第4章: 社会問題の発見
セイントナンバー王国の首都ピタゴラスの朝は、いつもの数式の調べとともに始まった。しかし、アリア、ティモシー、マギウスの三人の心には、前日の幾何学大学でのセミナーの余韻が残っていた。彼らは、この国の社会をより深く理解するため、王国の裏通りを探索することにした。
華やかな表通りとは打って変わり、裏通りは狭く、薄暗い雰囲気に包まれていた。建物の壁には、複雑な数式が刻まれているものの、その多くが風化し、かすれていた。三人は静かに歩を進めた。
突如、アリアが足を止めた。彼女の目の前に広がっていたのは、想像もしなかった光景だった。古びた建物の軒先で、多くの人々が肩を寄せ合い、寒さをしのいでいる。彼らの服装は質素で、目には疲労の色が濃く表れていた。
「これは……」アリアの声が震えた。
ティモシーが小声で説明した。
「数学が苦手な人々です。この国では、数学の能力によって社会的地位が決まるそうです」
マギウスは深くため息をついた。
「厳格な階級社会の縮図か」
三人は言葉を失い、しばらくその光景を見つめていた。アリアの胸に、痛みのような感情が広がる。
「プラトンは『国家』で理想の統治者像を語りましたが、それは決して一部の才能だけを重視するものではなかったはず。むしろ、多様な才能の調和を説いていたのです」
アリアは静かに言った。彼女の言葉に、ティモシーとマギウスは深く頷いた。
薄暗い路地の奥、古びたレンガの壁に向かって一人の少年が必死に数式を書いている姿が、三人の目に飛び込んできた。少年の背は小さく、服装は質素だったが、その姿勢には並々ならぬ決意が感じられた。
「お願いだ、解けてくれ……」
少年の囁くような声に、切実な思いが込められていた。その声に引き寄せられるように、アリアは思わず足を止め、少年に近づいた。
「何をしているの?」
アリアの優しい声に、少年は驚いて振り返った。大きな茶色の瞳には、不安と希望が入り混じっていた。少年はおずおずと答えた。
「明日、能力試験があるんです。でも、どうしてもこの問題が解けなくて……」
アリアは少年の横に立ち、壁に書かれた数式を注意深く見つめた。そこには、複素関数論に関する高度な問題が記されていた。リーマン球面上の等角写像や、コーシーの積分定理を応用する問題など、大学院レベルの内容だった。
「こんな難しい問題を、君のような若い子に課すなんて……」
アリアの声には、怒りと悲しみが混ざっていた。
彼女の胸に、この国の教育システムへの疑問が湧き上がる。
ティモシーが少年に近づき、優しく尋ねた。
「君には、数学以外に好きなことはあるの?」
その質問に、少年の目が一瞬輝いた。まるで長い間閉じ込められていた何かが、解放されたかのようだった。
「絵を描くのが好きです。風景や人物を描くのが楽しくて……」
少年の声が少し弾んだが、すぐに沈んだ。
「でも、それじゃ食べていけないって……」
その言葉に、三人の胸が締め付けられる思いがした。アリアは少年の肩に手を置き、壁に描かれた数式の隣に、小さな花の絵を見つけた。その絵は稚拙ながらも、生き生きとした表現力を感じさせるものだった。
マギウスが静かに前に進み出た。彼女の目には、何か決意のようなものが宿っていた。
「魔法の力で、君の数学の才能を引き出すことはできるかもしれない」
マギウスの言葉に、少年の目が大きく見開かれた。希望と驚きが入り混じった表情で、少年はマギウスを見上げた。
アリアとティモシーは驚いて振り返った。マギウスの提案は、確かに一つの解決策になるかもしれない。しかし、アリアは躊躇した。
「でも、それは本当の解決になるのかしら? 才能の有無ではなく、多様性を認める社会こそが必要なんじゃないかしら」
アリアの言葉に、ティモシーとマギウスも考え込んだ。彼らは、この国の根深い問題に直面していることを痛感した。
その時、遠くから鐘の音が鳴り響いた。少年は慌てて立ち上がり、お辞儀をして去っていった。三人は、その後ろ姿を見送りながら、重い沈黙に包まれた。
アリアは空を見上げ、つぶやいた。
「アインシュタインは『想像力は知識よりも重要である』と言いました。この国には、数学以外の才能を持つ人々の想像力が必要なのかもしれません」
ティモシーが付け加えた。
「でも、その実現への道のりは険しそうです」
マギウスは静かに頷いた。
「しかし、我々にはその可能性を示す責任がある」
アリアは深く息を吐き、決意を新たにした。
「私たちの理論が、この社会を変える鍵になるかもしれない。魔法と科学と数学の融合が、多様性を認める社会への道を開くのよ」
三人は互いに顔を見合わせ、無言の了解を交わした。彼らの前には、想像以上に困難な課題が待ち受けていた。しかし同時に、その課題に立ち向かうことで、セイントナンバー王国に真の変革をもたらせる可能性も感じていた。
夕暮れ時、彼らは王宮へと向かった。カルタン・ヴェクトリアス14世との謁見の時間が近づいていた。アリアたちの心には、今日見た現実と、これから伝えるべき理論の重みが交錯していた。
王宮に向かう道すがら、アリアは静かに言った。
「フーリエは『自然を深く研究することは、科学のすべての真の源泉である』と言いました。私たちの理論は、まさにその精神を体現しているのかもしれません。自然の中にある多様性と調和を、数学を通じて理解し、そしてそれを社会に還元する……」
ティモシーとマギウスは深く頷いた。彼らの目には、困難に立ち向かう決意と、新たな社会への希望が宿っていた。
王宮の壮麗な姿が、夕陽に照らされて輝き始めた。アリアたちの挑戦は、まさにこれから本格的に始まろうとしていたのだった。
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