魔女の宿願10

「彼を一人にして大丈夫なの? あなたの身体も」


「レイヴン? 彼が行けというなら大丈夫でしょう。わたしは打った箇所が痛い。あとまだ視界が揺れている気がする」


「全然大丈夫と言わないでしょう!」


 そんなことより、とセルマは言葉を続ける。


「なぜノルタニアは滅んだのか、そろそろ思い出した?」


「……性格の悪い聞き方、やめた方がいいわよ。そうね、おかげさまで記憶がはっきしりしてきたわ」


 アーシュラは一度遠い目をした後、ゆっくりと語りだす。


「グランヴィル家はこの『世界』では大地の魔女なんて呼ばれて、敬われているけれど本当は地に根付く魔女一家。人々の暮らしに寄り添う何の変哲もない魔女。それがわたしたちだった」


 事の発端は、ある資産家がカナンキのある湖の側に、別荘を建てたいと告げたことだった。


 市長のヴィクターは、亡き友人のグランヴィル家とは交流があり、彼らの役目を理解していた。彼は難色を示した。その話は当時まだ幼いながらも当主となったエレナの耳にも入る。カナンキは大地の女神の眠る地。禁足地だと強く反対をする。しかし、言葉を完全に突っぱねるには相手が悪すぎた。


「資産家はノルタニアの発展に、大きく貢献してくれたの。小さな街がここまで大きくなったのは、彼らのおかげ。彼らの言葉を無視もできず、だからと言われたとおりに承諾もできなかった。ヴィクター伯父様は話を保留というかたちで、その時は治めたわ。でも、納得のいかなかった資産家は、強硬手段として禁忌を犯した」


 ある日、勝手にカナンキに渡り入った資産家は身勝手な行動をする。禁足地に踏み入れただけでなく、生息する動物を娯楽のために狩ったのだ。人の手が入らない希少な動植物が多く生息をしている。彼らは女神の遣いとして大事にされてきた。このままでは女神の怒りに触れると危惧するエレナに彼らは一蹴する。「あの地にはなにもなかった」と。それだけなく、「万が一に祟りがあった時、どうにかするのが、グランヴィル家の大地の魔女の仕事だろう」と彼らは吐き捨てた。


 そして、彼らは支援の打ち切りをちらつかせて、カナンキのある湖に別荘を建ててしまった。皆いい顔をしなかった。しかし、誰も暴挙を止めることも、諫めることもできなかった。


 しばらくは平和な日々が続いたある日。建てた別荘が原因不明の火事で焼け落ちる。幸いにも誰もいなかったため死者はでなかったが、最後まで誰の仕業かわからずじまいだ。次は家族が川遊びをしていた舟が沈没した。さらには、度々カナンキに立ち入った者が戻って来ないという事件が起きる。そして、気づけば土地はやせ細り、次々と起こる事変に人々が、大地の女神の祟りだと囁きはじめるのに、時間はかからなかった。噂に背びれ尾ひれがついた話は、周囲へと広がり観光客の足は途絶える。人々の不安や鬱憤はやがてグランヴィル家へと向かうのは必然のことだ。


「事態を重くみたエレナ姉さまは自身がカナンキに立ち入り、大地の女神に怒りを鎮めると言い出した。もちろん、グレース姉さまもわたしも止めた。わたしたち、本当にカナンキに入ったことはないの。新しく当主が挨拶することはあっても、カナンキの側を舟でいくだけよ。でも、エレナ姉さまの意志は固くて……そして、」


「無事に帰って来なかった」


 言葉を切ったアーシュラにセルマは構わず言葉を続けた。彼女は非難めいた視線をセルマに向けるも黙って頷く。


「後はもう分るでしょう。ノルタニアの運命は、あの日から転げ落ちていった」


 人々はますますグランヴィル家を責めた。やがて周囲に飛び火し、街は祟りだと恐れた。グランヴィル家の無力さを嘆く者たちと。資産家の身勝手さが呼び込んだとして擁護する側。そして暴動を囃し立てる者と収集がつかない事態まで進んだ。かつての美しかった街は暴力と犯罪にまみれ、毎日誰かの暴言と悲鳴が入り混じり、ますます荒れてゆく。


