【第六夜】
真っ白なアルバムを開いていた。結婚式のときに、カメラマンに頼んで、現像までしてもらったものだ。妻を中心に撮ってくれと頼んだはずだが、どうやらそれはできなかったらしい。俺と妻、均等な枚数が揃っている。
あの日の妻は、特別美しかった。いつでも美しいのは当たり前だったが、あの日だけは、本当に、別格であった。
普段は苦手だと、あまりしない化粧と、髪の毛まで結い上げて、一番良く似合うドレスを身に纏い、いつもの以上に背筋をぴんと伸ばして、俺の横に立っていた。すぐにでも抱きしめてしまいたい可憐さであったが、それで怪我でもしたら大惨事なので、限界を超えて我慢をしたのであった。
夢の中ではあんなにたくさん接吻をしていたが、現実では数秒も持たなかった懐かしい記憶である。本当に、あのときの俺はまだまだ純粋で、美しい妻を前にそんなことをして良いのかわからなかったのだ。なんだか、汚してしまうような気がして。
ゆっくりと、写真に写る妻の輪郭を指でなぞる。あの頬は、こぼれ落ちてしまいそうなほど柔らかかった。あの体は、抱き締めれば折れてしまうような気がするほど、細くて華奢だった。あの瞳は、どんなものでさえ溶かしてしまえるような、暖かい瞳だった。
俺はあなたの全てが愛おしかったのだ。見た目も、中身も、やること成すことも、全てが。彼女の見ている景色の全てを知りたかった。頭の中を覗いてしまいたいくらいだった。だから、進められた本だって読んだのだ。少しでもあなたに近づきたかった。一歩でも、半歩でも、一センチでも一ミリでも。
何でも良かった。あなたのことを知れるなら、愛せるなら。骨を飲むのだってそうだ。あなたに言葉を伝えて、触れて、愛して、愛を伝えることができるから。ゆっくりと手を伸ばして、骨を掴んだ。すり、とあの日のように骨を撫でる。そこに、温かい体温はなかった。
どうしようもなく寂しくなって、いつものように、骨を、口に含んだ。慣れたように、こくり、喉の奥へと、骨を押しやった。夢で会うためにも、そろそろ寝なければならない。ゆるりと立ち上がって、俺は、雪崩れこむように、床についた。
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かちゃり、と書斎のドアが開いた。本から顔を離してなんだい、と問うと、夕飯ができたと言いに来たのです、と言われる。ああ、もうそんな時間か、と、本に栞を挟んで立ち上がった。いいにおいがリビングら漂っている。懐かしい日常だ。妻と結婚してから時間が経ったあとの、安定と穏やかさが先にくる生活。妻が死ぬまではこういう生活をしていた。
仕事をして、帰ってきて、書斎で本を読む。それが日課だった。そして、その生活には必ず、妻がいた。
一番の、朝のお早うの相手は妻であったし、行ってきますも妻、帰ってきてただいまと言うのも、夕飯を隣で摂り、頂きますと言うのも、寝る前に、おやすみと言うのも。
俺の生活には、どこを切り取っても妻がいた。いるのが、いつの間にか当たり前になっていた。愛しいその人が、側にいることが。
なぁ、と言葉をかける。なんですか、と慣れた声で返ってくる。隣にいる妻の進路を塞いで、両腕を広げる。ああ、そういうことですか、なんて顔をしてあなたはこちらに擦り寄ってくる。腕を回して、ぎゅう、と、強く、優しく抱きしめた。
なあ。
はい。
愛しているよ。
私もですよ。
俺は、あなたがたまらなく愛しいんだ。
ええ、よく知っていますとも。
ただから、俺のそばに、いてくれよ。
もちろんですよ。ずっとそばにいます。
本当か。
本当ですよ。
頼んだよ、本当に、お願いだから。
急にどうしたのですか、そう笑いながらは俺の背をぽんぽんと軽く叩いた。どうやら離せということらしい。渋々腕の拘束を解いてやれば、あなたがこちらをまっすぐ見てくる。さぁ、もうお夕飯ですよ、お腹空いたでしょう。早く食べましょ。そう言うあなたに俺は従って、席に座った。
メニューは、俺の好きな麻婆豆腐であった。
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