第6章: 陰謀と対立

 セイントナンバー王国の首都ピタゴラスは、夜の帳に包まれていた。王宮の巨大な正十二面体の輪郭が、月明かりに浮かび上がる。その幾何学的な美しさは、昼間とは異なる神秘的な雰囲気を醸し出していた。


 王宮の一室で、アリア、ティモシー、マギウスの三人は、カルタン・ヴェクトリアス14世との謁見を終えたばかりだった。彼らの理論に国王が強い関心を示したことで、希望に胸を膨らませていた。


「国王陛下が私たちの理論に興味を持ってくださって、本当に良かったわ」


 アリアは安堵の表情を浮かべた。


「でも、保守派の反対も根強いようですね」


 ティモシーが心配そうに言った。

 マギウスは窓の外を見つめながら静かに言った。


「変革には常に抵抗がつきものだ。しかし、それを乗り越えてこそ、真の進歩がある」


 三人は今後の方針について話し合っていたが、ティモシーが突然立ち上がった。


「すいません、ちょっとお花を摘みに……」


 ティモシーは廊下に出た。王宮の廊下は、フィボナッチ数列に基づいて設計された螺旋状の構造をしており、その美しさは見る者を魅了した。しかし、ティモシーの耳に聞こえてきたのは、その美しさとは対照的な陰謀の囁きだった。


 王宮の螺旋状の廊下の奥、薄暗い階段に二人の人影が潜んでいた。月明かりが幾何学的な模様の窓から差し込み、彼らの姿を部分的に照らし出している。一人は年老いた男性で、もう一人はより若い男性のようだった。


「あの者たちを何としても追放せねばならん。彼らの理論は我が国の根幹を揺るがす危険思想だ」


 老人の声は低く、しかし激しい怒りを含んでいた。彼の手は震え、影の中で拳を握りしめているのが見えた。


「しかし、国王陛下は……」


 若い方の男性が躊躇いがちに言葉を発した。その声には不安と迷いが混ざっていた。


「陛下にはわかっていただく。我が国の伝統を守るためだと」


 老人は若い男性の言葉を遮るように言い切った。彼の声には、揺るぎない決意が込められていた。


 二人の周りの空気が、まるで凍りついたかのように静まり返る。王宮の幾何学的な装飾が、彼らの陰謀を無言で見つめているかのようだった。


 老人は若い男性の肩に手を置いた。その手には、長年の経験と権力が宿っているかのような重みがあった。


「覚えておけ。数学こそが我が国の礎だ。それを揺るがすものは、たとえ魔法であろうと科学であろうと、排除せねばならんのだ」


 若い男性は黙って頷いた。彼の表情には、決意と不安が入り混じっていた。


 二人は周囲を警戒しながら、別々の方向に去っていった。彼らの足音が廊下に響き、やがて闇に吸い込まれていく。


 そして、彼らが去った後、廊下の影からティモシーの姿が現れた。彼の顔には驚きと恐怖が浮かんでいた。ティモシーは急いで仲間のもとへ戻るため、足早に廊下を駆け抜けていった。


 ティモシーは息を潜め、声の主を確認しようとしたが、姿を見ることはできなかった。彼は急いで仲間のもとへ戻った。


「大変です! 保守派が私たちを国外追放しようと企んでいます!」


 アリアとマギウスは驚愕の表情を浮かべた。


「まさか……」


 アリアの声が震えた。

 マギウスは冷静さを保ちながら言った。


「我々には時間がない。理論がもたらす利益を証明しなければ」


 アリアは決意を新たにした。


「そうね。ニュートンの言葉を借りれば、『真理を知ることと、それを証明することは別物である』。私たちは今、証明の段階に来ているのよ」


 王宮の一室は、緊迫した空気に包まれていた。アリア、ティモシー、マギウスの三人は、円形のテーブルを囲んで座っていた。テーブルの上には、複雑な数式が記された羊皮紙や、古代の魔法書が散らばっている。窓から差し込む月明かりが、三人の真剣な表情を浮かび上がらせていた。


 マギウスが、深いため息とともに口を開いた。


「私の魔法で、王国の隠された問題点を可視化できるかもしれない」


 彼は立ち上がり、杖を取り出した。杖の先端に輝く宝石が、かすかな光を放つ。


「真実顕現の術を使えば、社会の歪みを目に見える形で示すことができる。それを証拠として提示すれば……」


 アリアは、マギウスの言葉に頷きながら、自分の役割を述べ始めた。


「私は理論の完成度を高めるわ。不眠不休になるかもしれないけど、それだけの価値はあるはず」


 彼女は、テーブルの上の羊皮紙を手に取り、複雑な数式を指さした。


「理論をより洗練させ、実用性を高める必要があるわ。リーマン予想の応用で、魔法エネルギーの効率的な制御が可能になるかもしれない」


 アリアの目には、知的興奮と決意の色が宿っていた。


 ティモシーは、二人の言葉に刺激を受けたように、熱心に自分の案を説明し始めた。


「あたしは学生たちとの交流を深めます。若い世代の支持を得られれば、変革の大きな力になります」


 彼女は、ポケットから小さなメモ帳を取り出し、そこに記された学生たちの名前を指さした。


「既に何人かの学生と親しくなっています。彼らを通じて、私たちの理論の重要性を広めていけるはずです」


 三人は、互いの目を見つめ合い、無言の了解を交わした。それぞれが、自分の役割の重要性を深く理解していた。


 時が過ぎ、夜が明ける頃、三人の準備は整った。書類や道具をまとめ、行動開始の時を待つ。疲労の色が濃くなりつつあるアリアの表情に、それでも決意の光が宿っていた。


 アリアは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。朝日が地平線から顔を覗かせ始め、その光が彼女の銀髪を優しく照らす。彼女は振り返り、仲間たちに向かって言った。


