魔女の宿願12
セルマは転げ落ちるかのよう、坂を下ってゆく。また坂を登るのかと思うと憂鬱ではある。しかし、背に腹は変えられない。レイヴンが側にいなければ、セルマはただの人間と変わりないのだ。
「あのけだものめ、自分から少しはこちらに向かってこようと思わないのだろうか」
「“食事“のすぐに動くのはよくないというだろう。それに君たちならどうにかできると思っていたんだ」
すぐ側で声が聞こえる。視線を横に向けるとレイヴンが並走していた。小さなゴーレムに乗って。
セルマはゆっくりと足を止めると彼も止まる。
「……なにをしている?」
セルマから地の底から這う声が響く。レイヴンはゴーレムに担がれたままにっこりと笑った。
「なかなか便利が良さそうだったから僕も作ってみたんだ。坂道を登るのはたいへんだろう? それに存外、操るのが難しくてね。やっと慣れてきたところだ」
セルマも乗る? 場違いな台詞に、セルマは黙ってゴーレムへと触れた。触れた箇所から銀色の炎が上がり、跡形もなく消えてしまう。地に降り立ったレイヴンは「あーあ」と呟くと顔を横に倒した。先程まで顔面があった場所にセルマの拳が過ぎる。彼は細い腕を掴むとゆっくりと下ろした。
「怒っているのかい?」
「これが怒っているように見えなければ、なにに見えるの」
「君が怒っている理由は、僕がアーシュラ嬢を今危険に晒しているから?」
レイヴンは口元に弧を描きながら、ぐっと顔を近づける。
「君は相変わらずだ。己が傷つくのはよしとしても、誰かが傷つくのはを厭う」
セルマのあおの瞳に映る己を見ながら、レイヴィンはますます笑みを深める。それから、パッと手を放す。
「いいよ、セルマが望むなら。その代わり、魔女の血からは強いから君まで飲み込まれないといいけど」
「わたしにはすべきことがある。それまで消えるわけにはいかない」
「そう。では、お嬢様の仰せのままに」
***
「今どのくらいなのよっ!」
アーシュラは次々と襲いかかってくる攻撃を避け、時には破壊しつつ空を飛ぶ。正直、体力的にも気力的にも限界が近い。時折、大地の女神へと攻撃を行うも、焼け石に水だ。早く帰ってきてほしいと願う自分に笑えてくる。彼女たちが逃げてしまった可能性だってあるかもしれないのに。
気が逸れていたのが仇になったらしい。飛んできた攻撃が一直線へとアーシュラへ向かってきた。避けるにはすでに遅く、衝撃に目を瞑る。しかし、いつまで経ってもこない衝撃に目を開ければ、いつの間にか目の前に結界が展開していた。だがアーシュラは展開したものではない。なら、と地上へ視線を向ける。そこに一人の魔女が立っていた。
「……グレース姉さま?」
半透明姿のグレースが立っていた。彼女はアーシュラの視線に気付くとにっこりと微笑む。そして、再び大地の女神へと視線を向けた。何か言葉を呟く。すると空から鳴き声をともに森鯨が姿を現した。森鯨の姿も半透明で、勢いをつけると大地の女神にめがけて体当たりをする。彼女は水面に叩きつけられ、森鯨は水に溶けて消えてしまう。
「……すごい」
見惚れていたアーシュラの肩に今度は誰かが手をのせる。振り返れば、金色の髪が目についた。
「エレナ姉さま……」
エレナもまた半透明で、金色の瞳は優しく微笑むと小さく頷く。言葉はなかった。それでもアーシュラは、エレナの伝えたいことがわかる気がした。深呼吸すると大地の女神へと真っ直ぐに杖を向ける。
いつの間にか横にやってきたグレースが手を重ね、エレナが手を重ねる。グランヴィル家の三姉妹が揃えば、無敵に感じた。アーシュラの口が勝手に動く。
「……大地に命ずる。大地よ、割れ、呑み込め。荒々しき息吹となり、かの者を拘束せよ」
