾らくらい盗られたんだ?」
「五百万ベラくらいって言ってたけど」
「五百万?うわー、それくらいあればロンボで暮らせるなぁ」
「しばらく働かないで済むくらいね。
それにしてもあんたって、そんな発想しかないわけ?」
エルバは軽蔑するように言って、わざとらしく大きなため息をついた。
「馬鹿と煙は、高い所と都会が好きだわねぇ」
「高い所が好きってのはよく言うけど、都会も好きだなんて聞いたことないぞ」
「私が今、作ったの」
エルバは腰まで達するおさげ髪を揺らしながら歩いている。
こんなに髪が長くて邪魔じゃないのかとヴィックは思うが、エルバの髪に対する思い入れは強い。
肌はヴィックと同じ褐色だ。この辺りでは白肌の人を探す方が難しい。
「エルバ。犯人の顔、見せて」
エルバは「また?」とでも言いたそうな顔をしたが、黙って制服の胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
ヴィックは紙を受け取って開く。若いだけの冴えない男の顔が現れる。
これが、ヴィックたちが追うべき泥棒の顔だ。
ヴィックが旅の支度を整えている間、機械に疎いおやっさんとエルバが監視映像のワンシーンから改めて作り上げた手配写真である。
夜間の映像から取った画像なので細かい色の判別は難しいが、褐色の肌に暗い髪色の男であることは確かだ。
ヴィックはしげしげ眺めてから手配写真をエルバに返した。
「ナルバエスのおっさんを助けるってのが、ちょっと癪に障るんだよな」
素直な心の内を明かしたヴィックの隣で、エルバが小さく頷いた。
「まあね。でも、仕方ない。それが仕事だもん。
被害者は被害者。どんな人格破綻者であってもね」
「お前って――」
そうやって物事を割り切って考えるよな、そんな感心の言葉をヴィックが発そうとしたとき、数歩先を歩くゾーイが足を止めた。
ぐるぐると喉を鳴らし、何かを警戒するように身体を強張らせている。
ヴィックの右手に紅色の光が溢れ、瞬く間に武器である斧が具現化された。
エルバも槍を構えている。
ゾーイのこの反応はまず間違いなく――、
三匹の手の長い猿が左右の茂みの中から飛びかかってきた。
――怪物だ。
目は爛々と輝き、口からは涎を垂らして、獲物の来訪に興奮を露わにしている。
ヴィックは前に進み出て、一匹の猿の鋭い爪の一撃を斧で受け止めた。
一見、ナマケモノのようなこの怪物の名称は〈怠け物〉とそのまんまであるが、尻尾が二又に別れており、異常に狂暴で敏捷なことからナマケモノと区別できる。
元より怪物とは人肉を好み、獲物を見つければ嬉々として襲い掛かる生命体だ。
起源は不明だが、あらゆる動物や植物、鉱物といった既存のものに似た外見をしていることから、突然変異によって生じたのだという説が最も有力視されている。
ヴィックは斧を振って〈怠け物〉を後方へ吹っ飛ばした。
猿の軽い体は地面に叩きつけられて無防備な腹が露わになる。
すかさずヴィックは猿のもとに一足で駆け、一刀両断を叩き下ろした。
胴体を切断された猿が甲高い叫喚をあげる。
断面から溢れ出た血が、か細くなっていく断末魔と共に、薄くなって消えていく。
小さな粒子になって細かく散りゆくように、血の一滴も毛の一本すら残さず、ゆらりと空気に溶けていった。
ヴィックは血の汚れの一つも残っていない斧を、肩に担ぎ上げた。
風に前髪を遊ばせながらキメ顔をつくる。一仕事、完了。
「ん?」
よく見てみると〈怠け物〉の消えた場所に、二又の尻尾が落ちている。
「やっりぃ、〈遺シ物〉だ」
尻尾を拾い上げて、にんまり笑う。
怪物は倒すと湯気が流れるように消えてしまうが、時折〈遺シ物〉と呼ばれる身体の一部を残すことがあった。
動物であれば角や皮、歯や骨など、植物であれば茎や根など、種類は多岐に渡る。
専門の店に持って行けば金と換えてくれるので、旅人のよい資金源となっていた。
振り返ると、エルバもゾーイも敵を片付けたあとらしかった。
〈怠け物〉はヴェルデ大森林によく出没する雑魚怪物だ。
毎日のように大森林に出入りする自分たちが、さして苦戦するはずもない。
ヴィックは二又の尻尾をふりふり振って見せびらかすようにしながら、エルバに近づいていった。
「見てみろよ、エルバ。〈遺シ物〉だぞ、〈遺シ物〉」
「そう、よかったね」
エルバの態度はつれないが、ヴィックの上機嫌は止まらない。
「いくら値がつくかなぁ。ちょっとした小遣いだぞ。羨ましいだろ、エルバ」
「別に」
エルバはヴィックのほくほく顔を視界に入れようともせず、淡々と答えた。
「お金があったって、ちゃんとした使い方を知らなきゃ意味がないでしょ」
エルバの説教じみた嫌味も、今のヴィックには通じない。
ヴィックはしばらくの間、戦利品を見せびらかすように、手で持って振りながら歩いた。
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