第7章: 運命の実験

 王宮の大広間は、重苦しい空気に包まれていた。高い天井から吊るされた幾何学的なシャンデリアが、微かに揺れている。壁には複雑な数式が刻まれ、その数式が生命を持つかのように蠢いているように見えた。


 アリアは、カルタン・ヴェクトリアス14世の前に跪いていた。彼女の背後には、ティモシーとマギウスが緊張した面持ちで控えている。国王の周りには、保守派の重臣たちが厳しい表情で並んでいた。


 アリアは深呼吸をし、決意を込めて口を開いた。


「陛下、私たちは魔法・科学・数学の三位一体理論『無限収束』の大規模実験を提案いたします」


 その言葉に、広間に小さなざわめきが起こった。カルタン・ヴェクトリアス14世は、眉をひそめながらもアリアに続きを促した。


「その実験とは、いったいどのようなものだ?」


 アリアは立ち上がり、空中に複雑な数式を描き始めた。その数式は、まるで生きているかのように輝き、蠢いていた。


「この理論は、魔法のエネルギーの流れを数学的に記述し、科学の法則と融合させるものです。実験が成功すれば、我が国の魔法技術は飛躍的に進歩し、さらには社会問題の解決にも貢献できるはずです」


 アリアの言葉に、重臣たちの間で議論が持ち上がった。ある者は興味を示し、ある者は危険だと主張する。


 カルタン・ヴェクトリアス14世は、静かにアリアを見つめた。


「しかし、その実験には危険はないのか?」


 アリアは一瞬躊躇したが、すぐに決意を固めて答えた。


「危険は完全には排除できません。しかし、私たちは細心の注意を払って準備を進めてきました。この実験は、我が国の未来を左右する可能性を秘めています」


 国王は深く考え込んだ。広間は静寂に包まれ、誰もが国王の決断を待っていた。


 やがて、カルタン・ヴェクトリアス14世はゆっくりと口を開いた。


「よかろう。実験を許可する。しかし、もし失敗すれば、お前たちには重い罰が課せられることを覚悟しておけ」


 アリアは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、陛下。必ずや成功をお見せいたします」


 広間を後にする際、アリアは仲間たちと目を合わせた。彼女たちの目には、希望と不安が交錯していた。セイントナンバー王国の運命を賭けた実験が、今まさに始まろうとしていたのだ。



 セイントナンバー王国の首都ピタゴラスは、かつてない緊張感に包まれていた。アリアが提案した魔法・科学・数学の三位一体理論「無限収束」の大規模実験が、今まさに始まろうとしていたのだ。


 実験場となる王立広場は、巨大な正十二面体の神殿を中心に、複雑な幾何学模様が刻まれた石畳が広がっていた。その石畳は、まるでフラクタル図形のように、中心から外へと無限に続くかのような錯覚を引き起こす。朝日を受けて、その模様が神秘的な輝きを放っている。


 アリアは、実験装置の最終確認を行っていた。彼女の周りには、複雑な数式が空中に浮かび上がっているかのように見える。これは、彼女が開発した「数式可視化」の魔法だ。


「理論上は完璧なはずよ。でも……」


 アリアの心の中に、不安が渦巻いていた。準備の過程で、彼女は理論の致命的な欠陥に気づいていたのだ。しかし、もはや後戻りはできない。


 ティモシーが、アリアの肩に手を置いた。


「大丈夫です、先生。私たちはあなたを信じています」


 マギウスも、静かに頷いた。


「この実験の成功が、王国の未来を変える。失敗すれば追放の危機だ。だが、真の魔法使いは、未知への挑戦を恐れない」


 アリアは深く息を吐き、決意を固めた。


「ポアンカレが言ったわ。『科学者は疑わなければならないが、懐疑主義者であってはならない』って。私たちは、この理論を信じなければ」


 実験開始の時間が近づくにつれ、広場には大勢の観衆が集まってきた。王族、貴族、学者たち、そして一般市民まで、様々な階層の人々が、この歴史的瞬間を見守ろうとしていた。