大地の女神の真下の大地が大きく揺れて左右に割れる。湖の水とともに女神が地中へと呑み込まれ、内部へと落ちてゆく。膨大な魔法に身体の力が一気に抜けるのを感じた。地上まで降りてくると、肩で息をするアーシュラに姉二人は支え地に座らせる。半透明の姿は輪郭が揺らぎ、銀の粒子がはらはらとこぼれてゆく。
「ま、待って……!」
思わず手を伸ばすも姿を捉えることができない。今にも泣き出しそうなアーシュラに、二人は互いに顔を見合わせると笑う。そっとアーシュラを抱きしめるように背へと手を回した。
“――あいしている“
そう呟かれた気がした。粒子は淡く虚空へと消えてしまう。眸のふちから涙から溢れ落ちかける。しかし甲高い声に一瞬にして打ち消された。大地の魔女だ。埋まった地中から這い出ようとしている。
アーシュラにこれ以上、抵抗する力は残っていない。絶望で目の前が真っ暗になる。
「いい加減にどうにかしてよ……性悪魔女っ!」
「おや? 聞いたかい、セルマ。やっぱり、あのクソ魔女にこの弟子ありだったんだよ。僕以外にも、性悪だと思う人間はいたんだ」
「その言葉そっくりそのまま返すよ、レイヴン。お前が呑気に遊んでいるからわたしは風評被害にあった」
「やだな、本当のことだろう? 僕のせいにしないでほしいな」
「なら、わたしが似てしまったんだろう。お前というけだものに」
そろそろ聴き慣れてしまった応酬に振り返れば、セルマたちが立っている。
「待たせて申し訳ない。でも、予想以上の成果に僕はうれしく思うよ」
「なにが予想以上の成果よ、こちらは全く! 生きた心地がしなかったのだから!」
レイヴンは着ていた上着を脱ぐと、そっとアーシュラの肩へとかける。そして、そのまま抱き上げた。
「さて、巻き込まれる前にここから去るとしよう」
「巻き込まれるってなにに……」
言葉を続けようとするも、ひんやりとした空気に口を閉じる。いつの間にか周囲の温度が下がっていた。横を誰かが通り過ぎる。手には銀色に輝く剣が握られ、細やかな粒子を纏っている。
「セルマ、相剋する相手だ。一撃で仕留めなさい」
「わかってる。ここまでお膳立てしてもらったんだから、失敗しましたとは言えないでしょう?」
不適な笑みを浮かべて振り返ったセルマにアーシュラは目を見張る。
セルマの瞳は深青の眸をしていた。全てを飲み込んでしまう深い青。凪いだ夜の水。
彼女はゆったりとした足取りでカナンキへと近づいてゆく。地中から甲高い声とともに、岩の槍が飛び出してくるが、彼女はそれを全て両断してゆく。
「……あれは夜水の魔女。でも彼女は……」
「アーシュラ嬢は最北端の国 ウィルグレキンス辺境伯を知っているのかい?」
「えぇ、起源の魔女の伝承が残る地。魔女の血を汲みながらも、魔女が生まれない一族でしょう」
「そう。でも、魔女がいなかったわけではないよ。魔女の力を持たない魔女。辺境の地では青の
「まさか……」
やがて、カナンキまでたどり着く。セルマは迷いもなく剣を振り上げた。自分よりも何倍もの大きさのある獲物に容赦なく剣を振り下ろす。
一拍。
剣が撫でたところから風船のように膨らむと弾けた。空から花が溢れる。視界一面に光とマリーゴゴールドに覆われる。夢の時間はあっという間に終わりを告げた瞬間だ。
次に視界に入ってきたのは、荒れた大地だった。干し上がった湖に、豊かだった森は枯木が侘しく佇んでいる。枯れた大地の上にセルマが立っていた。もうその手には銀色に光る剣は握られていない。長かったようで、短い夢が醒めてしまった。レイヴンに降ろされたアーシュラはへたり込む。
すべて終わってしまった。
鈍く回ろうとしない頭にゆっくりと染み込んでゆく。口元はわななき、視界が急に不明瞭になる。胸が痛かった。意味を理解するよりも前に地にうずくまり、咽喉を震わせて泣き声がこぼれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます