ライブ本番



香音さんとのデートを経て、次のライブを踊る決心をしたのはいいんだが。

今になって、少し後悔してきた。


確かにあの時、香音さんの言葉に押されて踊る決心をすることはできた。だが、やはりまだ完璧じゃないダンスを披露するには抵抗がある。


「あれ?井ノ崎くん、どうしたの神妙な顔して?」


日向さんは心配そうに、見つめてくる。


「ああ、ちょっと仕事で大事なイベントがあってさ、ちょっと緊張してて」


仕事内容については、ぼかしつつ話す。 


「そういえば、ダンス同好会にも顔出し始めたのも、仕事のためだったしね」


「そうそう、それで今日が本番なんだよね」


「井ノ崎くん、うちに来てからさらに、ダンスも上達したし大丈夫なんじゃない?」


励まして貰えると、素直に嬉しい。

こういったことを、簡単に言えるからやっぱり、陽キャすごい。


「ありがとう。できるだけ、頑張ってみるよ」


お礼を言うと、日向さんがふと思い出したように顔を輝かせて言った。


「頑張ってね!あっ、そうだ、お礼に井ノ崎くんのイベントで踊ってるところ、見せてもらいたいな!」


「えっ、いや、ちょっと…人前に見せるようなものじゃないから」


ダンスそのものを踊るのは構わないけど、メイド服で踊っている姿をクラスメイトに見せるわけにはいかない。そんなこと、絶対にできない。


「えー、いいじゃん!私もプロの仕事環境を見てみたいよ!」


「いや、そもそもプロじゃないし…」


ダンスの仕事をしていると言うと、日向さんやクラスメイトは俺がプロのダンサーだと勘違いしているみたいだ。最近だとどんどん話が大きくなっている気がする。


「ねぇ、お願い!見せてよ!」


「ごめん、秘密。ほら、授業が始まるよ!」


そう言って強引に話を打ち切り、その場の雰囲気を濁すことにした。




その日の、放課後。

日向さんの追求を回避するため、教室をそそくさと後にし、フェアリーガーデンへ向かっている途中。


「あれ、凜もフェアリーガーデンに向かう途中?」


背後から声をかけられ、振り向くと声の主は姉だった。


どうやら、ちょうど出勤途中のようだ。


「あれ?姉ちゃん、この時間って大学じゃなかったけ?」


「あー、今日の講義が休講だったからね。それで、早めに行こうと思って」


「なるほど、どうりで」


今の姉の格好は、大学に通学している時と違い、眼鏡をかけていて、大分ラフな格好をしている。


「どうりでって、どういうこと?」


姉は、少し不満げに言った。


「いや、いつもみたいに完璧なメイクやファッションじゃないからさ」


「完璧って言い方、ちょっと失礼だなぁ。そもそも大学では、しっかりしたファッションをしてないと、影でコソコソ言われるんだから。バカにされないためにも、エネルギーを使っておしゃれしてるんだよぉぉぉ!」


魂の叫びである。


「その大変さ、よくわかるよ」


自分もメイドとして働くときにはメイクをするけれど、慣れていても結構な時間がかかる。それを毎日大学に行く際に、完璧にこなしている姉は本当にすごいと思う。


「うん、弟が女性の大変さを理解してくれて、姉は嬉しいよ」





しばらくの間は、適当に雑談をしながら、歩いていた。

フェアリーガーデンが近づくにつれて、姉がふいに口を開いた。


「ねえ、凜、なんか緊張してる?」


「え?なんで?」


「いやだって、っぷ」


姉が突然、笑い出した。


「なっ、なんだよ!」


「だって、手と足が同時に出てるんだもん。明らかに緊張してるのがわかるよ。」


「まっ、マジで?」


姉の言葉に、思わず自分の動作を確認してしまう。

どうやら、自分でも気づかないうちに緊張していたようだ。


「やっぱり、今日からライブ踊り始めるの緊張してるの?」


「あっまあ、緊張してるな。ていうか、何で今日ライブをするの知ってるの?」


「ああ、香音さんから連絡来たからね。今日、弟ちゃんがライブするって」


「なるほどね」


ん……待てよ。

ということは、姉はもしかして自分のために、早く出勤してくれたのじゃないだろうか。

自分があの場にいても、過剰に緊張しないですむように。


「ちょっと、何ニヤニヤしてんの?」


「別に……ありがとう姉ちゃん」


やっぱり、うちの姉はツンデレだ。





フェアリーガーデンに入り、バイトが始まった。この日のシフトは、月さん、姉、香音さん、そして自分という、いつもと変わらない面々だった。


「ライブをやるぞ!」と思っていたけど、ライブセットの注文はまだ来ない。

仕方がないので、一旦そのことは頭から追い出して、接客に集中することにした。


「やっほー、凜ちゃん!」


常連のウマ嫁大好きなお客さんが来てくれた。なんだか、この人が俺が出勤している時に来る確率が高い気がする。


「おかえりなさいませ、ご主人様。またお越しいただいて嬉しいです!」


「えっと、じゃあ、メイドのライブセットをもらおうかな」


その瞬間、店内の雰囲気が一変した。香音さん、月さん、姉ちゃんが一斉にこちらを注視している。


「えっ?俺、また何かやっちゃった?」


注目を浴びて、常連さんがまるでなろう系の主人公のように困惑している。


「大丈夫です!何もやってませんよ!ライブ入りまーす!」


そう言って、ステージへと向かう。

ここ一ヶ月、練習に没頭してきた。これほどまでにスポーツに打ち込んだことは今までなかったくらい、必死で頑張った。


周りの人々には本当に支えられた。

月さんにはダンスを一から教えてもらい、香音さんには励ましの言葉をもらい、姉ちゃんには仕事面でのフォローをしてもらった。ダンス同好会の面々にも、練習に付き合ってもらった。


「さて、いよいよ本番だ!」と心の中で自分を奮い立たせ、ステージに立った。

ステージに立った時に足が震える。

あっやっぱり、駄目かもと思う。


香音さんと目が合う。

「凜ちゃん、思いっきり楽しんでー!」

そうだ、もう一生懸命練習はしたんだから、あとは楽しむだけだ!


「それじゃあ、踊ります!」


音楽が流れ始めると同時に、ライブを踊り始めた。

振り付けを頭で考えることはもうやめ、とにかく楽しむことに集中する。

振り付けは身体が覚えてくれているはず、あれだけ練習したんだから。


ステージから見える観客たちの顔が、次第に明るい笑顔に変わっていくのがわかる。皆が楽しんでくれている。そのことが、さらに自分を引き立ててくれる。


ライブがあっという間に終わり、音楽が止んだ瞬間、店内には盛大な拍手が響き渡った。全員が自分に向かって心からの拍手を送ってくれている。


「凜ちゃん、最高だった―!」

「すごくかわいいよー!」


お客さんの賞賛の言葉が飛び交う中、フェアリーガーデンの皆も駆け寄ってきた。


「凜さん、最高でした!」


「凜ちゃん、すごくよかったよ!」


「凜、よかったじゃん!」


月さん、香音さん、姉がそれぞれ褒めてくれる。

その一つ一つの言葉が、心に深く響いた。

凄い充実感に包まれ、心からフェアリーガーデンで働き始めて本当に良かったと思った。







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