 その言葉には、これから始まる戦いへの覚悟と、未来への希望が込められていた。新たな一日の始まりとともに、彼らの挑戦も幕を開けようとしていた。


「カント曰く、『私たちは自分の理性の光によって導かれる勇気を持たなければならない』。今こそ、その時ね」


 朝日が王宮の正十二面体を照らし始めた。その輝きは、まるで彼らの決意を後押しするかのようだった。セイントナンバー王国の未来を左右する戦いの幕が、今まさに上がろうとしていた。


 アリアたちは、王宮を後にし、一時的に身を隠すことにした。彼らが選んだのは、かつて訪れた幾何学大学の地下図書館だった。そこは、古代の数学書が所狭しと並ぶ迷宮のような空間で、保守派の目が届きにくい場所だった。


幾何学大学の地下図書館は、幾世紀もの数学的叡智が凝縮された神秘的な空間だった。高い天井から吊るされた幾何学的な照明が、古びた書棚や大理石の床に柔らかな光を投げかけている。


 図書館の中央には、息を呑むほど壮大な立体モデルが展示されていた。それは、リーマン面を表現した複雑な構造物で、半透明の素材で作られたその曲面は、光を受けて妖しく輝いていた。無限に広がる曲面は、まるで数学的宇宙の縮図のようだった。


 アリアは、その立体モデルの前に立ち、深い思索に沈んでいた。彼女の翠の瞳には、モデルの複雑な曲線が映り込んでいる。


「この曲面の特異点に、魔法のエネルギーの流れを重ね合わせれば……」


 アリアの指が、まるでモデルに触れるかのように空中で踊り始めた。その動きは優雅で、まるで目に見えない数式を紡ぎ出しているかのようだった。彼女の周りの空気が、微かに震えている。


「ゼータ関数の非自明な零点が、魔法のエネルギーの結節点と一致する可能性があるわ」


 彼女の呟きは、図書館の静寂の中に吸い込まれていった。


 一方、図書館の隅では、マギウスが古代の魔法書を丹念に調べていた。彼の周りには、かすかに光る魔法の粒子が舞っている。その光景は、まるで星雲の中心に座る賢者のようだった。


「魔法と数学の融合……古の魔法使いたちも、似たようなことを試みていたようだな」


 マギウスの澄んだ声が響いた。彼女の指が、黄ばんだページをゆっくりとめくる。


「彼らは、数式の中に魔法の真髄を見出そうとしていたのか」


 図書館の別の一角では、ティモシーが学生たちと密かに会合を開いていた。彼らは円陣を組み、小さな声で熱心に議論を交わしている。


「変革の波は、若者たちから始まるんです」


 ティモシーの言葉に、学生たちの目が希望に満ちて輝いた。彼らの表情には、新しい時代への期待と、変革への決意が表れていた。


「私たちにも、何かできることがあるはずです」


 ある学生が、静かに、しかし力強く言った。その言葉に、他の学生たちも頷いた。


 図書館全体が、静かな緊張感に包まれていた。アリアの理論構築、マギウスの証拠集め、ティモシーの支持拡大。三つの営みが、この古の知の殿堂で同時進行していた。それは、セイントナンバー王国の未来を左右する、静かなる革命の始まりだった。


 天井の幾何学的な照明が、三人とその仲間たちの姿を優しく照らし出していた。その光は、まるで彼らの挑戦を祝福しているかのようだった。


 時が過ぎるにつれ、アリアたちの活動は少しずつ実を結び始めた。マギウスが集めた証拠は、王国の抱える問題点を明確に示していた。ティモシーの尽力により、若者たちの間でアリアたちの理論への支持が広がっていった。


 そして、アリアの理論は日に日に洗練されていった。彼女は、魔法のエネルギーの流れを複素関数論を用いて記述し、その挙動を予測する方程式を導き出した。


「これで、魔法と科学と数学の真の融合への道が開けるわ」


 アリアの目に、確信の色が宿った。


 しかし、彼らの活動は保守派の目をも引いていた。王宮では、アリアたちの追放を求める声が日増しに大きくなっていた。


 カルタン・ヴェクトリアス14世は、板挟みの状態で苦悩していた。彼は、アリアたちの理論が王国にもたらす可能性を理解しつつも、伝統を重んじる声にも耳を傾けざるを得なかった。


 緊張が高まる中、アリアは最後の賭けに出ることを決意した。


「私たちの理論を実証する大規模な実験を提案しましょう。それが成功すれば、誰もが理論の価値を認めざるを得なくなるはず」


 ティモシーとマギウスも同意し、三人は実験の準備に取り掛かった。


 王国の未来を左右する戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。アリアたちの前には、成功という栄光か、追放という運命が待ち受けていた。


 夜空に輝く星々を見上げながら、アリアは静かに呟いた。


「ガリレオ・ガリレイの言葉を借りれば、『それでも地球は回っている』。真理は、必ず明らかになる。私たちの理論も、きっとこの世界を動かすはず」


 その言葉には、困難に立ち向かう強い決意が込められていた。セイントナンバー王国の夜は更けていったが、新たな夜明けがやがて訪れることを、三人は確信していたのだった。

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