 カルタン・ヴェクトリアス14世も、厳めしい表情で玉座に座っていた。彼の周りには、保守派の重臣たちが、不安げな表情で控えている。


 アリアは実験台の中央に立ち、高らかに宣言した。


「これより、魔法・科学・数学の三位一体理論『無限収束』の実証実験を開始します!」


 彼女の声が、広場全体に響き渡る。アリアは目を閉じ、深く集中し始めた。彼女の周りの空気が、微かに震え始める。


 最初は、何も起こらないかのように見えた。しかし、やがて広場の石畳に刻まれた幾何学模様が、かすかに光り始めた。その光は、まるで生命を持つかのように、蠢き始める。


 観衆からどよめきが起こった。


 光は次第に強くなり、やがて空中に浮かび上がり始めた。複雑な数式と魔法の符号が、まるで天の川のように広場全体を覆い始める。


 アリアの額には汗が滲み、全身が緊張で震えていた。しかし、彼女の表情には強い決意が宿っていた。


「理論通りよ。あとは最後の段階を……」


 しかし、その時だった。


 突如として、空中の数式が激しく歪み始めた。アリアの目が大きく見開かれる。


「まさか、こんな所で……!」


 彼女が恐れていた理論の欠陥が、今まさに現実となろうとしていたのだ。


 数式の歪みは、瞬く間に広場全体に広がっていく。地面が揺れ始め、観衆から悲鳴が上がった。


「先生!」


 ティモシーが叫んだ。

 マギウスは、必死に魔法で状況を制御しようとしていたが、その力も及ばない。

 そして、その時だった。


 轟音が広場を揺るがした瞬間、世界が一変した。まるで神の怒りを具現化したかのような巨大な光の柱が、天を貫いた。その眩い光は、見る者の網膜を焼くかのような強烈さで、広場の中心から垂直に立ち上がっていく。光柱は天空へと伸び、雲を貫き、その先は果てしなく続いているようだった。


「逃げろ!」


 誰かが叫んだ。


 その瞬間、パニックが広がった。人々は我先にと逃げ出し、広場は阿鼻叫喚の修羅場と化した。子供の泣き声、女性の悲鳴、男たちの怒号が入り混じり、地獄絵図を作り出していく。


 地面が唸るような音を立て、亀裂が走り始めた。その亀裂は、まるで生き物のように広場中を這い回り、次々と地面を裂いていく。裂け目から噴き出す土煙が、さらに混乱に拍車をかける。


「建物が!」


 誰かの叫びに、人々が顔を上げる。広場を囲む建物が、まるでスローモーションのように崩れ始めていた。レンガや石が雨のように降り注ぎ、逃げ遅れた人々を飲み込んでいく。悲鳴が響き渡る中、巨大な柱が地面に激突。その衝撃で、さらに多くの建物が倒壊の危機に瀕した。


 この混沌の中心で、アリアは立ち尽くしていた。彼女の表情には、言葉では表現できないほどの恐怖と決意が交錯していた。髪は乱れ、顔には土埃が付着している。それでも、彼女の目は光柱を凝視していた。


「これはいったい……」


 彼女の声は、周囲の騒音にかき消されそうだった。


 アリアは震える手を上げ、複雑な魔法陣を描き始める。彼女の周りだけ、まるで別世界のように静寂が広がっていた。


「最後まで……私は……!」


 彼女の叫びとともに、新たな光が彼女の周りを包み込んだ。アリアは、自身の命を賭して、暴走する実験を制御しようとしていた。


 しかし、光柱はますます強さを増していく。建物の崩壊音、人々の悲鳴、地割れの轟音。そして、それら全てを圧倒する光柱の唸り。


 セイントナンバー王国の首都ピタゴラスは、今まさに破滅の淵に立たされていた。そして、その運命を左右するのは、一人の女性の決意と、彼女が信じる理論の真実性だった。


「諦めるわけにはいかないわ。この理論には、きっと真実がある。ダーウィンの言葉を思い出すわ。『生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである』。私たちの理論も、この危機を乗り越えて進化しなければ」


 アリアは、全身全霊の力を振り絞って、暴走する実験の制御に挑んだ。ティモシーとマギウスも、彼女の傍らで全力を尽くす。


 天を貫く光の柱は、さらに強さを増していく。その光は、まるで王国の未来そのものを象徴しているかのようだった。成功か失敗か、栄光か追放か。全てがこの瞬間にかかっていた。


 セイントナンバー王国の運命を賭けた実験は、予想外の展開を見せながら、その結末へと向かっていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る