「わたしたちはヴィクター殿の手を借りて、身を隠した。それでも、彼らはどこまでも追ってきた。見つかって殴られたこともあった。それでもノルタニアを離れることは出来なかった。グレース姉さまはきっとエレナ姉さまを置いていけないと思っていた。そして、わたしがいたから側を離れることはできなかった」


 命の危険を間近に感じられる頃、彼らは行動を起こした。


「ある時、目が覚めたら知らない場所で目が覚めた。周囲にいる人たちは見知った人ばかりだったからすぐに安心したけど。また隠れ家だと思っていたのよ。大地と違う浮遊感を感じていたのにね」


 アーシュラは間もなく真実を知る。ヴィクターとグレースはノルタニアが長くもたないことを悟った。せめてと、彼女をほかの擁護派に任せて国外へと逃がしたのだ。連れ出された地でやっとの思いで帰ってきた彼女を待っていたのは、蹂躙され、焼け野原となった街だった。かつての美しさを誇ったノルタニアは見る影もなくなっていた。


 ノルタニアの入口であった人と花で溢れた大通りは建物が崩壊し、あちこちに瓦礫が転がっている。木々は丸裸となり、焼け焦げ落ちている。荒れ果てた大通りを抜けた先にあった農耕地は痩せた土地が一面に広がって無残な姿のままだ。


 誰一人出会わない街に、アーシュラは不安を抱く。足を止めずに、かつて自分たちの家があった場所へと向かう。暴動により早々に焼けてしまった家の側で人影を見つけた。黒と灰色の混じった髪の人物にアーシュラは泣きそうになる。かつて、姉たちと四季折々の花々を植えた庭が見えたあたりで、彼女は足を止めた。


 花畑の代わりに大きな石が二つ並べてある。前にはどこから見つけてきたらしい花が添えて、ヴィクターが背を向けていた。


「ヴィクターおじさま……?」


 アーシュラの声にヴィクターは驚きで振り返る。声をかけるまで、近寄る人の気配に気付いていなかったらしい。別れる前よりもさらにやつれた表情には、再会の喜色はない。彼は見開いていた眸を一度閉じると。困った表情にも今にも泣き喚きたそうな表情を浮かべる。


「わたしのせいだ」


 彼は罪を告白するかのように呟いた。アーシュラが口を開くよりも前に言葉を連ねてゆく。


 自分に資産家の意見をはねのける力をもっていなかったから。


 異変があった時に彼らを糾弾する勇気を持てなかったら。


 エレナなら大丈夫かもしれないと、彼女の手を放してしまったから。


 彼女の死を受け入れられなくて、戦う牙を失ってしまったから。


 すべてわたしのせいだ。


「アーシュラ、どうかわたしを許さないでくれ」


 彼は素早く懐から隠し持って銃を引き抜く。己のこめかみに当てると、彼女が止める間もなく、彼は引き金を引いた。墓石を赤く濡らして息絶える。


 アーシュラは時が止まったようにその場から動けなかった。頭は真っ白でなにも考えられない。喉は張りつき、悲鳴を上げられなければ、ちゃんと呼吸ができているか怪しい。瞳は一点を見つめたまま、逸らすことも瞬きすらできない。どれくらいそうしていただろう。長い時間のようで、ほんの一瞬だったかもしれない。場違いな陽気な女の声で金縛りは解かれた。


「傲慢な人ね。自分だけが満たされて、残される側の気持ちなんてまったく考えてないのだから」


 ずいと横から覗き込んできたのは、真白の女だった。セレストブルーの瞳に魔を住まわせた魔女がいた。


「正直、当時の記憶はあやふやなの。わたしは石に願ったのか。願うとしてなにを願ったのか、未だにわからない」


 坂を登りきった先に大きな湖が見えてきた。いつの間にか空は厚い雲が垂れ込んでいる。カナンキ自身が生きているのかのように、木々を騒めかせて、近づくてくるセルマたちを拒んでいる。


「でも、今ならちゃんとわかる気がする。こんな世界をわたしは望むべきではなかった」


 カナンキへと続く湖を目前としたところで、ふわりと魔女が降り立った。


「残念だわ、アーシュラ。あなたも最後は私たちを否定するのね」

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